中秋の名月

今日は「中秋の名月」。ゲームに夢中の子ども(孫)たちに、「今日はちゅうしゅうのめいげつだから、月を見ようと」と無理やり2階のベランダに連れて行った。くっきりとした綺麗な月を見ることができた。「1年中で一番月が綺麗に見える日で、中秋の名月というんだよ」と説明したが、中秋の名月の意味をよく知らず、あわててネットで調べた。

<中秋の名月とは、旧暦(太陰太陽暦)8月15日の夜に見える月のことです。現在の暦(新暦)ですと、9~10月頃にあたります。これは秋分の日以前で、一番近い新月の日を1日目(旧暦8月1日)とし、15日目を中秋とすると決められているからです。(2021年は9月21日) 中秋の名月は「一年で最も美しい月」と言われています。その理由としては、● 月の高さが見上げるのにちょうどいいこと(季節によって高さが変わるため)● 秋は空気が澄み渡り、月が鮮やかに見えることなどを挙げることができます。中秋の名月といえば、お月見です。起源は古代の中国です。古くからこの日は月を祀る日とされ、満月を鑑賞する風習があったのです。現在では「中秋節」と呼ばれ、中国の祝日にもなっています。この風習は平安時代の日本にも伝わり、貴族たちが月見の宴を催すようになりました。なお、庶民の間にまで浸透したのは、江戸時代のことです。中秋は中国の中秋節から来ています。秋(旧暦7~9月)の真ん中なので「中秋」というそうですよ。中秋の名月の過ごし方―お月見をする、月にお供え物をする。一般的には縁側にススキを飾ります。ススキは稲穂の代わりであるとか、神様の依り代になるとも考えられています。他にも、お神酒みきや食べ物を三方に乗せてお供えします。お月見が終わったら、お供え物を食べましょう。月の光にあてたお供え物を食べると、月の力を得ることができるとされています。>(https://wa-gokoro.jp/event/annual-events/378/

夏の朝顔

夏は暑くて、花にとっては受難の季節だと思う。そのような中で朝顔だけは、夏の朝に咲き、朝のすがすがしさを伝えてくれる。朝起きて、今日は庭の朝顔や幾つ咲いたかを数えるのも夏の楽しみの1つである。

朝顔にもいろいろな種類があり、色や大きさにもバラエティがある。ところが今年はうちの庭の朝顔は例年のようにいろいろな種類が咲くことはなかった。種の撒き方、植え付けの方法、水や肥料のやり方をいい加減にしたせいであろう。種は昨年子ども(孫)が学校の植木鉢で育てたものを主に撒き、ピンクとブルーの花は咲いたが、秋口に咲くライトブルーの朝顔や、2階まで延び大輪の花を咲かせる琉球朝顔を楽しむことはできなかった朝顔は雑草に近く、野放しでも綺麗に咲いてくれると油断したのがいけなかったようだ。

子育てや教育も同じことかもしれない。子どもの自主性を重んじることは大事だが、子育てや教育の環境整備を怠らず、肝心のことはきちんとする必要がある。

初秋の海浜公園

新型コロナの感染が少し減少した秋の最初の連休ということで、近場の行楽地に出かけた人や家族も多かったのではないか。うちの近くの稲毛海浜公園や検見川浜の駐車場もかなりの車で埋まり、公園や海浜に多くの人や家族ずれが訪れていた。

稲毛海浜公園の花の美術館の外庭のコスモスやコキヤが秋の訪れを告げ、中のハロウィンのカボチャの飾りつけも綺麗であった。海はウインドーサーフィンがちょうどよい風を受け、秋晴れの海の中、気持ちよさそうに帆(艇)を走らせていた。

短い文章を書く極意

短いコラムや文章を書く機会はある。このブログもその1つである。その際、どのような構成で、どのような文章で書けばいいのか迷う。

最近、名古屋大学の渡邊雅子教授が『「論理的思考」の社会的構築』(岩波書店、2,021)という優れた著作を出版された。それを読んで自分の書く文章のことを考えた。その結果は最初に結論を述べその理由を論証していくアメリカ方式でもなく、またフランス式の弁証法でもなく、思いつくままにだらだらと書き、最後の結論は文章の流れや気分次第で書いているように感じた(これは日本式なのかとも思った)。

短い文章を書く極意に関して、元「天声人語」の執筆者の福島伸二氏が、新聞(9月9日)に書いている(下記に転載)。その主な点を書き出しておこう。

1 自分の周りや心の内にあるものを、ふっと形にする。2 書くことは考えること。3  自分はいま何を書こうとしているかを自問する。4 自分にしか書けないことを、だれにでもわかる文章で書く。/5「大きな言葉」ではなく、小さな言葉で細部を描く。/ 6 冒頭の数行で読み手を引き付け、ぐっと離陸する。7 短く書くことは書くことを選び抜くこと、つまり「捨て上手」。

今週、内外教育の「ひとこと」の欄に短い文章を書き提出した(10月5日発行)。字数は816字。字数は制限内に納めたが、行数で4行60字多いと言われ、その60字を削るのに苦労した。書きたいことを書けたのか、書きたいことを選び抜けたかどうか、疑問である

出典が思い出せない

自分が研究から遠ざかっていると感じる時がある。その1つは、出典が思い出せないこないことである。昔原稿を書いている時、あるいは学生や院生の論文指導をしている時、そのことならこの文献のこのページとすぐ現物を提示することができた。それが今は、記憶が定かではなく、「確かあの本にあった」と思ってもあやふやで、さらにその本が散在していて直ぐには探せない。

9月7日の朝日新聞朝刊に作家桜庭一樹と文芸批評家鴻巣友季子の論争のようなものが載っていた(下記に新聞記事を転載)。そのような論争に関しては、小林秀雄や江藤淳という文芸批評家の存在をめぐり昔、誰かが明確な論を展開していて感心した覚えがある(その論は、作家と作品は別物で、作品を自由に解釈する文芸批評は独立の文学の分野として成立するいうものだったと思う)。それは誰がどこに書いていたのかが思い出せない。出典を明記できなければ、研究者として失格である。

追記 この二人の「論争」に関しては、知人の小林順子さんが、もとの小説(「少女を埋める」)の大部分と朝日の文芸時評がネットで読めると、ブログ(https://ameblo.jp/jubilee30/)で、紹介している(ブログを一部転載)。

<鴻巣友季子さんが朝日に書かれた書評を桜庭さんが猛抗議されていたので興味を持って読んでみました。桜庭さんの「東京ディストピア日記」もすごく感心したので(もちろんそれ以前の作品も好きです。才能ある方と思っております)。鴻巣さんの批評は朝日のサイトで読めます。/ (文芸時評)ケア労働と個人 揺れや逸脱、緩やかさが包む 鴻巣友季子:朝日新聞デジタル (asahi.com)/ 桜庭さんはこの論争のためにこの作品の7割を公開されています。/少女を埋める|桜庭一樹|note / すごく読ませる話です。7年口をきいてない母親から「父があぶない」という電話をもらい、故郷に帰り、父を看取り、葬儀を終えて東京での生活に戻るまでの自伝的な作品です。彼女がずいぶん若い時から、実家への出入りを禁止されていて、帰郷してもホテルにしか宿泊しませんが、どうしてそんなことになったのかは書かれていません。(以下略)>(小林順子)