新型コロナ後の生活について

私達は、新型コロナ禍がワクチンの普及などで治まり、間もなく元の生活に戻れると感じているが、果たしてそうであろうか。

細菌の感染は、最初は動物から伝染したと言われる。人間は動物のお乳を盗み取ったり(牛乳)、卵を横取りしたり、動物を殺して食べたりしてきた。その罰として細菌の感染がある、とも言われている。アダムとイブが禁断のリンゴを獲って以来、人間は原罪を背負って生きてきた。同様に、人間は動物を騙したり殺したりした罪から、細菌感染は罰として永遠に免れないのかもしれない。

歴史を振り返ると産業革命により、多くの仕事がなくなり新しい仕事にとって代わり、人々の生活も大きく変わった。新型コロナ禍は、産業革命と同様の変化を人々の職業や生活の変化を強いているのではないか。それが原罪に近く、消えるものではなく、永遠に続くものかもしれない。そうだとすると、もうすぐ元の生活に戻るというのは、楽観視過ぎるかもしれない。

新型コロナ後の生活様式は全く違うものになる覚悟が必要かもしれない(産業革命後の生活が一変したように)。

3密を当然としていた生活は、今後ありえないかもしれない。人との密なコミュ二ケーションや集団生活は、なるべく避けるようなライフスタイルになるのでないか。友人関係も恋愛や結婚も、これまでのような密の形態ではなく、なるべく距離をとりリモートでということになる。子どもが集う学校という制度も時代遅れとなり、遠隔(リモート)教育が主となる。仕事もリモートで、買い物も通信販売でとなる。飲み会というものもなくなり、レストランや飲み屋は必要なくなる。飛行機を使った遠方への移動は、密で危ないとなれば、飛行機自体が必要なくなる。都会に人が集まるのは危険で、地方に分散して住むようになる。――このくらいライフスタイルの大きな変化を私たちは覚悟しなければならないのかもしれない。(最近のネット記事や資料を読んで、このように感じた)。

教え子が有名になるということ

テレビに、有名人の昔の担任の教師が呼ばれたりすることがある。それを見ると、何か呼ばれた教師が哀れに思えて仕方がない。何故なのかよくわからない。教え子が有名になったのだから、それを教えた教師はそれ以上の存在で胸を張ればいいともいえる。でもそうは思えない。有名人にあやかろうという「さもしさ」を感じてしまうからかもしれない。

教え子が自分の得意分野とは違うところで有名になった場合は、自分は、(教師なのに)彼(彼女の)才能を見抜けかったとか才能の開花に何の貢献もできなかったという後悔の念がある。新聞でかってのゼミ生の名前を見て、このようなことを感じた。

久しぶりの御宿海岸

稲毛海岸は自分の生まれ育ち、子育てをした場所であり一番懐かしさを感じる場所であるが、東京湾内にあり水はあまり綺麗とは言えない。それで時々、外房の太平洋の綺麗な砂浜や海水を見たくなる。

久しぶりに訪れた外房の御宿海岸は、相変わらず広い砂浜と綺麗な水は健在であった。皇帝ダリアの植わっているところも近くにあり、その品のある花を観賞した。

日本語、日本学の日中シンポジウムを聞く

オンライン(ズーム)で日本語と日本学に関するシンポジウムが上海の同济大学開かれるとい案内を同大学に勤める友人よりもらい、少し覗かせてもらった。日本語や日本研究が中国で盛んに行われ、日中の研究者や教師が集い、日本語と中国語で研究発表や交流が盛んに行われているということはとても素晴らしいことだと思う。私も8年前、同済大学で開催された学会に加藤幸次先生と一緒に参加し、日本の大学と学生の現状に関して発表したことがある(2012年6月11日、12日のブログにその様子を記載した)。

今回は、都留文科大学の田中実・名誉教授の「第三項理論と日本近代文学研究–村上春樹の『猫を棄てる』から『一人称単数』まで」と、日本語学の部会の早稻田大学の戸田貴子教授の「日本語教育と日本学研究:オンライン化がもたらす新たな学びのかたち」の発表との2つの発表を聞かせてもらった。

前者の村上春樹が中国でどのように読まれているのかという内容には興味があった。ただ、同時開催の為、オンライン化の学びの方に惹かれ、後者の方を集中的に聞かせてもらった。山田教授の報告では、早稲田大学で、留学生に日本語を教えるのに、オンラインと対面授業をどのように組み合わせ、ブレンドするかが大事と言う話であった。オンラインも既存の大学外の各種のリソースを(ムンク等)も使い、反転学習も使い、対面授業では討論や発表を中心に行い、いかにさまざまな方法を駆使するかが勝負どころということを理解した。戸田教授の発表は、外国人の学生に対する日本語教育の方法に関するものであるが、その他の授業にも使えるものであり、万国共通のもので、教えられることが多かった。具体的な方法に関しては、山田教授の研究室のHPに詳しい(http://www.gsjal.jp/toda/)。

ふるさとの4番(2020年)

今年の敬愛大学の授業でも、「地域社会と教育」のことを扱うところで、西島央氏の考案した「ふるさとの4番」(添付参照)を作る作業をしてもらった。学生はコロナ禍で、自宅に籠る日々が続く中で、地元(ふるさと)への愛着を強めているように感じた。また「変わりばえしない この町 下を向く 若者 古き良き 美しい日本 世界に誇れる 我が国」というように、日本という国に対する愛着も高め、国際性は薄れて、視野が狭くなっているようにも感じた(添付参照)。