新井郁男著『教育に”ひとこと”』を読む

 上越教育大学名誉教授の新井郁男先生より最近の御著書『教育に“ひとこと”』(時事通信社、2024、8.1)をお送りいただいた。これは、新井先生が1976年から最近まで47年間に、内外教育の「ひとこと」の欄に書かれた論稿から選んで、1冊の本にされたものである。現代の教育問題に関しては、幅広く深い視点から考察され、新井先生の博学でユニークな視点から考察されたものばかりで、考えさせられる内容が多い。たとえば、下記のような内容が書かれている。

①学習指導要領には、法的拘束力があることを、1976年の最高裁判決が認め、その際「最低限の基準と考える」ということと「教育政策上の当否はともかくとして」いう記述を残している〈96-7頁〉。② 生涯学習においては、個人の生涯にわたる学習という個人的な意味だけでなく、それを保証するソーシャルキャピタル(社会関係資本)の構築が必要である(108-9頁)。③ ESD(Education for Sustainable Development)は、社会の持続的な発展のためには、開発はどうあるべきか考え、実践するための教育。(したがって)、「持続可能な開発の為の教育」と訳すべき。(116-7頁)④  (学力評価)は、個人の「不足している部分」を調べているが(100点からの減点)、個人の「保存部分」(個性的能力)への働きかけがあってもいいのではないか(100点以上の評価があってもよい)。(118-9頁)⑤  J.デュ―イは、1938年の著作で、継続性(continuity)のあるexperience が重要だとしている。これは即時的な報酬ではなく、後の経験につながるものである。これが体験に相当する(120-1頁)。⑥ 習熟度別指導の効果は、上位と下位クラスの点数の差の増減を見るのではなく、それぞれのクラスが点数がどれだけ増減しかかを見るべきである(66-7頁)。

 さらに新井郁男著『教育展望セミナー第38回~52回 新井郁男 基調提案集-15年の軌跡』(教育調査研究所 2026年6月)、には、内外教育の短い「ひとこと」では書けないことが、詳細に書かれている。合わせて読むと、新井先生の教育論(教育社会学的考察)がよく理解できる。

昔過ごした場所を懐かしむ

歳をとると昔過ごした場所を懐かしむことが多くなる。もう四半世紀前になるが、家族で過ごしたウィスコンシン州の州都のマディソンでの1年間の生活は懐かしく思い出すことが多い。そこは人口20万人のうち5万人近くは大学関係者という大学街で、風光明媚な上、人々が友好的でそこに住んだことのある日本人は「ウィスコンシン大学マディソン校日本同窓会(日本人会)」まで作っている(https://madisonjapan.wixsite.com/mjahome)。

 今日たまたま再読した井上俊・甲南女子大学教授のコラム「教育の哀しみ」(『子ども・学校・社会』世界思想社、2006)には、昔のウィスコンシン大学の社会学の教授や学生について、有名な人がいたことが書かれていた。ガース教授やベッカー教授である。学生で在籍していたのはミルズ。いずれも社会学史に名前を残している大学者である(日本でも多くの翻訳がある)。学生(ミルズ)が優秀過ぎて教授と葛藤を起こした「教育の哀しみ」が、コラムには詳細に記述されている*。これ(教育の哀しみ)は夏目漱石が小説『こころ』の中で、「先生」が「私」に忠告したことでもある。

私は、UWで、多くの有名な教育学者(アップル教授、ポプケビッツ教授等)の授業も受講したが、同時に社会学部のガモラン教授やメッツ教授の教育社会学の授業も受講することができた。UWが社会学研究でも輝かしい伝統のある大学であることを井上俊教授のコラムから思い出し、昔のマディソンでの滞在を懐かしんだ。

*「人はしばしば、相手を教え育てる活動に従事しながら、しかもその活動が成就することをひそかにおそれる。そのため、目的の達成をなるべく引き延ばそうとする無意識的な傾向が生じたり、また客観的にみれば教育の成功であり目的の達成であるものが、相手の裏切りや忘恩と感じられたりすることがある。社会学の世界でいうと、たとえばC・W・ミルズ(1926-62)に対するハンス・ガース(1908-78)の感情はこれに近かったかもしれない。」【256頁】

日本における韓国ドラマブームについてー生成AIに聞く

質問―韓国ドラマの日本での流行について教えてください。日本でなぜ韓国ドラマブームが起きるのでしょうか? 3次まであったと聞いたことがあります。

回答(ChatGPT―韓国ドラマの日本での流行は、これまでに大きく3つのブームがありました。それぞれのブームの背景と、その理由について説明します。

 第1次ブーム (2000年代初期);代表作: 「冬のソナタ」-背景: 2002年に日本で放送された「冬のソナタ」が大ヒットし、ペ・ヨンジュン(ヨン様)ブームを巻き起こしました。このドラマの成功が、韓国ドラマの人気の火付け役となりました。理由: 感動的でロマンチックなストーリー、異文化の魅力、そして魅力的な俳優たちが視聴者を引きつけました。/ 第2次ブーム (2010年代初期)-代表作: 「美男(イケメン)ですね」、「花より男子」韓国版、「シークレット・ガーデン」,背景: 韓国ドラマの質が向上し、様々なジャンルの作品が登場しました。また、インターネットやSNSの普及により、韓国ドラマへのアクセスが容易になりました。理由: より多様なストーリーライン、魅力的なキャラクター、そして高い制作価値が視聴者を惹きつけました。/ 第3次ブーム (2020年代)-代表作: 「愛の不時着」、「梨泰院クラス」、「ヴィンチェンツォ」,背景: Netflixなどのストリーミングサービスの普及により、韓国ドラマが世界中で視聴可能となりました。特に「愛の不時着」は、日本でも大きな話題となりました。理由: グローバルなストリーミングプラットフォームの影響、韓国のエンターテインメント産業の成長、そして高品質な作品が視聴者の関心を集めました。

 韓国ドラマブームの理由-感情豊かなストーリーテリング: 韓国ドラマは、視聴者の感情に強く訴えるストーリーが多いです。恋愛、家族、友情など、普遍的なテーマを扱っており、共感しやすいです。 魅力的なキャラクター: 魅力的な俳優陣と、個性豊かなキャラクターが登場し、視聴者を惹きつけます。高品質な制作: 韓国のドラマ制作技術は非常に高く、美しい映像と緻密なストーリーが視聴者を引き込みます。 文化的な親近感: 日本と韓国は地理的にも文化的にも近く、共通の文化や価値観が多いため、視聴者が親しみやすいです。グローバルなストリーミングサービスの普及: NetflixやAmazon Primeなどのストリーミングサービスが、韓国ドラマを日本を含む世界中の視聴者に届けています。/ これらの要因が組み合わさって、日本での韓国ドラマブームが何度も巻き起こっているのです。

フラッシュモブ(Flash Mob)衰退の理由―生成AIに聞く

フラッシュモブ(Flash Mob)について、先の私の意見の一部も書いて「この頃は新しいものは全く見ないように思う。それはなぜでしょうか?」と生成AI(チャットGPT)に聞いてみた。。私の気が付かなかった点(新奇性の低下、安全性とセキュリティ、社会的な変化)も指摘してきて、そのバランスのいい回答に感心した。下記がその回答。

ChatGPTの回答―フラッシュモブの流行が下火になった理由について、あなたの意見にはいくつかの有力なポイントが含まれています。以下にその理由をいくつか挙げてみます。

 法律と規制の強化:公共の場所での大規模な集まりやイベントには、許可が必要な場合が多く、違反すると罰則が科されることがあります。これにより、フラッシュモブのような予告なしのパフォーマンスは実施が難しくなりました。/ プライバシーの保護:写真や動画を公開する際に、被写体の許可が必要になるケースが増えています。フラッシュモブでは、多くの無関係な人々が映り込むため、これをクリアするのは難しいです。 /新奇性の低下:フラッシュモブは一時的に非常に流行しましたが、頻繁に行われるようになると、新奇性や驚きが薄れてしまいます。人々が驚きや感動を感じにくくなると、その人気も自然に低下します。/ 安全性とセキュリティの問題:特に大都市では、突然の大規模な集まりはセキュリティリスクとみなされることがあります。警察やセキュリティ部門がこれに対して迅速に対応することが求められるため、実施が困難です。/ 社会的な変化:人々のエンターテインメントや交流の形態も変化しています。ソーシャルメディアの普及により、オンラインでのコンテンツ消費が増え、実際に集まってパフォーマンスを行うことの魅力が減少した可能性もあります。/ これらの理由から、フラッシュモブの人気が衰え、新しいものがほとんど見られなくなったと考えられます。あなたの意見は全体的に妥当であり、他にもいくつかの要因が組み合わさっていることが分かります。

昔のフラッシュモブ(Flash Mob)をみる

気が付かないうちに、社会(あるいは社会の雰囲気)は、少しずつ変化しているように思う。そのことで1つ感じるのは、(これは日本特有かもしれないが、)規則に縛られる息苦しさが増していることである。法や規則を遵守することは大切だが、それらはある目的を達成する為の手段に過ぎなかったものが、本来の目的を忘れ、手段である法や規則を遵守することが自己目的化してしまうことが、最近多いように思う。時には、目的を損なわない程度の規則違反は、大目に見るような寛容さはあっていいように思う。そのような寛容な空気は、日本社会の中で段々薄れていると感じる。。

一時、you tubeなどで、フラッシュモブが公開される機会がよくあった。この頃は新しいものは全く見ないように思う。フラッシュモブ(Flash Mob)とは、「ネットを通じて多くの参加者を誘い、街や駅、空港や公園など様々な公の場所で不特定多数の人にドッキリを行うという内容」。公共の広場や路上では、禁止事項が多く、その法律や規制が厳しく行われ、人々もその遵守に慣れっこになっている(プライバシーの保護もあり、許可のない写真の公開もできないのかもしれない)。それで、そのような場での突然のパホーマンスへの許容度は低くなり、フラッシュモブも行われなくなったのであろう。限られた場所での怒りをかわない芸能人への仕掛けが行われる「モニタリング」と、一般の人を対象にしてフラシュモブとは、スケールや質が違う。

私のブログでは、2018年10 月10日に、「秩序だった平凡な毎日の中に、少しの意外性のある出来事が起こると、人生にスパイスがふりかけられたようでうれしくなる。特にそれが、芸術性に富んだものであったら、思わず笑顔がこぼれる。そのようなものとして、Flash Mobがあるようだ。街中で、突然音楽が演奏されたり、ダンスが始まったり。全く期待していなかったことが始まり、生きていてよかったと思うのではないか。」と書いて、いくつかのフラッシュモブを紹介した。今回、下記のサイトも見て、昔を思い出し、、気分転換をはかった。

世界中のフラッシュモブ!素敵なダンス作品13連発