キャバリヤのオフ会

 卓球の集まりは卓球だけが話題になると書いたが、それは、他のスポーツでも同じであろう。「上智大学ロイヤル・テニスクラブ」という教職員の集まりに参加していた時は、
とにかくテニスのことが話題になった。その方が利害がなく楽しかった。

 いろいろ趣味の集まり、オフ会があると思うが、うちで以前に参加していたものに「キャバリヤのオフ会」がある。それはキャバリヤを連れて稲毛海浜公園に第3日曜日の午後に集まるというもので、ただ集まり犬を遊ばせ、キャバリヤ(犬)の話しをするというものである。何故か、これが楽しい。

大学の研究室

 大学の研究は、学生にとってはどのような存在なのであろうか。学生は、授業に忙しいのか、教員(私)が煙たいのか、私の研究室を訪れる学生は少ない。今日は、たまたま3人の訪問者があった。一人は推薦状の依頼の要件で、もう一人は教科書の購入の為、もう一人はその付添。心やさしい今の学生は、こころよく(?)写真に収まり、掲載を許可してくれた。

今日の授業―学生の学習定着を目指す

今日(24日)の敬愛大学の1時限の授業は、「こどもと地域の教育論」。受講生約40名。
まず、先週の続きで、地域定住と地域移動のことを話した。先週は「コミュニティー」について話し、自分が生まれ育ったコミュニティー(地域)(敬愛こども学科の学生は千葉県出身者が多い)に将来も住みたいと思うかどうかを聞いたところ、生まれた地域(千葉)に住み続けたいという学生が圧倒的に多かった。そこで、その意味を、対極の事例から考えてもらった。
つまり、見田宗介の有名な論文『まなざしの地獄』(河出書房新社)の冒頭部分(「幻影の都―都市の対他存在、黄金の卵―労働力商品の矛盾」)をコピーして渡し、説明した。1960年代の集団就職の時代、多くの青少年は、地方から都会へ地域移動せざるを得なかったこと、そこには、ピストル連続殺人事件が起こってもおかしくない家庭的・地域的・社会的軋轢が存在していたことを説明した。

今日の授業のテーマは。「学校と地域の連携」。A3のプリント2枚(3ページ)を配り、主にそれを読んでもらい、コメントを求めた。
 このテーマに関して、とてもよく論じられている論文があった。つまり柏木智子「子どもを共に育てる―学校と地域の連携」(『教育社会学への招待』13章、大阪大学出版会2010年収録)の約3分の2と、佐藤晴雄「地域協働型学校」(『最新教育キーワード13版』時事通信社)を配った。
今の学生に「プリントを読みなさい」と言ってもなかなか読んでもらえない。そこで、プリントを読まないと、コメントが書けないような課題を最初に出し、強制的に(いや自主的に)プリントを読ませた。
黒板に書いた課題は、次の3つ
1 学校と地域の連携はなぜ必要か。
2 学校と地域の連携は、歴史的にどのように変遷してきたのか。
3 学校と地域の連携にはどのようなタイプがあるか。また、あなたの通った学校(小中高)は、そのどのタイプだったか。
 学生はプリントをよく読み、書いたコメントは概ね私の期待する内容で、今日のテーマ・内容の学生への定着には成功したと思う。しかし、私の話した時間は短く、話も切れ切れで、講義者としては不満が残った授業であった。学生が学んでくれさえすれば、教員の満足などなどなくてもよしとすべきか?

入学時期の歴史

秋入学が東大が言い出し、少し話題になっているが、「そもそも明治・大正期の50年近い間、日本の大学は秋入学だった」という記事が2012年4月4日の東京新聞に載っている。 東大名誉教授の寺崎昌男先生の「東京大学の歴史」にその記載があるという。確かに漱石の「三四郎」(1908年)でも主人公の大学がはじめるのは9月だ。
一方、高等師範学校が1887年に4月入学に転換している。その理由は、東京の小学校は4月入学、役所の会計年度と合わないなどの理由の他、「1886年に徴兵制期日が9月から4月に変更され、9月入学では新入生の徴兵猶予が受けられず、健康で学力の高い人材を軍に取られてしまう」という理由からだという。そして東大も1921年(大正10年)から4月入学に移行したという。

このような、入学時期の変遷の歴史を知ると、「昔に戻せ」というよりは、優秀な人材を教育界が確保した「4月入学への転換」は評価されるべき歴史のような気がする。