もう秋

暑かった夏も終わり、もう秋がすぐそばに来ています。
8月26日(木)~27日(金)は、放送大学のセミナーハウス(千葉・幕張)で、「第28回・学校社会学研究会」を、放送大学の岡崎友典氏と一緒に世話役をやり、30人余りの人の参加してくれて、夜遅くまで議論しました。
9月3日(金)には、この日締め切りの原稿(「大学生の意識とマナ-」『大学と学生』10月or11月号)の原稿を、新潟大学の浜島氏と共同で書き、提出しました。
9月15日には、来年度からの放送大学のラジオ番組(「子ども、若者の文化と教育」)の原稿(6章分)を一応提出しましたが、まだ手直しが必要です。
9月7日(火)は、国際キリスト教大学(ICU)の大学院の2学期の授業(「青少年文化研究』」の初日で、三鷹にあるICUに行きました。ICUは、緑の 多い広大なキャンパスに人も少なく、受講の院生もさわやかで優秀そうで、アメリカの大学(U.W.)を思い出しました。
9月11日(土)~12日 (日)は、放送大学千葉学習センターで、放送大学の大学院の院生の修士論文の指導を2日間に渡り行いました。放送大学の院生の論文テーマは、自分の仕事に 関連したことが多く、問題意識が明確で興味深いのですが、論文の形にするのにみな苦労しているようです。
9月16日(木)は、午前に東京成徳大学の非常勤の授業(「青少年文化演習」)、午後は放送大学文京学習センター(浮間船渡)で自主ゼミと、もう秋学期が始まっています。
9 月17日(金)~19日(土)は、関西大学で「日本教育社会学会大会第62回」が開かれそれに参加してきました。関西大学の大会準備は、岩見先生と山本先 生の周到な準備のもとで行われ、研究発表も懇親会もとても満足のいくものでした。一般の発表部会では同時に11の教室で報告があり、聞きたい発表が同時に あり、大変勉強になりました。「大学教育」の部会の司会をしましたが、6人の報告がバラバラのテーマであり、30分の総括討論には共通の話題を探すのに苦 労しました。課題研究「教育調査の在り方を問い直すー量的研究の課題と展望―」ではすぐれた報告が3つあり、それを交通整理して討論の方向を示すのが私の 役割でしたが、私の力量不足と準備不足で十分なコメントができず、少し悔いの残るものになりました。
9月25日は、台風の通過中&後の外房の海に 行き、高波を堪能しました。立っていられないほどの風の強さで、海を見ると、幾重にも作られた防波堤に高い波が当たり砕けて飛び散り、すごい迫力でした。 津波のように波が盛り上がり押し寄せ、このまま波が押し寄せたらと、怖くなりました。通常、御宿海岸の広い砂浜に波が押し寄せ、月の砂漠のラクダの銅像の 足元まで来ていました。御宿では地元の秋祭りの真最中で、山車の上での子ども達の小太鼓と笛の競演が賑やかで、秋の訪れを感じた。
秋は、放送大学のラジオの収録や面接授業、文京アカデミヤ講座、非常勤の授業(週3コマ)、海外旅行など、いろいろ忙しくなりそうです。その合間を縫って、紅葉も見に行きたいと思います。

夏の御宿海岸

先週の週末(24日~25日)は、御宿に、家人と犬(ソフィ-)で泊まった。御宿は家から車 で1時間40分ところなので、最初は泊まるつもりはなかったが、近くの店で夕食を食べ終わったのが9時を過ぎていて、しかも海風が涼しげだったので、暑い 稲毛の自宅に返る気がなくなり、泊まりになった。
夜の浜辺は、ところどころの花火がきれいだった(最もソフィ-は花火の音に怯え、早く返りたがった)。 部屋で窓を開けて寝たら、さすがに海風が入り、涼しく、久しぶりに快適な眠りについた。
朝4時過ぎに目が覚め、屋上に行き、日の出を見た。そのまま、ソフィ-を連れ海岸に行ったが、もうかなりの人が来ていて、海の家の支度をしたり、ビーチバレーをしたり、バーベキューをしている人がいた。
朝食は近くの部原海岸(ノリピーの海の家があったところで有名)のデニーズで、モーニング・セットを注文。コーヒーも美味しかった。海岸はちょうど霧がたちこめ幻想的な風景。こちらの海岸はサーフィンのメッカで、人が少なく、水の透明度が高く、きれい。
部屋では、3月に運び込んだ本の整理をして、やっと段ボールが片づいた。部屋には幅90センチ高さ180センチの本箱を10個入れ、なんとか研究室にあった本を納めた(運搬時に3割くらいは処分したが)。しかし、部屋がかなり狭くなったことは確か。
この本を読んで 原稿を書いたり、考えごとをしたり、人と語りあったりできたらいいのだが。

日本人はなぜ、英語が苦手になるのか

。昨日の研究会は、英語や英語教育についての議論であったが、M先生が話してくれた次のよう な見方には,いろいろ考えさせられ、議論が沸騰した。これは、仮説に過ぎないが、当たっているとなれば、日本の英語教育の仕方や英語の試験内容が変わるよ うな気がする。おおよそ、次のような内容である。

日本の英語教育では最初から完璧を目指しているため、間違いを恐れ、英語に対する苦手意識が芽生えてしまうのではないか。
習 いたての時は、単数か複数か、現在形か過去形かなどは気にせず、英語で表現することを心掛ければいいのではないか。間違いを冒すことを恐れ、沈黙してしま うのが一番いけない。英語のできる人の日常会話も、文法的にはかなり間違いがあるが、話す英語にリズムがあり、線としてつながり、十分相手に伝わってい る。
学年が上になるにつれ、文法的な厳密性を強調するようにする、あるいは話し言葉と書き言葉を区別して教えるようにしたらどうか。
日本の場合、入学試験で英語が重視され、そこでは些細な文法的な間違いも大きなミスとして減点されるので、日本人の英語観の中に文法的厳密性がトラウマのように定着し、苦手意識が生まれてしまう。
もし英語のコミュニケーション能力を高めるのであれば、些細な文法的な間違いは気にせず、置かれた状況の中で意味を汲み取っていく、拙くても発言して、自分の意見や気持ちを表明することが強調されねばならない。
さらに、書き言葉は正確さが要求されるので、それは、上級段階できちんと教えていく必要がある。
つまり、英語教育において、最初は書き言葉を意識した教育はせず、(状況に依存した)話し言葉が先にある(そこではコミュニケーションが重視される)と考 えた方がいいのではないか。そして、学校のカリキュラムも英語の教科書も、その観点から作成した方がよい、という見方である。

(英語教育は専門外なのでうまく表現できなかったが、考えさせられる問題提起であると思った。 )

第28回 学校社会学研究会

下記のプログラムで、今年の研究会は開催する予定。
日時:  2010年8月26日(木)~8月27日(金)
会場: 放送大学 セミナーハウス
http://www.u-air.ac.jp/hp/sisetu/sisetu03.html
〒261-8586 千葉市美浜区若葉2-11

プログラム
8月26日(木)
13時~13時30分 受付
13時30分   開会式、自己紹介
14時~14時50分 「発達障害児をめぐる保育実践の構築」
末次有加(大阪大学大学院)
15時~15時50分 「全入私立大学と公立大学とのリメディアル教育の在り方・考」
鷲北貴史(LEC大学)
16時~16時50分 「中学校・高等学校の運動部活動における体罰
―体育教師志望者を対象とした調査―」
冨江英俊 (関西学院大学)
17時~17時50分「困難を抱える青少年」の自立支援に関する比較文化研究」
古賀正義(中央大学)
18時30分~20時30分  懇親会
(於: 土間土間 海浜幕張テクノガーデン店 千葉市美浜区中瀬1-3 幕張テクノガーデンD棟24階、Tel 043-274-1741)
8月27日(金)
7時30分~8時30分 朝食
9時~9時50分
「カンボジアにおける高等教育の量的拡大-歴史的変遷と今後の課題-」
北村友人(上智大学)
10時~12時 ミニシンポジウム 教育実践と教育研究 ―その実際と関連―
司会 岡崎友典(放送大学)
報告 小原孝久(元国立高校教諭、上智大学非常勤他)「教育現場から」
明石要一(千葉大学)   「教師と子どもの立場から」
名越清家(福井工業大学) 「教育臨床の教育社会学」
12時~12時15分 総会、解散
問い合わせ先 武内 清fwne3137@mb.infoweb.ne.jp、     gakkou28th@yahoo.co.jp)

上海万博旅行

娘が上海万博に行くというので、それに同行した。うちでは妻と娘たちが海外旅行し、私は犬と 家で留守番というパターンがこれまで数回あったが、今回はその逆で、妻が犬と留守番し、私が娘と旅行するというはじめてのパターンであった。娘と二人で旅 行するというのは、初めてで最期の機会と思い、同行した。
7月11日(日)に、午後3時に妻の運転で家を出て、30分ほどで成田空港に着いた。 搭乗手続きを済ませ、午後後6時10分成田発のNHの飛行機に乗り込んだ。同じ飛行機に上海のにぎやかな小学生が50名以上一緒で、どうなることかと思っ たが、私たちはセミビジネスのようなゆったりした席に移された。井上揚水のライブを見ながら、ワインと美味しい機内食を味わっていたら、あっという間に上 海空港に着いた。空港には、旅行社の人が待ち受けていて、ホテルまで送ってくれた。ホテルは、街の中心地からは少し外れたところにあるが4つ星のホテル で、設備も豪華で快適であった。夜11時過ぎにホテルの周りを娘と散歩してみたが、コンビニの店だけが開いていたが、治安の悪さは感じなかた。
12日(月)朝7時、一人でホテルの周辺を散歩した。バス、乗用車、オートバイ、自転車、リヤカーの行き来は多く、クラクションの喧騒はすごい。裏の方に 回ると、まだバラックのような家もあり、朝食や野菜を売っている店も出ていて、日本の戦後直後を思い出した。(スイカは1個、2元(=30円)で売られて いた)
9時半頃、ホテルを出て、タクシーを広い、万博会場に向かった。タクシーの初乗りは12元(=160円)と安く、20分ほどで、万博の入 り口に着いた。万博会場は、上海市の中心地を流れる川の両側の広大な敷地内にあり(中の移動はバスとフェリー)、どこに最初に行くべきか迷ったが、まず一 番空いていると言われるEゾーンに行き、あまり待たずに入れるパビリオンを探した。どこも1時間以上待ちという表示が出ている中で、「都市の未来館」とい うパビリオンが20分待ちとあり、そこに最初に入った。映像やさまざまな展示品のセンスがよく、とても楽しめた。 その後も、待つのは嫌で、すいたパビリ オンを選んで入った。結局20近く入ったことになるが、それらはすいていることだけのことがあり、展示にセンスがなかったり、手抜きであったりで、がっか りすることが多かった。
とにかく、広い敷地の中に、多くの人がいる。そのほとんどが中国人(上海人?)で、西洋人は少なく、また日本人らしき人 に、ぜんぜん出会わなかった。中国で万博が開かれるということが、中国人には、誇らしくうれしいのか、皆ニコニコしている。また中国の人は皆元気で、大声 の中国語が飛び交っていた。
夕方になると人が減るというので、バスに乗り、Cゾーン(ヨーロッパなどのパビリオンが集まっている)、Bゾーン(都 市やオセアニアのパビリオン、)、Aゾーン(中国、日本、韓国、アジアのパビリオン)に移動した。 夜8時を過ぎると少し人が減って、アフリカ諸国やイラ ン、パキスタン、北朝鮮、アルゼンチン、チリといったパビリオンはすいすいと入れた。しかし、アメリカ、カナダ、ロシヤ、エジプトそしてヨーロッパの主な 国々のパビリオンは相変わらず行列で、そう簡単に入れそうもなく、入場をあきらめた。日本館は大変な人気で、夜9時の時点で、3時間待ちの行列であった (中国の人に日本(館)がこれだけ人気があるというのは、喜ぶべきことだと思い、その行列を写真に収めた。)
このように朝9時過ぎから夜10時 近くまで、万博を見て回り、足が棒のようになった。その日の天気は曇りで、雨も降らず、それほど暑くなく、ラッキーであった。1つでもいいパビリオン (「都市の未来館」)を見ることができたし、中国人の生の姿をたっぷり見ることが出来、充実した一日であった。
13日は、上海の大学の日本語学科に勤めている友人が、その女子学生を5名ほど連れて、2時間半かけて ホテルまで来てくれ、上海市内をいろいろ案内してくれた。美味しい中華料理とビールもご馳走になった。
その女子学生たちの服装のセンスがよく、また素直でかわいく、中国女性に対するイメージが大きく変わった。大学では、よく勉強しているという。まだ日本語 学びはじめて2~3年というのに、しっかりした日本語を話す。日本に留学したいという人もいて、相談を受けたが、日本の大学への留学を勧めていいのか迷っ た(今、日本の大学では、留学生で入学定員を埋め、しかも高額の授業料を留学生から取るところがあるようで、それに見合うものが、日本での大学生活で得ら れるのかを考えると、簡単に、日本への留学を勧められないと思った)。
夕方、大学の寮に戻る友人や学生と別れ、娘の友人とその伴侶(日本人)と 食事を一緒にした。娘の友人は、日本の音楽大学を出た後、こちらでバイオリンを個人で35人ほど教えている(主に、日本人の駐在員の子どもと)才媛、その 伴侶はこちらで起業した元気な日本の若者で、日本にいる若者にはないバイタリティを感じた。
ライトアップされた上海の夜景を堪能し、ホテルに帰り、翌日(14日)日本に帰国した。
このように、3泊4日の短い上海旅行であったが、万博を1日たっぷり見、会いたい友人たちにも会え、上海の景色と、美味しい中華料理を堪能し、充実した旅行であった。
使ったのは、H社の自由行動のパック旅行であったが、航空券、空港使用料、空港までの送り迎え、4つ星ホテル3泊、朝食付き、万博1日券付で、一人5万円弱と格安であった。皆さんに、上海の万博見学をお勧めする。