卓球&趣味

今日は、1か月ぶりくらいに「卓球愛好会」の練習に参加した。別の地区のメンバーも加わって、小学校の体育館で1時間の練習と1時間の練習試合。男は私の歳ないしそれ以上の人が多いが、皆元気。女性も週に4~5日卓球をやっているという卓球好きの人が多い。
休憩時間も、卓球のことで話が盛り上がっている。
知り合いが絵を書いていて、その絵の展覧会を近くで開いているからと、その写真をいただいた。皆、卓球の他、いろいろ趣味があり、充実したシニアライフを送っているようだ。
閉め切った体育館の中は暑く、私は1時間の練習でダウン。学校の飼育小屋のウサギの写真を撮り、早々に帰る。 

本の価値

我々研究者にとって本は命という気持ちがあり、食べるものも食べなくても本を買ったという経験は、研究者には誰にでもあるのではないだろうか。確か、夏目漱石もロンドンでの経験としてそのようなことを書いていたように思う(あるいは『道草』の中の文章)。
渡部昇一が名著『知的生活の方法』(講談社現代新書)の中で、本を手元に置くことが、知的生活を送る為にいかに重要かということを書いている(図書館に本を借りに行くたびに思考が中断され、手元の本がないと集中的思考が重要な知的生活を送れない)。
我々世代、あるいは少し後の世代までは、研究者は、上記のように考え、本をせっせと購入してきた。

しかし、今はインターネットの時代に入り、事情は変わって来ている。インターネット上でさまざまな情報が得られるようになっているし、多くの本や雑誌や学会誌はインターネットで読めるようになっている。手元の本を置く必要が段々なくなってきているのである。
私は助手の頃、日本社会学会の学会誌『社会学評論』の1号~80号までを、本郷の古本屋の広告に安く出ているのを、先輩の高橋均さんが教えてくれてた。値段は80冊で15万円(何冊かに製本されていた)。古本屋は「その2倍以上の値段をつけるつもりが間違えてしまった」といい、売り渋ったが、「広告に出してあるのだから」と言って、その値段で売ってもらった。その後社会学会に入り、その後の巻を全部揃えたが、今は、その社会学評論も、ネット上で無料で読めるようになっている。

研究者が定年退職した時、本の置き場がなく困ることになる。「本は命」、「本がなくては知的生活を送れない」という気持ちがあるし、それぞれの本には、食費を削ってでも購入したという思いや、その時々に読んだ思い出がある。
せめてこの本をどこかの図書館で受け入れてくれないかと探すが、それはほとんど拒否される(1冊の本を、大学の図書館に置くのは、その登録に3000円くらいうの費用がかかると、昔聞いたことがある。スペースの関係だけでなく、費用の面からも、図書館に安易に本は置けない)。次に古本屋に聞いてみると、選別して、そのうちの何冊かは、わずかなお金で引き取ってくれる。
(ブックオフでは、本の新しさ、綺麗さだけで選別される。店の本棚にある同じ本でも、拒否されたことがある)。このように、本を処分しようとして、自分の大切にしてきたものが、社会的には何の価値もないと烙印され、いたく自尊心を傷つけられる。

アマゾンでは、古本を1円で売っていることがよくある。時々これを利用する。郵送料が250円かかるので251円という価格だが、これで割が合うのであろうか。
小倉 千加子 (著) 『結婚の条件 』(朝日新聞社) も今1円で購入できる。

一方、たまに、古本で定価より高い本を見つけることがある。その場合は、かえって嬉しくなる。最近、ネットで 見た本では、
・天野 郁夫 (編) 『学歴主義の社会史―丹波篠山にみる近代教育と生活世界』 (単行本) 中古品 34,293円(放送大学の院生に読むようにすすめたが、値段が高い)
・麻生武「身ぶりからことばへ―赤ちゃんにみる私たちの起源 (子どものこころ) 中古品 4,555円、12619円
・細谷 恒夫 (編集)『教師の社会的地位 (1956年)』7000円、95750円(この本は持っていて、昔3万円くらいの値が付いていた)
・原田 彰 (編さん), 望月 重信 (編さん) 『子ども社会学への招待』 中古 5737円 (これは、新本で出たばかりだが、古本ではこのような値段が付いている)

放送大学自主ゼミ

放送大学文京学習センターで、月2回、教育に関する自主ゼミを開いて、これで3年目くらいになる。最初からのメンバーが5名いて、それから途中から参加の人が数人いて、昨日の会は4名の人がはじめての参加で、賑やかな会となった。
これからは、原田彰・望月重信編『子ども社会学への招待』(ハーベスト社、2012年7月)をテキスに、1章ずつ取りあげていく予定。昨日は、その第1回目。
昨日取り上げた、第1章の麻生武「子ども社会への道―生後2年目における「他者」との出会い」は、心理学者の麻生武先生が、自分の長男の生後2年目の日記風の観察記録(2016頁)をもとに、幼児が「他者」とどのように出会っていくのかを、詳細に分析したものである。「他者」の定義も独特で興味深かったが、観察記録から、幼児が「他者」を発見していくプロセスを解明していく手法は見事で、教えられることが多かった。
参加したメンバーは子育てを経験した女性が多かったが、自分の育児体験と照らし合わせ、この研究の手法と中味を吟味していた。討論が弾み、懇親会まで議論が続いた。
次回は、9月13日(木)3時半~5時半、2章の「マナーからみた子ども社会」(加野芳正)を取り上げる。いつか、執筆者も招いて、開催したい。

朝顔ウォチング

幼少期に馴染んだ動植物に親しみを感じる傾向が誰にでもあるのではないか。いわゆる「刷り込み」(イン プリンティング)がなされているのであろう。
私の場合、家で、動物は文鳥、カナリア、十姉妹、金魚、フナなどを飼っていたので、今でもそれらを見ると心が和む。
夏は友だちとトンボや蝉や蝶蝶、バッタを追いかけていたので、それらについ目が行ってしまう。植物では、朝顔が一番印象に残っている。
そのようなわけでは、今朝は朝顔ウォチング。バッタや蝶も見つけた。心穏やかな一日になりそう。(写真は、クリックで拡大)

「居留地の壁」いただく

放送大学の院生で神戸から来ていた院生(西田さん)から、お菓子の本場神戸の、素敵な洋菓子「居留地の壁;シュ-ラスク」をいただいた。
食べてみて、あまりの美味しさにびっくり。
早速、インターネットで調べてみたら、目ざましテレビでも紹介され、ランキング1位のお菓子とのこと。美味しいはずだ。ソフィにはあげられない。

<「居留地の壁」。なんて粋な名前なんだろう。けれど、名前にも負けない「一度開けたら止まらない」おいしさ。カップを片手に、サクサクと最後までいってしまう。テレビや雑誌で紹介され、ひそかにブームとなっているのが、洋菓子店「フーケ」のシューラスク「居留地の壁」(http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/111027/wlf11102718470020-n1.htm)
(http://item.rakuten.co.jp/yogashiclub/10000115/)