生涯学習に関して生成AIに質問する(その1)

「教育社会学」が専攻というと、昔はよく「社会教育学」が専攻とよく間違えられた(今もそうかもしれない)。学校教育以外の教育を指す「社会教育(学)」の方がわかりやすいし、「社会」と「教育」の順序が入れ替わった「教育社会学」は「社会教育学」と同じものと思われたのかもしれない。その後、社会教育は、生涯教育とか生涯学習という言葉に置き換わるようになった。私自身は、学校教育や高等教育に関心があり、社会教育や生涯学習に関心をいだく余裕はなかった。その為、社会教育や生涯学習のことに関しては、全く無知である。

 以前(2024年2月25日)のブログに詳しく書いたことであるが、上智大学時代の同僚に、生涯教育が専攻の香川正弘教授がいらしゃった。私と年齢も近く、研究室も隣であったので、よくいろいろ話をさせていただいた。学究的な方で、研究方法に関しては、いろいろ教えられることが多かった。教育における歴史研究の重要性や、論文の引用は専門書から行うべきで新書から行わってはいけない等。お互いの研究室で話した時間は長い。その香川教授の書かれた論文「イギリス成人教育史研究をめぐる研究者の絆」(UEJジャーナル第33号)を最近読んで、生涯学習(教育)の起源やモデルの1つは、イギリスにあること、東大の宮坂広作教授もその研究をしていたこと。しかし、二人の研究の学問的な意義が世に十分に認められたとは言えず、後継者も育ったなかった無念があることなどを知った。私も生涯学習に関して少し関心を持ち、2つの生成AIにいくつかの質問をしてみた。それは学部学生レベルの初歩的な質問だが、生成AIはその分野の全体を俯瞰したわかりやすいい回答を寄せてくれる。その3つの質問と回答を下記に記す。

質問(自分)ー生涯学習というのがなぜ必要なのかわかりません。個人の成長や暇つぶしの為でしょうか。あるいはキャリアップの為ですか。それは個人が努力すればいいことで、国家が関与すべき事柄ではないと考えられませんか?

Chat GPTの回答

生涯学習(Lifelong Learning)は、個人の成長、キャリアアップ、社会的な参与など、さまざまな目的や利点があるとされていますが、なぜそれが必要とされるのか、そして国家が関与すべきかどうかについては、複数の視点から考えることができます。/ 1. 個人の成長と充実―生涯学習は、個人が新しい知識やスキルを習得し続けることで、自己実現や充実感を得る手段となります。特に急速に変化する現代社会では、学び続けることで自分の興味や関心に応じて自己を高めることが可能です。これにより、人生をより豊かにし、意味のある時間を過ごすことができるでしょう。/ 2. キャリアアップと経済的安定―現代の労働市場では、技術や知識が急速に進化しており、キャリアを維持・発展させるためには新しいスキルの習得が必要です。生涯学習を通じてこれらのスキルを磨くことで、労働者は経済的な安定を維持し、また雇用機会を広げることができます。/ 3. 社会的な貢献と市民意識の向上―生涯学習は、個人がよりよい市民として社会に貢献するための手段でもあります。例えば、社会問題や政治についての知識を深めることで、民主主義社会における有意義な参与が可能になります。また、リタイア後の活動として地域社会への貢献やボランティア活動を行うためにも、生涯学習が役立つことがあります。/  国家の関与についてー国家が生涯学習を推進する理由はいくつか考えられます。まず、国民全体のスキル向上は経済成長や社会の安定に直結します。労働力が高度な知識を持ち続けることで、産業の競争力が保たれるだけでなく、イノベーションの促進にもつながります。また、教育格差や機会の不平等を是正するためにも、国家の支援が重要です。すべての人々が学ぶ機会を持てるようにすることで、社会的な分断や不公平感を減らすことが期待されます。/ したがって、生涯学習は単なる個人の趣味や努力の問題に留まらず、社会全体の発展や安定にも寄与する要素と考えられます。このため、国家が関与し、政策的に支援することには意義があるとされます。

Bing Chatの回答

生涯学習についての疑問、興味深いですね。生涯学習が必要とされる理由は多岐にわたります。/ ① 個人の成長: 新しい知識やスキルを学ぶことで、自己理解が深まり、自己実現の機会が広がります。/ ②キャリアアップ: 職場でのスキルアップや新しいキャリアパスを開拓するために、継続的な学習は重要です。特に技術の進歩が速い現代では、最新の知識を持つことが競争力を保つ鍵となります。/ ③ 社会的な役割: 生涯学習は、社会全体の知識レベルを向上させ、経済の発展や社会の安定に寄与します。教育を受けた市民は、より良い意思決定を行い、社会に積極的に参加することができます。/ 国家が生涯学習を推進する理由は、個人の努力だけでは限界があるからです。教育機会の提供や学習環境の整備は、国家の役割として重要です。これにより、すべての人が平等に学ぶ機会を得られ、社会全体の発展に寄与することができます。

大学卒業後10年

昨日(8月10日)、舞浜のホテルで、10年前に敬愛大学こども教育学科を卒業したお二人(石井翔君と沙緒里さん)の結婚式と披露宴があった。素敵な会で、結婚する二人の笑顔に皆癒され、末永い幸せを願った。同期性も15名ほど出席していた。卒業後10年も経つと、皆立派な大人に成長していて感心した。もちろん個人の努力の賜物と思うが、。敬愛大学の教育の成果も感じた。同期生は7~8割方、小学校教師になっていて、千葉県の教育を担っている。活躍を期待しい。

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憑依(ひょうい)とは

生成AIへの質問1―憑依とは何ですか? オリンピック選手に、国民の期待が憑依することはありますか?

ChatGPTの回答―憑依(ひょうい)とは、ある人の精神や意識に他の存在や力が取り付くことを指します。これは宗教的やスピリチュアルな文脈で使われることが多く、神や霊、あるいは他の超自然的な存在が人間の体や心に宿る現象を指します。/ オリンピック選手に対して「国民の期待が憑依する」という表現は、選手が国民全体の期待や希望を背負っている状況を示す比喩的な表現として理解できます。この場合、選手は自分自身の目標や夢だけでなく、国民全体の期待も一緒に抱えながら競技に臨んでいるという意味になります。/例えば、日本のオリンピック選手が大会に出場する際、多くの日本人がその選手を応援し、勝利を期待しています。選手はその期待を感じ、プレッシャーとして感じることがあるでしょう。したがって、国民の期待が憑依するという表現は、選手がその重荷を感じながらパフォーマンスをすることを強調しています。

質問2―オリンピックで国民の期待を憑依された選手が、負けた時、その選手はどのような感じますか。そしてどのような行動をとることが多いですか? 

ChatGPTの回答―オリンピック選手が国民の期待を背負いながら競技に臨み、結果として負けた場合、その感情は非常に複雑で個人差がありますが、一般的には以下のような反応が見られることが多いです。/ 感情―失望感: 自分自身の期待だけでなく、国民の期待にも応えられなかったことに対する失望感が強く現れます。/ 自己嫌悪: 自分のパフォーマンスに対する不満や後悔が生まれることがあります。/ プレッシャーからの解放感と喪失感: 長期間にわたって感じていたプレッシャーから解放される一方で、それが終わったという喪失感も感じることがあります。/ 悲しみと悔しさ: 努力が報われなかったことに対する悲しみや悔しさが強く現れることがあります。/ 行動―涙を流す: 感情が高ぶって号泣する選手も多いです。これは自然な感情の発露として理解されます。謝罪: メディアを通じて応援してくれた国民や関係者に対して謝罪することがあります。静かに受け入れる: 感情を抑えて、静かに結果を受け入れる選手もいます。反省と振り返り: 試合の結果を振り返り、自分のミスや改善点を冷静に分析しようとする行動も見られます。 サポートの感謝: 応援してくれた人々に対して感謝の気持ちを表すこともあります。/ 選手の反応はその人の性格や精神的な強さ、経験により異なりますが、多くの選手は自分の感情を素直に表現し、その後は次の目標に向けて前向きに進もうとする姿勢を持つことが多いです。

質問3ー日本は他の国より憑依が起こることがよくあるということはありますか? また日本で憑依が強い地域はありますか。

ChatGPTの回答ー日本で憑依現象が他の国よりも頻繁に起こるということは、科学的な根拠や統計データに基づいているわけではありません。しかし、日本の文化や宗教的背景には、霊や神々の存在が強く影響を及ぼしているため、憑依現象や霊的な体験が報告されやすいという面があります。/ 日本では、憑依現象に関する話や信仰が特に強い地域として、以下のような場所が挙げられます:/ 沖縄県: 沖縄は古くから独自の宗教や信仰があり、霊的な存在や先祖崇拝が深く根付いています。「ユタ」と呼ばれる霊媒師が存在し、憑依や霊的な問題を解決する役割を果たしています。/ 東北地方: 東北地方もまた、霊的な信仰や風習が強く残っています。特に岩手県や青森県では、憑依や霊的な体験を語る話が多くあります。/熊野古道(和歌山県): 熊野古道は古くからの霊場であり、多くの巡礼者が訪れる場所です。霊的な体験を報告する人も少なくありません。/ これらの地域では、伝統的な信仰や風習が現代でも色濃く残っており、憑依現象や霊的な体験が報告されることが多いと言われています。ただし、こうした現象は科学的に証明されているわけではなく、信仰や文化的背景による影響が大きいと考えられます。

    風の便り70号

    風の便り70号を8月1日に受け取る。今回は、トンボの話。トンボを見る機会は昔に比べると少なくなったが、それでもムギワラトンボ、シオカラトンボ、赤とんぼなどは、まだ見るように思う。昔よく見たオハグロトンボ、ギンヤンマやオニヤンマはあまり見ないように思う。トンボというとやはり小学校の頃の昆虫採集を思い出し、心が痛む。辻氏が書いているように、飛行機はトンボを模したものなのであろうか。生成AIに聞いてみた。

    <初期の飛行機設計にはトンボの飛行メカニズムが参考にされました。特に、トンボの翅の構造や飛行の安定性は、飛行機の設計において重要なインスピレーション源となりました。例えば、ライト兄弟が初めて飛行機を設計する際には、鳥や昆虫の飛行を研究し、その中でトンボの飛行特性も観察されました。トンボは非常に安定した飛行をするため、その翅の動きや構造が飛行機の翼の設計に影響を与えました。トンボのように、自然界の生物から学ぶことで、飛行機の設計や技術が進化してきたのです。>(Bing Chat)。

    『教育社会学研究 第114集』を読む

    連日30度以上35度近くの猛暑が続くと、クーラーのある家から外に出る気もなくなる。午前中の早い時間であれば、暑さに抗して外でテニスや卓球ができないわけではないが、その後は疲れて、何もできないた1日になってしまう。昨日(26日)は、クーラーのある部屋に1日いて、最近送られてきた学会誌『教育社会学研究第114集』(東洋館、2024、7)に目を通した。現役で働いていた時は、忙しく学会誌が送られて来ても、直ぐ目を通す時間はなく、また目を通しても興味をもった箇所だけだった。今回は、他にやることがなく、冊子全部に目を通した。このようなことができるのは、退職者の特権である。記憶に残った点を記録に残しておきたい。

    1. 一般の市民が大学教員を、専門職としてみなしていないという結果を示している論稿があった(村澤昌崇他「大学教員の変容と市民社会の変容」)。大学教員が「専門職」とみなす人が45.2%と、医師86.8%、弁護士90.9%、小学校教師49.1%より低くなっている。「理論的な専門知識の必要性が高い」という評価が、医師74.7%,弁護士69.6%に対して大学教員は38.2%と低く、小学校教師31.1%とほぼ同じである。「仕事のやり方が自分で決められる率が高い職業」は、医師16.5%,弁護士23.5%に対して大学教員は14.7%と低い。小学校教師は3.6%。「高い倫理性が求められる職」は、医師、弁護士6割に対して大学教員は34.7%と低く、小学校教師47.6%より低い。「社会にとって重要な役割を果たしている」は、医師74.5%,弁護士36.4%に対して大学教員は16.1%と低く、小学校教師38.7%より低い。このように、一般市民の大学教員に対する評価は、思った以上に低い。/大学教員や大学が、「学問の自由」をいくら主張しても、それに対して政府がいくら介入しても、市民は政府に反対しないのではないかと感じた。(ただ、この結果は私の認識とかなりかけ離れており、WEB調査ということであるが、どのようなサンプリングでどのような人が回答しているのか、疑問も感じた)。
    2.  母親が性別役割意識をもっているかいないかで、子どもの家事の手伝いのさせ方に性別差があるかどうかを調べた調査で、予想に反して、性別差がなかったという結果が報告されていた(戸高南帆「どのような母親が家事を子どもにしつけるのか」)。親の意識と子どもへのしつけ行動は別という考察であった。そもそも日本では親が子どもにお手伝いをさせることは少ないのではないか(一方で、ヤングケアラーの子どもは増えているが)
    3.  親の子どもへの教育態度には、教育・地位達成を求めるものと、社会貢献を求めるものがある。前者の達成に影響を与えるものとして親の社会階層があるが、後者に影響を与えるものは、親の人間関係やソーシャルネットワークや社会関係資本であるという仮説で、データで検証した論稿があった(荒牧草平「教育態度に関する社会階層と親族ネットワークの影響」)。親の人間関係が、子どもの社会貢献意識を高めるという仮説と検証には、若干違和感を感じた。高い社会的地位の達成より人の役に立つ職業に就きたいという子どもは、豊かな社会の中で一定程度いると思うが、それがどのような社会層からどのようなしつけや教育のもとで出てくるのかさらに研究が必要だと思う。難民支援や特別支援、看護師志望やボランティア活動は、どのような人が志願するのか。同時にに、一般の人の利己主義ではない利他主義志向が、どのような契機で形成されるのかのを知りたくなった。
    4.  女子生徒で、特に中学校時に「女子のグループ」から排除されて、不登校におちいるものが多いという。その集団からの排除の起点には、「規範からの逸脱や目立つ言動、リーダーに逆らう行為」があり、その(排除の)理由には男子生徒の支持もあり、教員も同調し「お前が悪い」とその女子生徒を叱責し、女子生徒は学校に居場所を失い、不登校におちいるケースが多いという、インタビューによる女子の生徒文化研究は、なかなか興味深い。(大久保遥「女子グループからの排除と学校からの排除」
    5.  学校教員は、児童生徒が学習塾に通うことをどのように感じているのか。学校教員と塾講師の違い、特に専門職性の違いをどのように考えているかを、学校教員にインタビューした結果からの考察の論稿があった。Foumierのバウダリー・ワーク理論を使っての考察であるが、これまでの教員の専門職論に一石を投じるものとして読んだ(溝脇克弥「学校と学習塾の<境界。:学習指導をめぐる教師の専門性の構築過程」)
    6.  職業教育と労働市場の関係を考察する時、高校の学科(普通科かそれ以外か)や学歴別や大学の専攻別の就職状況を調べることが多いが、職業と密接に結びついている専門学校や、職業とは無縁の芸術系の大学の学生の就職就業状況を調べることにより、これまで見えていなかったものが明らかになるという報告(課題研究報告 「職業教育と労働市場の関係を捉えなおす」)に、興味をひかれた。