千鳥ヶ淵の桜

今日は上智大学に行く用があり、九段下から、千鳥ヶ淵の桜を見ながら、四ツ谷まで歩いた(1時間の行程)
天気は雨で、花見客も少なく、満開の桜の花を堪能できた。
やはり、千鳥ヶ淵の桜は、天下一品。
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犬のお花見

今日(26日)は、ソフィー(キャバリア犬)を、お花見に連れて行った。
ソフィーは、久しぶりの遠出(と言っても車で7分)に、喜んだが、とんと 桜には興味を示さず、もっぱら道端の草をムシャムシャ(草を食べる時は、胃腸に変調をきたしている時なので、注意が必要)。
食事に気を付けねば。普段は、固形のドックフードの他に、鶏肉、サツマイモ、ニンジン、キャベツをミックスして、煮たものを、食べさせている。 食事以外に、精神状態も関係しているのかもしれない。 もう少し構ってあげないといけないかもしれない。いつも、人間の精神安定剤のような役割ばかり課していると、ストレスが溜まるのかもしれない。

親友

私が親友だと思っている人(相手がそう思っているかどうかは定かでない)が何人かいる(学校時代の友人が多い。この歳になると誰でも親友になれる気がするが)。小学校時代に一人、中学校時代に一人、高校時代に人、大学時代に二人。しかし、彼らになかなか会う機会がない。というよりは、努力しないと会うことはできない。
 小学校時代の友人には、クラス会を2年に1度くらい幹事で一緒に開き、会うことができる。中学校時代と高校時代の友人には数年前に卒業以来はじめてあったが、その後会っていない。大学時代の友人の一人には2年に一度くらい会い旧交を温めている[昨年12月に会う約束をして、キャンセルになり、そのままになっている]。
大学時代のもう一人の友人は、私の家にもよく泊まり徹夜で話し込んだ、私の感受性の師のような存在(年齢は年下)なのだが、大学卒業後、お互いの結婚式を含め3回会ったきりで、その後音信も途絶えている。住所もわからず、勤めた会社も退職しているので、連絡の取りようがない。数年前に一度会ったとき、仕事が忙しく疲れた様子で、健康が心配だと思った。彼が、元気でいることを望むばかりだ。

ブログを読んだJさんから「何年会っていなくても、その生存さえわからなくても親友と言われるのがすとんとわかるような気がしました。」というメールをいただいた。親友とのかかわりは、人それぞれ違うのかもしれない。Jさんは、危ない外国に行く時は、親友のひとりを保険の受取人にするという。いずれにしろ「信頼できる友達がいて本当によかった、私の人生も悪いものではないとしみじみ感じました。」という言葉に共感させられる。

今年のお花見

例年、JR飯田橋で降りて、九段、靖国神社、武道館、千鳥が淵から四谷駅まで。歩き、とてもきれいな桜を見るのだが、今年は可能かどうか、まだわからない。
昨年のブログをみると、私は、千葉市の郊外の公園に出かけ、家族で満開の桜を楽しんだことが分かる。
今年は、母親の介護で市原(ちはら台)に、来ているので、家族でのお花見ができないのが残念。
母親の車いすを押して、ちはら台(かずさの道)の桜を楽しんだ。90歳を過ぎた母親が今年も満開の桜を見ることができたことを感謝しなければならない。