「資質・能力」について2

質問―文部科学省が最近の「学習指導要領」等でよく使う「資質・能力」という言葉がよく理解できない。「資質」と「能力」は全く違う言葉である。つまり、「資質」は、その人が生まれつき備えている性質や才能のことであり、「能力」は、環境や教育などによって、その人の中に形成される物事を成し遂げる性質のことである。つまり先天的なものと後天的なものという違いがある。文科省は「資質・能力」が大切ということで、先天的なものと後天的なものの両方(やそのコラボ)が必要ということ強調するのかと思うとそうではない。「資質・能力」は、「知識及び技能」と「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」の3つから構成されているという説明をする。これでは「資質・能力」という言葉との関連が全く理解できない。特に先天的な「資質」をどのように考え、どのように扱うのかが全く説明されていない。  この意見に関してどう思いますか?

ChatGPTの回答

この問題提起は非常に興味深いと思います。特に「資質」と「能力」という言葉が持つ伝統的な意味合いと、文部科学省が使う際の違和感についての指摘は重要です。一般的に「資質」は生まれつきのもの、「能力」は後天的に獲得されるものと理解されることが多いですが、文部科学省の使い方がこの定義と一致していないように感じられるのは無理もありません。/文部科学省が「資質・能力」という言葉を使う際、その具体的な構成要素として挙げている「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」は、確かに先天的な「資質」を直接示しているようには見えません。そのため、文科省が「資質」という言葉をどう解釈しているのか、はっきりと説明されていないと感じるのはもっともです。文科省の「資質・能力」という概念は、教育を通じて育成される「全体的な力」を指している可能性があります。この場合、従来の「先天的な資質」や「後天的な能力」という明確な区別を曖昧にし、「人が教育によって伸ばすことができる力」全般を含む広い意味で使われていると考えられます。このように、教育によって「資質」も「能力」もどちらも伸ばせるという一体的な視点が背景にあるのかもしれません。/ただし、あなたが指摘するように「先天的な資質をどう考え、どう扱うのか」という具体的な説明が欠けている点は、非常に重要な問題です。先天的な要素も教育において無視できないものですから、文科省がこの点をもう少し明確に示すべきかもしれません。/このように、「資質・能力」という言葉が従来の意味と異なり、教育の中での成長や発展に重きを置いた新たな解釈を含んでいる可能性が高いですが、確かに先天的な資質に対する説明不足は改善の余地があると感じます。

「資質・能力」について

文部科学省が最近の「学習指導要領」等でよく使う「資質・能力」という言葉がよく理解できない。「資質」と「能力」は全く違う言葉である。つまり、「資質」は、その人が生まれつき備えている性質や才能のことであり、「能力」は、環境や教育などによって、その人の中に形成される物事を成し遂げる性質のことである。つまり先天的なものと後天的なものという違いがある。文科省は「資質・能力」が大切ということで、先天的なものと後天的なものの両方(やそのコラボ)が必要ということ強調するのかと思うとそうではない。「資質・能力」は、「知識及び技能」と「思考力・判断力・表現力」「学びに向かう力・人間性」の3つから構成されているという説明をする。これでは「資質・能力」という言葉との関連が全く理解できない。特に先天的な「資質」をどのように考え、どのように扱うのかが全く説明されていない。これは、OECDの「コンピテンシー」の翻訳なのかと思い、生成AIに聞いてみた。下記のような回答が返ってきた。関連があるようなないような、曖昧の回答であった。

質問ー文部科学省のいう「資質・能力」に関して、説明してください。これはOECDの「コンピテンシー」と関係がありますか。 

チャトGPTの解答

文部科学省がいう「資質・能力」の概念は、OECDの「コンピテンシー(competencies)」と関連がありますが、完全に同じものではありません。文部科学省の定義は、日本の教育制度や文化に合わせた形で展開されており、OECDの考え方を参考にしながらも独自の視点を取り入れています。/資質・能力の定義;文部科学省の「資質・能力」は、主に以下の3つの観点に分けられます:①知識及び技能:基礎的な知識や技術の理解と活用力。②思考力・判断力・表現力:情報や知識を活用し、自ら考え、適切に判断し、それを表現する力。③学びに向かう力・人間性:主体的に学び続ける姿勢や、他者と協力し合う人間関係を築く力。/OECDのコンピテンシーとの関係―OECDの「コンピテンシー」は、PISA(Programme for International Student Assessment)などで強調されており、特に知識を活用する能力や問題解決能力が重視されています。OECDの定義によれば、コンピテンシーは単なる知識の習得にとどまらず、さまざまな状況において知識を効果的に活用する能力を指します。これには以下のような要素が含まれます:①認知的スキル(考える力、問題解決力)②社会的・感情的スキル(他者との協力、コミュニケーション能力)③自己管理能力(自己を律する力)文部科学省がいう「資質・能力」の概念は、OECDの「コンピテンシー(competencies)」と関連がありますが、完全に同じものではありません。文部科学省の定義は、日本の教育制度や文化に合わせた形で展開されており、OECDの考え方を参考にしながらも独自の視点を取り入れています。/資質・能力の定義;文部科学省の「資質・能力」は、主に以下の3つの観点に分けられます:①知識及び技能:基礎的な知識や技術の理解と活用力。②思考力・判断力・表現力:情報や知識を活用し、自ら考え、適切に判断し、それを表現する力。③学びに向かう力・人間性:主体的に学び続ける姿勢や、他者と協力し合う人間関係を築く力。/OECDのコンピテンシーとの関係―OECDの「コンピテンシー」は、PISA(Programme for International Student Assessment)などで強調されており、特に知識を活用する能力や問題解決能力が重視されています。OECDの定義によれば、コンピテンシーは単なる知識の習得にとどまらず、さまざまな状況において知識を効果的に活用する能力を指します。これには以下のような要素が含まれます:①認知的スキル(考える力、問題解決力)②社会的・感情的スキル(他者との協力、コミュニケーション能力)③自己管理能力(自己を律する力)/共通点:両者とも、知識の習得だけでなく、それをどう活用するかに重点を置いています。また、21世紀の複雑な社会に対応するため、単なる暗記や技術に留まらない広い能力を求めています。違い:文部科学省の「資質・能力」には、日本の教育に特有の価値観や文化的背景が反映されており、特に「人間性」や「学びに向かう力」など、人格形成や態度の部分が強調されています。これに対して、OECDの「コンピテンシー」は、よりグローバルな視点から定義され、国際的な基準に沿って、実際のパフォーマンスやスキルに焦点が当たっています。このように、文部科学省の「資質・能力」はOECDのコンピテンシーの影響を受けつつも、日本の教育の目標や文化に適合した形で展開されています。

Bing チャトの回答

文部科学省が提唱する「資質・能力」という概念は、OECDの「コンピテンシー」と非常に関連しています。文部科学省は、教育の目標として「資質・能力」を育成することを掲げており、これはOECDが提唱する「キー・コンピテンシー」と多くの共通点があります。/具体的には、文部科学省の「資質・能力」は以下の3つの柱で構成されています.①知識・技能:基礎的な知識や技能の習得。②思考力・判断力・表現力:問題解決や意思決定、創造的な思考を行う力。③学びに向かう力・人間性:主体的に学び続ける力や他者と協働する力。/一方、OECDの「キー・コンピテンシー」は、以下の3つのカテゴリーに分類されます:①インタラクティブな道具の使用:言語、シンボル、テクノロジーの効果的な使用。②異質なグループでの交流:他者と協力し、共に働く能力。③自律的な行動:個人としての責任を持ち、自己管理する能力。/このように、両者は教育の目標として求められる能力に多くの共通点があり、文部科学省の「資質・能力」はOECDの「コンピテンシー」の概念を取り入れていると言えます。

「主体的・対話的で深い学び」の起源

文部科学省の提唱する「主体的・対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)は、OECDの教育論が基になっている、という説明を人から聞くことが多い。また、欧米の教育論に詳しい松尾知明氏の著作(『21世紀型スキルとは何か――コンピテンシーに基づく教育改革の国際比較』 2015)にもそのような説明があったように思う。元の原典に戻ってその詳細を確かめるべきなのだが、専門外ということもありそれが出来ない。さしあたり生成AIに聞いてみた。一瞬でその解答が得られるというのが凄い。以下、その解答を示す(真偽はわからないが)。

生成AI(Bing Chat & Chat GPT)に、「成長物語」に関して聞く  

質問1 -15少年漂流記は、どのような成長物語ですか? 教育の場で教材として使うことはできますか?

A ChatGPT回答ー『十五少年漂流記』(Deux Ans de Vacances)**は、フランスの作家ジュール・ヴェルヌによって書かれた冒険小説で、無人島に漂着した少年たちが協力して生き延びる姿を描いています。この物語は、成長と自立のプロセスを通じて重要なテーマを探求しており、教育的な観点から見ると、多くの価値を提供することができます。成長物語の要素:協力とリーダーシップ:少年たちは、指導者を選び、それぞれの役割を理解し、困難を乗り越えるために協力し合います。(中略)教育現場での教材としての利点:道徳教育:『十五少年漂流記』は協力、リーダーシップ、自立、責任感など、現代の道徳教育において重要なテーマを探究しています。これらの価値観を生徒に教えるのに適した物語です。異文化理解:ヴェルヌはフランスの作家ですが、物語の設定やキャラクターの多様性は異文化理解の機会を提供します。国際的な視点からの問題解決や社会性も学べるでしょう。問題解決能力の向上:少年たちが無人島で直面する数々の困難は、現代の教育においても重要視される「21世紀型スキル」(批判的思考、創造性、コミュニケーション能力、協力など)を養うのに役立ちます。(以下略)

質問2―蠅の王は、どのような物語ですか? 蠅の王を、教育の場で、教材として扱うことは可能ですか?

Bing チャトの回答―『蠅の王』(原題:Lord of the Flies)は、ウィリアム・ゴールディングによる1954年の小説です。この物語は、飛行機事故で無人島に漂着した少年たちが、文明から切り離された環境でどのように行動するかを描いています。最初は協力し合って生き延びようとしますが、次第に対立が深まり、暴力と混乱が支配するようになります。物語は、人間の本質や社会の脆弱さを鋭く描き出しています。教育の場で『蠅の王』を教材として扱うことは十分に可能です。この小説は、リーダーシップ、倫理、社会構造、そして人間の本質について深く考えさせる内容が含まれており、文学や社会学の授業で非常に有益です。ただし、暴力的な描写も含まれているため、年齢や理解力に応じた適切な指導が必要です。この物語を通じて、学生たちは人間の行動や社会の成り立ちについて深く考える機会を得ることができます。どのようにリーダーシップを発揮するか、倫理的な判断を下すことの重要性、そして社会の中での個人の役割について議論することができます。