理系の女子を増やす授業づくり

 日本で理系の女子が少ないことがよく話題になるが、ジェンダーの平等の視点から、学校(特に中学校)で具体的にそのような取り組みをすればいいのかの授業例を作成したものを、卒業生から送ってもらったので紹介する。

 『男女共同参画の視点を取り込んだ授業づくりのサポート資料集~中学校の理数系教科教員向け資料~』(内閣府委託調査研究)である。

 それは、内閣府男女共同参画局「リコチャレ」HP内の「関連調査研究」( https://www.gender.go.jp/c-challenge/about_rikochalle/index.html)から見ることができる。「理科教育学や数学教育学の研究者とコラボして、現場の教員に役立つ授業案を提案」したものとのこと。

クラスメンバーや担任の決め方。

特に小学校で、上の学年に進級する時、子どもや親にとって、新しいクラス(学級)がどのようなメンバーになるのか、担任は誰になるのかは、大きな関心事であろう。どのようにしてそれが決まるのかベールに包まれているが、知り合いの元小学校教師に聞いてみた。次のような回答であった。

元の学年の担任たち(団)が集まり、児童の属性や特質を考え、偏らないように各クラスに均等に配分する。その児童の属性や特質とは、性別、成績、運動能力、音楽能力、地域,親のPTA役員歴などである。過去の交友関係からいじめが起こらないようにも配慮することもある等。教師がどのクラスを担任するかは、校長が決める。

小学1年生や2年生はベテラン教師を配置し、しっかりしつけて学級崩壊が起こらないようにする。1年生に給食当番などの仕方を教えるのは、大変な作業である。しつけのできている3年生には、新任教師を配置しても大丈夫とのことなどを聞かされた。子どもや親の知らないところにも、学校はいろいろ配慮しているものだと感心した。

風の便り 20号 21号 22号

「浜町から風の便り」の20号(2021.3.15)、21号(4.1)、22号(4.15)を送っていただいたので、掲載する。さまざまなことが取り上げられている。22号には、珍しいカメムシの写真が掲載されている。

(横になっている添付をを縦にしてご覧ください、また各号、印刷の関係で、4ページ目が最初にきています。下記は一部再掲)

伊藤彰浩『戦時期日本の私立大学ー成長と苦難』を読む。

伊藤彰浩氏(名古屋大学教授)より、近著『戦時期日本の私立大学ー成長と苦難』(名古屋大学出版会、2021,4)を送っていただいた。300ページを超える大著、しかも膨大な歴史的な資料やデータの発掘や、その丹念で緻密な分析、膨大な註(56ページ)参考文献(11ページ)にも、感心させられた。
戦時期の日本の私立大学は、政府や軍部の上からの強い命令に従順に従い、存続をひたすら図ったと思いがちだが、そのような思想や学問への弾圧という側面だけでなく、個々の大学の経営行動や財政的な側面、そして学生の進学行動が、個々の大学のあり方たを決定づけていたことが、具体的なデータをもとに実証されている。その手法は教育社会学的で、鮮やかである。大学規模別にも様々なタイプの私立大学があり、大規模の日本大学と小規模の上智大学の規模の違いによる戦時期の大学生き残り戦略の分析も興味深い。文部省の態度がはっきりせず、それを見破り、したたかに対応を図る私立大学もあったことも明らかにされている。戦時期の私立大学を、このような視点から実証的に研究したものははじめてで、著書の大変な努力がうかがえる。後世に残る大学史の研究書になるものと思う。本書の分析対象が、1945年の敗戦時点で、大学令による認可を受けて存在していた27校に限られていたが、その他の高等教育機関、専門学校(戦後大学に昇格した例えば成城、成蹊、学習院,武蔵など)が、戦時期にどのような状態であったかもさらに知りたくなる。さらに、戦時期の各大学や高等教育機関の在り方が、戦後にどのように生かされたかも。

遠藤周作『結婚』(1962)を読む

暇で、手元にあった小説を読んだ。読んだ本は遠藤周作の『結婚』(講談社、1962年)。遠藤周作(1923-1996)が40歳前後の時に書いたもので、今から60年くらい前のもの。その頃はお見合い結婚が多く、堅実な堅物な男とお見合い結婚した女性が、真面目な夫に生活の安定を感じながらも、何か物足りない、若い時の淡い恋(初恋の相手が徴兵で戦地に赴く前の思い出等)を思い出すというものが多い。一つ、気になった短編があった。

それは、5話の「夫婦の損得」。学歴もなく背も低くあまり見栄えもしない平凡な男が、姉の持ってきた田舎出身の同じく背の低い、目鼻立ちのぱっとしない娘を嫁にもらい、結婚生活を始めるのだが、「こちらはお前を食わしてとる(のに)、お前は気がきかん」と妻を叱ることが多かった。妻は、叱られるたびにますますおどおどとして不器用になり、黙ってしまう。そして、妻は1年目は木の根のように丈夫だったが、2年目から熱を出し始め、医者に行くと「白血病」と診断され、入院して1年余りで亡くなってしう。男の思いは、「結婚にはツキがなかった」「妻の病気によって妻から何もサービスを受けぬ夫になってしまった」「なんのために結婚したのかわからぬ」というもので、姉からも「本当のことを言えば、(彼女がなくなって)ほっとしたろう」と言われるものであった。妻の死後、たまたま次のような妻のメモ書きを見て、男は驚き、悔いたという話。その妻のメモは、次のように書かれていた(一部転載)。

「私はあなたに何かしてあげたいけれど何もできない。だから、私は今の自分の病気が、もしあなたがいつか病気になった時の身代わりにであるようにいつも神さまや仏さまにお願いしているのです。あなたがその時、苦しまないように、私にもっと、もっと痛さや苦しみを与えてくださいと祈っているのです。それが、それしか、私はあなたにしてあげられません。でも夫婦なのですもの。それだけでも私はうれしいので、、」

夫が「この結婚によって受け取るものがなく損をした」と感じていることを知っていた妻が、そのような損得勘定の打算的な夫に対する思いが、(普通考えもつかない)深い愛の気持ち(祈り)だということある。これは著者の遠藤周作がカトリック信者だということと関係しているのであろうか。この妻の思いは、遠藤周作の『沈黙』や『私が捨てた女』に出てくる登場人物に通底するもので、宗教的なものであると思う。同時に、江藤淳のいうような日本的な「母」の文化(『成熟と喪失』)もそこに感じられる。