今日、ユーチューブで、聴いた3曲
1 井上揚水 with ジェイク・シマブクロ 心もよう
2 宇崎竜童 知らず知らずのうちに
http://www.youtube.com/watch?v=VIgNVeHcxmk
3 吉田拓郎 せんこう花火をください
http://www.youtube.com/watch?v=UbAQjRErD0I&feature=related
今日、ユーチューブで、聴いた3曲
1 井上揚水 with ジェイク・シマブクロ 心もよう
2 宇崎竜童 知らず知らずのうちに
http://www.youtube.com/watch?v=VIgNVeHcxmk
3 吉田拓郎 せんこう花火をください
http://www.youtube.com/watch?v=UbAQjRErD0I&feature=related
老いについて、3つを追加しておきたい。
昨日は、あるプロジェクとで、青年社会学の浅野智彦さん(東京学芸大)や青年心理学の溝上慎一さん(京都大学)らとご一緒する機会があった。今一番旬の研究者と一緒だとそれだけで若返る。これから一緒に大学生に関するデータを分析し、今年の11月5日(月)に、東京で、大学生に関する公開のシンポジウムを開くことになり、楽しみ。
藤原新也は、老いの中の子どもらしさに関して、次のように書いている。
「石牟礼道子さんは、深刻な話をしながら、不意にふっと抜けたように笑う。それは「椿の記の海」のあの遠い童女の笑い。 私は机を挟んでその笑いに誘われ、意味もなく笑い合っている。 そうすると私は少年の自分を、ふと思い出した。その時、老いてなおその中で眠る子供こそが、生き続ける逞しさであり、支えであるということがはっきりとわかった」(shinya talk,2.26より引用)
水沼文平さん(中央教育研究所)より、次のようなコメントをいただいた。
武内先生の「歳を取るということ」には今年前期高齢者の仲間入りをした私も考え込んでしまいました。
「耄碌」の意味を辞典で調べてみますと、広辞苑には「耄碌」とは“おいぼれること”、漢字源には「耄」とは“年老いた人”“老いぼれる”、「碌」とは“ぽろぽろ割れてできた小石”とあります。
「ぽろぽろと割れてできた小石」とは言い得て妙ですね。
2011年の日本人の平均寿命は女性が86歳、男性が80歳、世界の平均寿命は、男性が66歳、女性が71歳とありますから日本は世界有数の長寿国のようです。
私がこどもの頃「人生50年」という言葉をよく聞きました。
実際私は母方の祖父の死に際に会っただけで残りの祖父母は私が生まれる前に亡くなりました。
さて、多くの老人が呆けてしまうと、我儘になったり、奇妙な行動を取ったり、徘徊したりと、とかく問題を起こしがちです。
面倒をみる家族の苦労も並大抵ではありません。
仏教では「生老病死」を四苦と言っていますが、私はこれに「耄」を加え「生老耄病死」としたいと思います。
「耄」は人として生まれた以上は避けられないものであり、自分は年老いて必ず呆けて人に迷惑をかけるという認識を持つ必要があります。
そこで呆け予備軍の世代に提案したいことは、今のうちから遺言を認めておくということです。
呆けたら本来の自分を失うことですから、私の遺言は「ぼけたら面倒などみないで施設に送りこむなり、道端に捨てるなりしてください」という内容にしたいと思っています
世迷言になりますが、国歌にある「さざれ石」はもともと小さな石の意味ですが、長い年月をかけて小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩の塊に変化したものも指すそうです。
“ぽろぽろ割れてできた小石”になってしまい捨てられた老人たちが何かの触媒を用いて大きな岩に変化し、第三の人生を生きたり、世直し運動を展開したりするのはいかがでしょうか。
人は歳とともに賢くなるのではなく、頑固になったり、ボケたりする。これは人ごとではなく、気をつけなければいけない。
あの吉本隆明が「耄碌した」というのは本当なのであろうか? 私は昔の吉本隆明の著作しか読んでいなくて、週刊新潮の記事も読んでいないので、真偽はわからない。(たとえ、耄碌して訳のわからないことを言ったとしても、過去の栄光は消えないと思うが、)
Shinya Talk 2月25日より転載
<(財界を中心に政治マスコミなどへの、原子力村の巻き返し台風がものすごい勢い) そんな中、ここに来て、マスコミの姿勢にもはっきりと色分けが出てきているようだ。
特に週刊文春と週刊新潮の原発に対するスタンスが極めてはっきりとしてきている。
かつて原発広告の出稿料に関しては雑誌ソトコトに次いで2番目を誇っていた週刊新潮はすでに耄碌状態にある吉本隆明の原発推進コメントを鬼の首を取ったように記載するなど、いまだに物欲しげに何かにつけ原発推進茶坊主的な記事をことあるごとに書いているが、今週号の週刊文春ではマスコミの間ではタブーとなっている原発放射能による幼児の疾病発覚(甲状腺がん)をトップ記事で報道している。>
(藤原新也CATWALKより)
「敬愛大学生調査」(2011)からの考察
国際学部こども学科 武内清
1 学生実態調査の重要性
2 入学生の属性の実態から、今後の募集戦略を考える。
3 日本人の学生と留学生の数と比率、留学生支援、国際交流
4 入学時期の違い
5 専攻(学科)の第1志望率
6 生活の比重 からの考察(勉学熱心とアルバイトの比重大)
7 友人関係(大学で友人が得られているか)
8 授業満足度 (国別、学科別の違い)
9 学生の成績による学生文化の違い
10 教員が授業熱心の影響(教員の授業熱心は、学生の行動を勉学に向かわせ、学生によい影響を与えている)
11 自由記述からの考察
12 教育支援と学生支援を、教員と職員の協働で考えることが必要。(図)
昨日のFD研修会の私の報告は、上記のような内容である。「素敵な図」と前に書いたのは、私が作ったのではなく研究仲間のH氏が作ってくれた図だからである。
敬愛大学の留学生比率は、調査の回答者からみると46.7%(経済39.4%、国際76.5%、こども0%)である。
「単一文化論的視点」(日本の文化に同化すべき)や「比較文化論的視点」(それぞれの国の文化のよさを認めよう)ではなく「異文化教育論的視点」(異質な文化に接することのよりお互いに豊かになる)に立てば、とてもいい国際教育ができる大学である(日本人も留学生の国の言語や文化を学び、その理解、交流を図れば、身近にこれだけの留学生がいるのだから、深い豊かな文化交流ができる)というような趣旨の報告もした。
今日は敬愛大学でFD研修会があり、私は他のふたりの先生と一緒に、昨年12月に実施した「敬愛大学学生調査」(2011)の分析と考察を報告した。その詳細はここでは書くことはできないが、最後のまとめでは、下記のような話をした。
教育支援、学生支援を考える時も、このような学生文化の違いに対応した方策がとられる必要がある。それは、各大学の教育力や大学文化や教員や職員の実態、また学生文化の特性により、各大学で違いがあるであろう。
学生調査をもとに、各学部、各部局で、教員と職員が協働して、学生募集、教育支援、学生支援のあり方を探る必要があろう。それは、大学の教員と職員の新たな役割分担や共働の仕組みを探る試みでもある。
図 教育支援と学生支援の図式
(そして、教育支援 学生支援、学生文化、大学文化、学生、教員、職員の関係を示す素敵な図式を提示したが、残念ながら、技術的な問題で、うまく掲載できない)