お雛様

 長女が生まれた時、実家から贈られたお雛様を、年に1度は飾っている。1段のお雛様だが、家が狭く、長テーブルの上に飾られたりいろいろで、今年は、フランス人形に少し遠慮してもらい、ピアノの上に飾られている。質素ながら、とてもいい顔つきをしていると自画自賛。お雛様は「飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強く」(wikipedia)と、勝手に解釈している。二人の娘が、無事に育っていることに感謝。

人の誕生の自然と人工(議論)

A  藤原新也のトーク
佐賀で行われた両人の結婚式にも出席し、私はその席で3メートル2メートルの麻紙に「白道」という書行を行った。この書は真っ白なキャンバスに絵を描くようにまっさらな道を歩めという意が込められるとともに、その白い道とは私の心づもりとしては産道の意味もある。産道を通る赤子はまっさらな道を自分で歩く人生で最初の旅をするのだ。わずかセンチ単位の道。だがその道の里は険しい。(中略)   ご承知のように現代においては人間は病院で生まれ、病院で死ぬ。不条理な時代である。私の著作の中に「死は病ではない」とあるのと同じように「出生も病ではない」。昔はほとんどの赤子は産婆さんの家か自宅で産婆さんが取り上げていたのだ。そこには大人の時間ではなく、赤子の時間がある。つまり赤子は産道という白道、つまりその険しい道を一人で旅をする。大人はその赤子の旅を見守る。赤子の旅の時間を見守る。そして赤子は自らの力でこの世に生まれ出る。しかし病院ではこの赤子の旅と時間を無視し、大人の時間をその赤子に強制する。なにせ世の中は時は金なりなのである。えんやこらえんやらと何時間も何時間も赤子に旅をされては困るのだ。 そこで陣痛促進剤なるものが投入される。赤子の旅はその時点で終わる。自らの力ではなく、薬の力で”排出”されるのだ。陣痛促進剤が効かない場合は次に待っているのは帝王切開だ。そこには旅する道もない。旅をしなかった赤子は赤くもなく、白ばんでひょろりと生まれる。この最初の旅を自分の力で行ったのか、あるいは他の力によって行ったのか。ここにその後の人生にハンディの差異が生まれる。最初の旅を自分の力で行った赤子の無意識には自信が芽生えるのである。他の力で生まれた赤子は逆に不安を抱え込むことになる。
B 投稿1
わたしの長女は帝王切開で生まれました。34週で破水したためです。いろいろ経緯もありますが、とにかく、そのときは病院にお任せするしかなかったです。わたしは祈ることしかできませんでした。産後すぐ、娘は保育器に入れられ、わたしは初乳を絞って、助産婦さんにお願いしてそれを与えてもらうだけ。面会時間も限られていて、とても寂しかったです。生まれた直後に母児ともに過ごす時間は、その子の人生の基盤作りに欠かせないもので、その時間を持てなかった子は将来グレ易いとか問題児になりやすい、などと身近な人から言われ、ショックを受けたりもしました。娘の退院後は、離れ離れの3週間を取り戻すかもように、娘は泣きまくり、わたしはず~っとだっこをしていました。だっこをしていれば泣かないので、離れ離れにしてしまったことを責められているような気がしました。急におなかから取り出され、シンとした保育器の中で、どれだけ不安な気持ちでいたことでしょう。考えるととても辛くなりました。それから、代2子が自然分娩で生まれ、母子で泣き笑いしながら成長していくうちに、確信したことがあります。それは、埋まらない溝はないということです。帝王切開で生まれた子は忍耐力が弱い、などといったことも、単なる可能性のひとつだと思います。母乳で育てるとどうの、母乳じゃないとどうの、という考えも、道理ではあるけれでも、人生の必須アイテムではないと思います。動物的にはダメダメなのでしょうが、人間ですから医学に助けられて生きることもアリでしょう。無事に生まれた命を大切に育て、生きる力をはぐくむしかないのだと思いました。というわけで、帝王切開は人生のハンディにはならないと思っています。藤原さんの周囲にも、帝王切開で生まれた地に足の着いた意志力を持った方がいらっしゃると思いますヨ。
C  投稿2
藤原サンの言いたいことは、よくわかるのですが、あくまでも男目線じゃないのかな?と思っていたので、今日の女性の投稿が、すごく心に沁み入り、ホッとしました。改めて、言葉の暴力、言葉の使い方の難しさ、男性性女性性の違いを感じました。
D  投稿3
「帝王切開は人生のハンディにはならないと思います」といわれた今日の投稿に賛同するものです。残念ながら、今回藤原さんがお書きになっている「・・・自らの力で産道を通ってきた赤ちゃんと、人の手を借りて生まれた赤ちゃん。最初の旅を自分で行ったかどうかで人生の初めにおいてハンディがある・・・」というこういう根拠のない考え方はもうずいぶんと前から言われている通説だということを先に申し上げます。私もいろんなところで、出産の神秘などをそのような観点から語られるのをよく耳にしました。
私は三人の娘を帝王切開で出産しました。また長女が3年前にこれもまた帝王切開で長男を出産しました。なぜ帝王切開に至ったかはそれぞれに理由があり、説明をしませんが、この方がおっしゃっているように「・・このときは病院にお任せする他なかったんです・・」というのがもっとも正当な理由だと思います。どちらも、またどんな状況で生まれようと、そこにはたった一つ「生まれ出る命」があるということです。ましてや帝王切開で生まれる赤ちゃんが「白ばんでひょろりと生まれる」ことはありません。私のときも娘のときも産まれてきた赤ちゃんは真っ赤で力いっぱい泣いておりました。おそらくご経験のない藤原さんにこれだけは今回お分かりいただきたいと願っています。
藤原さんは「生まれてくることと死ぬこと」において、人の力ではなく自身でつかみとるというようなことを書かれていますが、藤原さんが考えられる人の手を借りることと借りないことのラインはどこなのでしょうか? そして産むとき。妊娠してから母子手帳をもらい臨月を迎えるまでには必ず病院で検診を受けるのがふつうです。(それが産院であってもです)そう思うと、最終的に自宅で産むか、病院で産むかなんてことは、それは産む間際のことのみ。大した問題ではありません。ましてやどちらが産まれてくる子供に誇れることか・・なんてそれこそ大人側の問題なのではありませんか?
F 返信(藤原新也)
16日付のトーク以降、投稿は多少炎上ぎみで、さまざまなご”意見”というより「体験談」を話される方が多く、体験できぬ”男類”としては大変に勉強になった。
今回のトークでは陣痛促進剤の使用や帝王切開に対し否定的な発言をしたことから、そういった手段によって生まれたお子さんの人格否定につながりかねないこともあり、多少感情的になられたご意見もあり、それも母親としての子に対する愛情の現れと思い、決して私個人は気分を害することもなく、むしろ自分の発言の脇の甘さに思いを致した次第だ。
思うに出産に関しての情報は世の中に膨大に溢れている。だが、こうして生の体験談を聞くことはいかなる二次情報にも増してリアルであり、耳に食い込む貴重なものだ。私は80年代半ばに出産について情報を集めたことがあったが、体験された個人の個的な話を聞かなかったなと、今回のたくさんの投稿を読みながら今更ながら思う。 
いかなる命もそこに優劣を烙印することは、表現者としてあるまじきことであり、あらためてこの問題は自分の中で整理したいと思っております。
2012/2/20再放送のお知らせ。 「わたしが子どもだったころ」  藤原新也
2月23日(木)18:00~18:45  NHKBSプレミアム、セレクション。
F コメント (武内)
 ジェンダー差も感じたが、実体験の迫力に、さすがの藤原新也もたじたじ。
( 引用は、すべてCATWALKより)

春の雪と春の御宿

春の雪


うちの庭にも春の雪が積もり、ソフィー(キャバリア5歳)、大喜び。

春の御宿


同じ日(18日)に外房の御宿海岸に、犬の散歩に行った。いつも家のストーブの
前に寝てるのだが、この日は、大喜びで砂浜を駆け回っていた。夏には海に入れ
泳がすのだが、この日はまだ海は冷たく、足を浸しただけ。

渡部真さんの本&ブログ

先に紹介した渡部真さんの本が、神奈川新聞(2012.2.3)で紹介されている。なかなか味のある紹介文なので転載させていただく。
渡部さんの最近のブログでは、森鴎外の小説「沈黙の塔」が紹介されている(http://sociologyofyouthculture.blogspot.com/17章)。私は何故か漱石は読んでも、鴎外は読んでこなかった。渡部さんの文章を手掛かりに、鴎外が読みたくなった。

「師弟」で迫る若者論
学歴、いじめ、ニート…といった、若者をめぐる社会現象を題材にした対話集「ユースカルチャーの社会学」(書肆クラルテ、1995円)=写真(上)=が刊行された。登場するのは“元若者”の大学教授と、“現役の若者”の大学院生。親子ほど世代の違う二人は時に互いを皮肉り、時に「生きにくさ」に悲観的になりながらも、より多くの共感を得るための言葉を丹念に探る。(齊藤 大起)
■当事者のナマの声
 横浜国大教授の渡部真(59)=教育社会学=と同大大学院生の小池高史(28)が、2006年から10年まで雑誌「看護教育」に連載した対談を基にまとめた。専門家による社会分析そのものは珍しくないが「師弟」によるざっくばらんな対話形式は目新しい。本書の言葉を借りれば「自分のなかで考えがいくつかに分裂し、お互いに矛盾している」(渡部)ことを表現するのに成功している。多様な考え方に思い至らせているのだ。
 遠慮がない小池のキャラクターが好ましい。例えば冒頭。「教育の問題や若い人の問題を(略)ズバズバっと斬っていくということなんですが。そこで小池さんにちょっと手伝ってもらえないかと思いまして」と呼び掛ける渡部に「なるほど、自分にそんな斬れ味はないと気づいたのですね」と返す。
 その小池自身が若者論の「当事者」であることも、内容に深みを与えている。神戸連続児童殺傷事件や「キレる17歳」が話題になったころに少年時代を送った。「若者に対する否定的な意見の中で育ってきた」。けれども、そういう批判は印象論が多くナマの声はなかなか顧みられなかった、という違和感が「当事者」にはある。
■集団の中の「私」
 15編の対談の多くに通底する問題意識は、集団・社会と「私」との関係性だ。「集団嫌い」を自覚する渡部は、いじめ問題の項で「一人では何もできないくせに、集団になるとわいてくるパワーが大嫌いです」と直截に語る。研究者が抱く信念がにじみ出る。
 横浜市営地下鉄が乗客に席を譲るなどのマナーを呼び掛けた「スマイルマナー」を話題にした章では「良いこと」に潜む思想的な問題を指摘する。「良いこと」を推し進めることが時に権力的な強制力になっても、それが「良いこと」であるだけに表立って批判しにくいというのだ。子どもたちへの奉仕活動の義務化の議論とも共通する。
 中でも「体育嫌いについて」の章は読みどころだ。渡部は、少年時代に体育が苦手だったと打ち明ける。運動ができ、活発な子が評価される―という学校独特の価値観の中にあって、下手な姿を見られたくないと「自意識で、がんじがらめ」だった。一方、小池は対照的に「そういうもんじゃないか」「気にしなくてもいい」と冷静に受け止めていたという。
 このように、二人の間に温度差はある。が、個人差が“生きる力”の差として固定化されることには両人とも抵抗する。「常に『私』を失わないことが大切だ」と渡部。“現若者”の小池は「同世代でも状況は人によって違う」と、当たり前だけれど忘れがちな視点を強調する。(神奈川新聞、2012年 2月3日朝刊より転載)

毎日新聞の記事

下記の記事は、毎日新聞に掲載されていたようである。http://mainichi.jp/select/wadai/news/20120214dde041040064000c.html

原発:女子学生「廃炉」多数--意識調査
 今後の原子力発電所について、男子学生は「存続派」が多いのに対し女子学生は「廃炉派」が多数を占めることが、全国大学生協連(加盟223生協)が13日発表した意識調査でわかった。
 調査は昨年10~11月行われ、全国28大学8498人の回答を分析した。原発の運用については「今すぐ」「将来的に」の廃炉派が女子48・5%で男子は35・2%。「規模縮小」「現状維持」「積極運用」の存続派は男子54%、女子36・8%と、逆の傾向があった。防災についての意識は「高くなった」「やや高くなった」が男子66・1%で女子は77・7%。生協連全国学生委員長の佐藤美香さんは「妊娠、出産のある女性は、将来の自分の問題として感じているのではないか」と話した。