敬愛大学シンポジウムのレジメ

12月18日に、敬愛大学のシンポジウムがオンラインで「新型コロナ禍後の教育」というテーマで開催された。私もパネルディスカッションのメンバ―のひとりとして参加した。

オンラインとはいえ人前では話すのは2年ぶりくらいで緊張して、場の空気を読めず(?)、規定の時間を過ぎて話し、パネルディスカッションの時間が短くなり、迷惑をかけてしまった(年寄りの長話は避けたいと反省)。

さらに私の話の内容は、教育社会学的のつもりであったが、傍観者的で、少し浮いていたようにも思う。他の登壇者は、皆人格的な教育者の方が多く、教育的ないい話が聞けて、視聴した人にとっては、心温まり励まされるシンポだったのではないかと思う。私のレジメを掲載しておく。

地上波のテレビではなくネットの時代

映画やドラマの見方が今変わってきている。これまでは映画は映画館、レンタルのビデオ、テレビでの放送などで見るしかなかった。またテレビドラマは放送日に見るか、録画してみるしかなかった。今は映画やドラマはネット配信のものをテレビやPCで好きな時に見ることができるようになっている。従来型の見方をしている人も少なくないが、後者のネット配信を体験してしまうと、その便利さ快適さに惹かれ、後者に切り替える人が多くなっていると思う。(もちろん従来型で、テレビの「朝ドラ」や「大河ドラマ」のような、テレビの番組の放映時間が、生活のリズムになり快適さを感じている人はいる)

制作側の手順も変わりつつある。これまでは劇場用映画を作りそれがDVD化される、あるいは定期的な時間配信の為のテレビドラマの制作(その後DVD化されるものもある)であったものが、今はネット配信だけの為に制作されるドラマや映画が出てきて、斬新な脚本や俳優起用で、時代の先端を行くドラマや映画が作られるようになっている。一早くその方式を採用しているのが韓国ドラマだ。そのことを、下記の記事から知った。(一部転載)

日本のドラマが韓国ドラマに大きく差をつけられたワケ  藤脇 邦夫 PRESIDENT Online  https://president.jp/articles/-/52531

<なぜ韓国ドラマは世界中でヒットしているのか。『人生を変えた韓国ドラマ 2016~2021』(光文社新書)を書いた藤脇邦夫さんは「韓国には、2006年以降、次々と誕生したケーブル局が従来とは異なる意欲的な作品を作ってきた土台がある。スポンサーに配慮したドラマばかり作る日本とは企画力で大きな差がある」という――。/ケーブル局放送の登場が「韓国ドラマ」の質を変えた。/2000年代以降の韓国ドラマ史上、最大の変化は、何といっても2006年からのケーブル放送局「tvN」の開局、2011年からのCJENM経営による有料ケーブル局「OCN」のテレビドラマ製作開始、同年の韓国の新聞社4社(中央日報、朝鮮日報、東亜日報、毎日経済新聞)による総合編成チャンネル(同順に、JTBC、TV朝鮮、チャンネルA、MBN)の開局である。これによって、今まで地上波独占だったBS、SBS、MBC以外の局からのドラマ製作が可能になった。/2010年代の意欲的な番組はすべてこの3局から発生したといっていい。/日本における韓国ドラマブームは、俳優が話題の中心となった「冬のソナタ」出現の2003~10年を第1次とすると、2011~15年の第2次はシナリオ・発想・シノプシス・プロットの充実期であり、2016年から始まった第3次ブームは、K―POP人気に加えて、前出のケーブル3局の躍進が加わり、これによって「韓国ドラマ」のクオリティはアメリカ・ドラマに匹敵するほどの水準にまで引き上げられた。/そして、2019~21年の第4次ともいえるブームは、まさに第3次以降の成熟による一大ルネッサンス期──黄金期であり、「愛の不時着」「梨泰院クラス」「賢い医師生活」といった秀作を続々と生み出した。/現在、世界の映像ソフトの中で、テレビドラマ(ネット動画配信全盛の今、実はこの定義さえ怪しくなっているのだが、)に限っていうならば、最高峰は、アメリカ・ドラマと韓国ドラマといって差し支えない。/ネット配信の成否を左右するのはドラマ映像-第4次ブーム到来の理由として、次の2点が挙げられる。一つ目は先述したケーブル局と映像配信による、視聴環境の大幅な転換である。特に、tvN、JTBC、OCN等を始めとするケーブル放送局製作ドラマの一部をネット動画配信の最大手Netflixに配信委託したことにより、韓国ドラマの特異性を否応なく、日本も含めて、全世界の国、地域に強烈にアピールすることとなった./1963年のケネディ暗殺を告げる日米初の衛星同時中継、衛星放送の時代は彼方に去り、実質的に、現在世界の放送事業業態の趨勢すうせいは、電波事業から、インターネットを中心とした通信・配信事業に移行しつつある./テレビは既に単なる端末のモニターにすぎない-現在、Netflixで視聴している限り、韓国ドラマとアメリカ・ドラマは、視聴ソフト・コンテンツとしては、ほぼ同一線上にあるといっていいだろう./また、韓国・日本を問わず、今まで通常の流れだった、放送後にDVD化(レンタル・セル)という図式が崩れ、ネット配信等によって、最初から「ネット有料動画配信で視聴して終わり」という流れで完結してしまうと、テレビドラマを取り巻く視聴環境は一変する。/さらに、映像ソフトとしては、家庭でのテレビ視聴だけではなく、パソコンでもスマホでも視聴可能な(さらに映画館でも公開できる)「ドラマ映像」という意味に入れ替わっている/二つ目は、韓国ドラマにおける基本的なテーマの変容である。当の韓国でも地上波放送を見ているのは相も変わらず旧世代が多く、ケーブル放送ドラマは若い世代専門の作品だけではないにしても、特定の世代で共感を得た意欲的な作品が多いことは誰の眼にも明らかだ。/2020年に限っていうならば、先述の3作品を見た後で、地上波の家族ドラマを見ると、あまりにも古色蒼然なのに唖然あぜんとする。/まず企画ありきで、俳優をキャスティングする-俳優側の事情もある。地上波が従来のままのセオリーとパターンで同じ俳優をもとに企画を考えているのに対し、ケーブル局はまず企画ありきで、俳優のネームバリューに頼らず、企画に合わせて俳優をキャスティングするのが基本である。意欲的な作品を生む土壌は何年も前から整備されていたといえるだろう。/そういった視聴環境の変化に同調し、新たな視点で製作されたケーブル局から前述の傑作群が量産されていくのであれば、韓国・日本はもちろん、どこの国の視聴者も、従来視聴してきた「地上波の韓国ドラマ」だけでは満足できなくなる。>

穏やかな晩秋の海

12月に入り、寒い日が続いたり大雨が降ったり風が強かったり、また地震があったりと、不穏な日々が続いたが、今日(12月11日)は珍しく穏やかな晴の天候で、海岸を散歩したくなった。それに鳥用に冷蔵庫の入れていたパンやご飯も溜まって来たし。ということで、いつもの検見川浜に出かけた(車で12~3分)。

 お腹を空かした多くの鳥(カゴメ、鳩)に餌をあげることができた。桟橋には釣りの人が多く、沖にはヨットも数艇見られたが、風がないためウインドサーフィンが帆走する姿は見られず、のんびりと海岸を歩く人のみ多い、穏やかな晩秋の海であった。

久しぶりに東京に行く

今日(12月8日)、ひさしぶりに電車に乗り、東京に行った。この前東京に行ったのは昨年の2月なので,約1年10ヵ月ぶり。電車に乗ったのも約2年ぶり。東京に戸惑いと懐かしさとを感じた。

東京に行ったのは研究会への出席の為(場所は王子)、その後少し友人と二人で居酒屋で飲み(生ビールも久しぶり)、その後一人で丸の内のイルミネーションを見た(色づいた銀杏も綺麗であった)。イルミネーションや銀杏は例年通りだが、人は少なく、帰りの電車も空いていて、ここ(東京)でも新型コロナの影響を感じた。

時間や場所の貴重さ

時間や場所の貴重さや価値は、そのことの属性というよりはそれを使う人や状況によるように思う。具体的に、それを私が端的に感じるのは、参加しているテニス教室でのことである。

私が参加しているテニス教室では、テニスコート2面で、12名前後の受講者がいて、2時間行われる。通常1時間半の集団レッスンが終わると、残りの30分弱はタブルスの練習試合を行うことが多い。1ゲーム先取で、勝てばそのまま残れるが、負けると1回休みになる。試合の時間は少ないので、テニスコートで試合ができることと,プレイできる時間がとても貴重に思える。したがって、集中して必死にプレイすることになる。ところが、そのテニスコートを家族で予約してテニスをするとなると、2時間は長く、また家族だとあまり緊張感もなく、テニスコートとその時間があまり貴重とは思えない。

このようなことは、テニスの時間やコート以外でも、いろいろ見られるように思う。そのことの価値は、それ自体にあるのではなく、それに参加する人や状況によって決まる。そこに希少性が感じられたときに、価値が生じる。