風の便り37号、38号,39号

辻秀幸氏より送っていただいた「浜町から風の便り37」(2021.12.1)を掲載する。今回は食べ物の話。辻氏も戦後の食べるものがなかった時代に育った人で、同じような体験をした私も共感をもって読むことができた。食が溢れる今の時代の若い人が読むと、時代を感じることであろう。

合わせて38号も掲載する。こちらは医者の話。医者との関りは私はあまりなく、家族がかかったお医者さんは技術も人柄もいい人が多かったなという印象はある。

39号も掲載する。

東京ドイツ村でイルミネーションを見る

昔、家族でWISCONSINのマディソンに1年間住んでいた時、冬は寒く外は零度以下になることも多かった。家の中は暖かいので、冬は家の中で過ごすことが多かったと思われるかもしれないが、実際はそうではなかった。デパートや大型のショッピングモールなどの冬のとりわけクリスマスの飾りつけがどこも綺麗で、それを見によく出かけた。またそれ以上に,各家が外に向けてクリスマスの飾りつけを電飾でしていて、それが雪の白さに映え、街の光景が幻想的であった。その家々の電気の飾りをよく車で見て回った。

日本でも昔一時、冬になると家の外や庭に小さな電飾で飾る家がかなりあった。しかし、今はほとんど見なくなった(少なくても千葉では)。それで、綺麗な電飾(イルミネーション)を見たいと思うと、家の周りの散歩ではなく、そのような場所に出かけるしかない。

今日は家人と「東京ドイツ村にイルミネーションを見に行こう」ということになり、夕方暗くなってから車で出かけた(家から車で1時間弱、千葉県袖ケ浦)。ここに来るのは、5年ぶり、3回目(2015.12.29,2016.1223のブログに記録あり)。家族連れや数人のグループも来ていたが、一番多かったのは若いカップルで、年寄り夫婦は少なかった。広い丘いっぱいに、色とりどりの電飾が施され、幻想の世界で、それなりに楽しめた。

「いつかはあちら側に行くことの自覚と覚悟」

家の近くにお墓があったり、部屋に仏壇があったりすると、少し憂鬱な暗い気分になるのが普通ではないかと思う。私たちは日常の中で、死をなるべく意識の外に追いやり考えないようにして、明るく暮らしたいと思っている。しかし、それは少し違うのかもしれない。

私の場合、母親が亡くなった後、親の家にあった仏壇と位牌をどうするか妹二人と話し合った。それらは私が引き取るということになったが、親の家の仏壇は大き過ぎたので、小さなものに買い替え、私の部屋に置くことにした。その時、額に入った両親の写真とは別に、祖母の写真も出てきて、それをどうしようか迷った。祖母は結婚してすぐ夫を亡くし、女手一人で子ども(私の父)を育て、戦後の貧しい家計の中で、孫たち(私達)の面倒もよくみて、苦労の連続だった。その苦悩の跡が写真の顔に現れていて、見ていると暗い気持ちになる。結局、父母の写真と祖母の写真を仏壇の傍に飾り、私はそれを見る日々を送ってきた。最近、私の見方も少し変わってきた。それは、藤原新也の次のような趣旨の文章を読んだせいもある。

<己の死の養生としての黄泉の国のお仏壇を勧める。お仏壇が己の死の養生に役立つ。他界した家族や知己の人の写真を居並べ、朝と夕線香をあげるごとそれらの死者の写真に心を寄せる。そうするとその使者と死者のポートレートの間に私自身の姿が浮かぶ。いつかはあちら側に行くことの自覚と覚悟。その黄泉の国の人々の間に私がいるその想像によって、日を重ねるごと安堵の気持ちが生じる。>(藤原新也)

藤原新也は、若い時インドを長く旅行し、インドでは死(者)が日常の中にあり、それは恐れることではないことを,写真集や本の中でよく書いている。そしてそれを小学生にも講義している(再掲)。藤原が言うように、(歳とってきたら)「いつかはあちら側に行くことの自覚と覚悟」(藤原新也)が必要である。

散歩と烏瓜(カラスウリ)

卓球仲間の高齢者に聞くと、朝早く起きて散歩しているという話を聞く。私の場合、あまり家の周囲を散歩する習慣がない。散歩したくなるような風景や建物がないということもある。周囲は住宅地で、緑は多少あるものも、建物は同じような地味な色や形の家が並び、散歩していて楽しいいうことがない。素敵な建築の家や庭や見られるのならもう少し散歩するのにと思う。

一方、少し家から離れたところはどうかと考えると、車で10分から30分でも行けばそれなりの公園や海や美術館、博物館,動物園、図書館はある。それらの気の向いたところにに行き、散歩するということはしている。

今日は、家から車で内陸側に12~3分ほどのところにある花島公園(https://www.city.chiba.jp/toshi/koenryokuchi/kanri/hanamigawa-inage/hanasimatop.html)に散歩に行った(半年ぶりくらい)。広い芝生の公園を通って坂を下りると、花見川沿いが散歩道になっている。春に見事な菜の花畑を見たところである(2021.3.6のブログ参照)。小学生は植えたという菜の花が一面芽を出していた(下記2番目の写真)。花見川沿いの散歩道は舗装されてはいるが(その分サイクリングの自転車が傍を通り抜けていて少し危ない)、市の予算がないのか、川縁の木々は伸び放題で放置されたままで、風情があるという感じではない。温暖な千葉なので紅葉もほとんどない。ただ、烏瓜の真っ赤な実が川縁にたくさんなっていて(3,4番目の写真)、それを少し採集し、今日の散歩の成果とした。