平和な東京

今日JRと地下鉄合わせて8つ駅を乗り降りした。東京はそれだけ鉄道網が張り巡らされていて便利ということであろう。
十条駅の近くでは、友人の岡崎友典氏と一緒に昼食を食べ、統合された区立の中学校を見学に行こうと約束した。原宿は、平日なのに賑やか。修学旅行生もたくさん見た。赤坂はまだ桜がきれい。テレビ局(TBS)の周辺は、やはり華やいだ雰囲気。東京は平和だ。
でも、首都圏を襲う地震の「予知」のニュースを聞くまでもなく、3・11以降、皆「一瞬先は闇」という不安感を抱いての日々のような気がする。

家族で聴く音楽

子どもが小さい頃は、親が聴く音楽や絵を見て、それが好きになり、親子で聴いたり見たりしたりすることが多いであろう。
もっともそれ以前に、夫婦で聴く音楽や絵に一致はあるのかどうかは微妙なところである。私は結婚以前はフォーク(吉田拓郎、井上揚水など)やロック(ピンク・フロイドなど)を聴き、妻はクラシックと、聴く音楽は違っていた。夫婦の力関係から(?)、私は段々フォークやロックは聴かなくなっていった。
うちの娘達は、他の子ども達と同様、小さい時からヤマハに通い、途中から個人レッスンでピアノを習い(それが好きだったかどうかは疑問、義務のように練習をさせられていた)、その弾いている曲などが、CDで流れていた。クラシックの音楽会に家族で行ったこともある。その後、娘達が、どのような曲を聴くようになったのかは、よくわからない。(ウォーマンやアイ・ポットの普及で音楽の視聴は個人化していった)
それでも、最近は、家族が、ユー・チューブで聴いている曲が、茶の間に流れ、それを皆で聴くことがある。今、よく家族が聴いている曲は、下記(奄美大島の曲)
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=u6FM1E_rxEg#!

教職のための教育社会学講義

神田外語大学で、「教育社会学」の授業を担当することになり、4月13日に第1回の授業があった。最初から教室探しに迷い、遅刻して開始。
受講届け前にも関わらず、50名弱の学生が熱心に私の話を聞いてくれた。つい、「教育社会学とは」という内容を熱心に講義した。ふと学生の顔を見ると、少し退屈そう。
ここの学生は語学(主に英米)が専門で、教職の為にこの授業の受講を考えているのであり、別に「教育社会学」の学問的性格など関心がないことに、遅ればせながら気が付いた。
上智大学教育学科で「教育社会学」を講義したときは、その学問的性格を論じ、それは「教師の為の教育社会学」(Educational Sociology)とは違う、科学的な「教育の社会学」(Sociology of Education)だと言って、澄ましていればよかったが、ここではそれは通用しない。
教員養成大学でどのように「教育社会学」を教えたらよいかということが、よく学会で議論されていることを思い出し、はじめて自分に突きつけられたことを知った。

朝、それぞれの始まり

今日は敬愛大学で1限の授業もあるので、その準備も兼ねて、朝早く7時半のバスに乗った。こんなに早く出勤は久しぶり。朝のバスの中で、疲れきって眠りこけている若いサラリーマンを多く見た。今はフリーターやアルバイト以上に、若い正社員の労働は過酷であるという新聞記事(「正社員でも使い捨てー若者を搾取する企業を見抜け」朝日新聞4月6日朝刊)を最近読んだばかり。その実態を垣間見た気分。バス停を降りて大学まで歩く道すがら、朝出されたごみ袋を狙うカラスを何匹も見た。大学の脇の道には菜の花が満開。授業前の教室をきれいにする掃除のおじさん、おばさん。同じ学園の高校生がクラブの朝連で元気。1限の授業では、私語に余念のない学生もいれば、熱心にノートを取る学生もいる。鳥、花、人、学生それぞれの朝の始まり。