今学期、私の担当している講義科目は2つある。そのうち一つは私語が多く、もう一つは私語が ほとんどない。私語について学生の言い分を聞くと、「私語の多い授業は、教員の側に問題があり、講義内容がつまらなかったり、話が下手だったりする」と、 教師側の要因を挙げるものが多い。また、私語を取り締まらないのは、教員側の管理責任のなさ、という学生の意見もある。
しかし、私の2つの講義内 容や方法にそれほど違いはないはず。かえって、私語のない「教育原理Ⅱ」の方が退屈な基礎的な事柄の内容で、私語の多い「教育社会学Ⅱ」は歌や文芸の題材 も取り上げ学生の興味を引く筈。私語の多い「教育社会学Ⅱ」は、学科の仲間が多く、教師も学科の教員なので気楽で、気の緩んだ気持ちで受講しているのであ ろう。
「授業の最初に、この教師はどの程度、私語を許すのかを見きわめ、その見きわめに従い、以後私語の程度を調整する」と学生はコメントに書いている。
要するに、教員の態度に学生は対応してだけ、授業の最初が肝心ということか。教師と学生の信頼関係、学生の自主的勉学態度を前提とした講義内容や形式は、通用しないのであろうか。少しさびしい時代である。