上智大学に勤務していた時の研究室は四ツ谷の14階にあり、部屋からは東京タワー、ホテルニューオータ二、迎賓館、ミッドタウンなどが見え、展望のよいところだった。
現在の敬愛大学の研究室は、稲毛駅から坂を上がった高台の6階にあり、そこも展望がいい。研究室の窓からは学園のグラウンドと遠くに千葉市内が見える。廊下に出ると総ガラス張りで、稲毛の浜や富士山が見える。定年で某所に置いた本もこちらに移さねばと思っている。14階という高層だと、地上の人の動きは点としてしか見えず、景色は壁絵のように固定化されてしまうが、6階だと人の動きも面として見え、飽きずに眺めることができる。特任の身分なのに、このような快適な研究室を提供してくれる敬愛大学に感謝している。
花や緑に目がいく
ブログへのコメント
このブログを見てくれた「公益財団法人中央教育研究所」の水沼文平さんより、下記の素敵なコメントをいただいた。転載させていただき、御礼を申し上げる。
先生と岡崎さんの写真、よく撮れてますね。
友だちとはいいものです。
今の世、いくら平和に見えても「一寸先は闇」、その通りです。
京都市の繁華街で暴走した車が交差点に突っ込み、通行人18人がはねられ、男女7人と運転手が死亡したという事故がありました。
死亡した県外者は多分観光客、誰がこんな事故に遭うなんて考えていたでしょう。
葉隠の「武士とは死ぬことと見つけたり」、自己流に解釈すると「人の命には限りがある。事故や病気でいつ死ぬかもしれない。
だから何時死んでもいいという覚悟で、この一瞬一瞬を大事に生きる」ということになりますが、これがね、なかなか難しいことです。
やはり死ぬのは怖い、嫌だ、という気持が先行します。
そんな時、強烈に味方となってくれる至言があります。
それは、
「今生きている人間は100年経てばみんな死んでいる」という言葉です。(水沼文平)
了解を取っていないので、お名前を出せないが、高名な教育学の先生からも下記のコメントもいただいている。拙いブログを読んでいただき、恐縮している。
武内先生のブログ、読ませていただきました。特に「教育とは」は、逆説的で面白いですね。もし何かを注入して、日本が再興するのなら、「そんな簡単な方略はない」と思います。創造性のないところに、国の再興も、民族の再生も、そして、今日でいえば、地球の救済もないと思います。
「定年後の過ごし方」、放送大学で学ぶ教育関係者の意気込みに「希望」を託したいと思います。
ところで、先週、何げなく放送大学のチャンネルを見ていたら、大学紹介で、武内先生と先生の授業風景が出ていました。
平和な東京
家族で聴く音楽
子どもが小さい頃は、親が聴く音楽や絵を見て、それが好きになり、親子で聴いたり見たりしたりすることが多いであろう。
もっともそれ以前に、夫婦で聴く音楽や絵に一致はあるのかどうかは微妙なところである。私は結婚以前はフォーク(吉田拓郎、井上揚水など)やロック(ピンク・フロイドなど)を聴き、妻はクラシックと、聴く音楽は違っていた。夫婦の力関係から(?)、私は段々フォークやロックは聴かなくなっていった。
うちの娘達は、他の子ども達と同様、小さい時からヤマハに通い、途中から個人レッスンでピアノを習い(それが好きだったかどうかは疑問、義務のように練習をさせられていた)、その弾いている曲などが、CDで流れていた。クラシックの音楽会に家族で行ったこともある。その後、娘達が、どのような曲を聴くようになったのかは、よくわからない。(ウォーマンやアイ・ポットの普及で音楽の視聴は個人化していった)
それでも、最近は、家族が、ユー・チューブで聴いている曲が、茶の間に流れ、それを皆で聴くことがある。今、よく家族が聴いている曲は、下記(奄美大島の曲)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=u6FM1E_rxEg#!