風の便り46号

いつも辻秀幸氏から送られてきた「風の便り」46号は、22号に続くカメムシ特集で、読者に「2,3メートル飛び上がるほどカメムシが大好きな人」が2人いるせいで、再度取り上げたとこと。私の場合、好きとは必ずしも言えないが、辻氏の便りを読んで少し愛着がわいてきた。小学生の子ども(孫)が夏休みの自由研究に迷っていたので、カメムシの卵からの孵化の観察を薦めようと思う。ユニークで、他の子と被ることはないのではないか。

吉田拓郎について(その3)-同世代

吉田拓郎は同世代ということで、その曲を昔からよく聴いていた。娘たちからは「よくそんな古い歌を聴いているね」と軽蔑されながら。卓球仲間で私より少し年齢は上の人で、大学時代グリークラブ(男性合唱)に所属し、今でも週2回は、コーラスのサークルに入り歌を歌っている音楽好きな人がいる。その人から「どんな音楽な好きか?」と聞かれ、「吉田拓郎」と答えたら、「それ誰?」と言われた。吉田拓郎は私たちの世代ではメジャーかと思ったらマイナーだったのかもしれない。

私は2020年11月8日のブログに次のように書いている。<昨日吉田拓郎メロディー(https://www.youtube.com/watch?v=QRwBXtKLyAs)を聴いて、相変わらず、吉田拓郎の曲や人となりには、何か癒されるものがあるなと感じた。吉田拓郎は「女の人は苦手だ」と言っていたが、南沙織とデュエットしてはにかんで目を合わそうとしないが嬉しそうにしている姿や、日野皓正のトランペットや有名演歌歌手のバックコーラスでの「外は白い雪の夜」の歌(第45回紅白歌合戦、平成6年)は、貫禄があり(ただ歌の内容は何か切なく)、心打たれるものがあった。吉田拓郎は病気から快復したのであろうか。ラストコンサートがあれば,是非聴きに行きたい。>

ライブではないが、吉田拓郎の最後のテレビ出演という番組(LOVELOVEあいしてる最終回)を見た。(https://www.bilibili.com/video/BV1eN4y1j7Z6

ファンの一人としては、最近の吉田拓郎の元気な姿を見ることができて(しかもギターの演奏をして、歌まで歌っている)感激したが、同時に、若く元気な時の往年の吉田拓郎とは違い痛々しくて、こんな吉田拓郎は見たくないとも感じた(ファンは勝手なものだ)。

私は2016年12月23日のブログに次のように書いている。<今日はNHKの番組で、吉田拓郎の最近やった首都圏のツアーの様子が流れるというので、早速録画の予約をした。先ほどその予告のインタビュー番組があり、その中でリハーサルの様子が流れていた。それを聴くと昔と何か違う。吉田拓郎が旬な時の放埓さや野放図さが消えていると感じた。拓郎も70 歳になったというから、それは当たり前なのだが、少しさびしい。(ただライブの様子を見ると、昔と変わらないのかもしれないが。)歳を取り、昔の旬な時のものを再現するのが難しい。それは音楽に限らないであろう。同世代の人間として、他人事でなく、いろいろ身につまされる。

高原や渓谷で涼しさを感じる

真夏の暑さは、特に高齢者には体に答える。冷房を入れた部屋にずーといれば問題はないかもしれないが、冷房のない部屋や外との出入りがあると、余計暑さを感じ、体力が消耗する。

その点、高原や避暑地などで夏を過ごせれば、体力の消耗が少なくて済むであろう。都会を離れると緑が多く、それだけで涼しく感じ、気分が爽快になる。

短期間であったが、新潟県の湯沢町や十日町の緑や渓谷の多いところで過ごすことができた。「清津峡渓谷トンネル」や「秋山郷」に行く途中の渓谷の景観が、涼しさを感じさせてくれた。

検見川の大賀蓮を見に行く

1か月ほど前、日程を間違い見損なった東大の検見川グランド脇の大賀ハスを見に行った。駐車場があるかどうかわからなかったので、朝7時前に自転車で出かけた(自宅から20分ほど)。早朝にも関わらず多くの人が見に来ていた。ガイドの人の丁寧な説明を聞きながら、蓮を鑑賞した。千葉公園の蓮はピンクの花が咲くものがほとんどであったが、ここの蓮は多くの種類の種類があり、心癒された。ボランティアの人が親切で、この人たちによって、ここの大賀ハスが守られていることを知った。

「大賀蓮ˊ は、1951(昭和26)年に大賀一郎博士を中心に、千葉市旧検見川町にあった東京大学厚生農場(現 検見川総合運動場)の地下の青泥層より発掘したハスの果実(種子)を発芽・開花させて得られた系統です。発掘された果実は、2000年以上も地下にあったと推定され、古代蓮と称されています。また、植物の生命力の象徴ともみなされて、発掘から半世紀以上を経た今日においてもなお人気を博し、全国各地で栽培されています。」https://www.isas.a.u-tokyo.ac.jp/lotus/index.html

神野藤昭夫著『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』(2022)を読む

数年前、放送大学文京学習センターの客員でご一緒した国文学の神野藤昭夫先生(跡見学園女子大学名誉教授)から、最近書き下ろされた1冊のご著書をお送りいただいた。462ページの分厚い日本の古典文学に関する著作で、大学退職後このような学術著を執筆された神野藤先生の意欲と学識に驚かされた。私には文学、特に古典に関する素養がなく、まともな感想を述べることはできないが、学ぶことが多かったので、その記録を下記に残しておく。

著者の神野藤先生は、1943年東京生まれ、都立小石川高校卒、早稲田大1文学部、大学院卒、博士(文学)の方で、本の題は、『よみがえる与謝野晶子の源氏物語』(2022,7花鳥社)という文学の学術書である。「みだれ髪」という和歌集で話題となった与謝野晶子の自伝とその翻訳(源氏物語)の研究書である。

本書は、「新資料の数々をもとに、(与謝野晶子の源氏物語の)訳業の具体像を明らかに」した学術的に価値の高いもので、同時に推理小説を読むような謎解きのスリリングな読みものということは、素人の私でもよくわかった。古典の文学研究や書誌研究(?)の方法が、ご著書からわかり、勉強になった。源氏物語のオリジナルが今見ることができないこと、過去の普及版はいくつかあること、与謝野晶子の現代語訳も、直筆の原稿と、清書されたものと、初版と再版等で、中身が変わっていることを丹念に調べ、その原因を突き止めていく著者の手法は見事で、推理小説を読んでいるようなスリルを感じた。与謝野晶子の直筆の現代語訳原稿が、訳者の思いを流れるように文章にし、原典や漢字なども気にせず、一気に書いている様子が考察からわかり、このようにして現代語訳というものがなされるのか(なされたのか)ということに驚いた。与謝野晶子の在仏滞在が、どのような意味を持つのかを、実際に、現地調査をして、自分の足や自分の目で確かめる手法その記述には迫力があり、著者が、与謝野晶子研究の第1人者である所以が理解できた。源氏物語がなぜ、日本でこれほど重要な文献として扱われているのか知りたくなった。古典としての価値なのだろうか。与謝野晶子以外にも、多くの人が現代語訳を出している。ただ、近代の恋愛結婚とは違う(自由?)恋愛を扱った内容の「源氏物語」が、高校の教科書に載るというのも、教育としてふさわしいのか、と不思議に思う。与謝野晶子の「みだれ髪」が自由奔放なものという説明があったが、与謝野晶子の恋愛観と、源氏物語の恋愛観、結婚観に関しては、通じるものがあったのだろうか。実際の夫の与謝野鉄幹との関係は、どのようなものだったのか。現代の視点から見ても興味深い点が多い。

私は、江藤淳や吉本隆明などの批評家の作家論は好きでよく読んだことはあるが、文学、古典の学術研究の本というのは読んだことがなく、素養や基礎が全くない故見当外れのことばかり感じたが、異文化の分野の学びの楽しさを味わうことができた。