選択ということ

何かを選択するということは、何かを選択しないということになる。場合によっては、選択しないものを隠すことになる。また、あること大きく取り上げることは、別のことを小さく見せることになる。
(大学の講義でも、そのことは当てはまるので、後期の授業を前にして、心しておこう。)
マスコミが何か何かを大きく取り上げるということは、そのことの重大さを国民に提示し、別のことは大したことではないという判断を国民に提示(=押しつけ)していることである。したがって、何を大きく取り上げるかのマスコミの判断は、事態を正確に伝えるということと同じくらい重要である。
今のマスコミ人に、何を選択するかの厳しい自覚がるののであろうか。また立場にとらわれない公平な見地からの報道をしているのであろうか。
「マスゴミ」(枝葉末節のくだらないことに血道を上げているマスコミ)(藤原新也の言葉)というものが存在するような気がする。
自社のトップの意向やイデオロギーや自社の利益だけを考えたニュースや記事の選択をするマスコミ人は、マスコミ魂を失った人ということになる。政治家に転身した方がよい。

藤原新也は、最近の公開の shinya talk で、相変わらず、鋭いことを言っている。

http://www.fujiwarashinya.com/talk/

それにしても、吉田調書で明らかになったように、吉田所長の判断で、「関東圏を含む東日本一帯が壊滅」するという事態が避けられたのは、感謝しなければならい。

秋の花

もう秋というのに、うちではまだ夏の朝顔が咲いている。それも、バッタと共存して。
そろそろ、一面のコスモス畑を見に行きたい。

若林敬子さんのこと

大学院時代の1年先輩の若林敬子さんが、3日ほど前、北京で亡くなられたという知らせを受けとった。心よりご冥福をお祈りする。
若林さんは、教え子と上海や北京で調査中だったとのこと。社会学の故福武直先生や故松原治郎先生の教え子で、研究一筋に生きてこられた方で、研究者の鏡のような人であった。研究調査中に、しかも好きな中国で亡くなられたということは、若林さんらしい最期だなと思った。
(北京で、教え子達が「送る会」を開くとのこと)
追記
 (9月24日に北京で丁重な葬儀が行われたとのこと。日本ではお兄様のもとで家族葬が行われる
 と聞いている)

若林さんの出身高校(安房南高校)の記事に、若林さんのことと「若林文庫」のことが載っている。
(安房南高 記念の年に「若林文庫」)

<今年、創立100年を迎えた館山市北条の県立安房南高校(岩崎弘校長)は、21日午前9時50分から創立100周年記念講演「少子超高齢、人口減社会の到来と女性」を、県南総文化ホールで開催する。同窓生で東京農工大学院教授の若林敬子氏(63)を迎える。これに先立ち同校に、「若林敬子文庫」が開設された。400冊以上に及ぶ研究資料や著書を備えており、同校では、記念講演会の参加と併せ、文庫の利用を地域の人へ呼びかけている。講演会の副題は「わが母校の新たな再編組織化に直面して」。
明治40年5月に安房郡立女子技芸学校として創立以来、幾度かの校名変更や校舎移転を経て、昭和36年から安房南高校の校名に。良妻賢母を輩出した1世紀の歴史を誇るが、少子化から高校再編となり、1世紀の節目の年に、安房で唯一の女子高として終焉を迎える。
同窓会を中心にした同実行委員会では、「創立百周年記念誌」発刊や記念式典など、記念事業に取り組んでいる。
若林氏は、南房総市の富山地区出身で、昭和38年、同高卒。東京女子大学文理学部社会学科卒、東京大学大学院教育社会学修士卒。博士課程2年から厚生省人口問題研究所へ、現在は、東京農工大学大学院教授。「中国 人口超大国のゆくえ」(岩波新書)など、著書も多数。
今までの人口統計学的な人口学ではなく、「人口社会学」という新分野を構築するまでに研究を重ね、環境省など国から専門的な分野の第一人者として委員に選ばれるなど、多岐にわたる活躍を続ける。
同窓会の後押しで開設された文庫には、自ら執筆した400冊余りの資料が。中国の「1人っ子政策」についてなど中国人口問題に関する研究資料や、日本の小中学校学区の存在形態や学校統廃合問題に注目した「学校統廃合の社会学的研究」(お茶の水書房)には、旧丸山町での事例も掲載される。「農村社会、地域開発と人口問題に関する研究」や「埋立開発と環境について―千葉県浦安の地域変容」といった貴重な研究の資料などを、閲覧できる。>

若林さんの伝統的な農村社会学研究、地域研究、学区研究、埋め立て地の研究、沖縄研究、住民運動研究、人口問題、中国の人口問題などは、学問的価値が高く、その研究業績は永く後世に残るであろう。心よりご冥福をお祈りする。

いただいたメールの紹介

自分の生まれた土地との関連のあることを聞くと、なんとなくうれしい。故郷であれば、なおさらのことであろう。
私は新潟県の佐渡の生まれ(育ちは千葉県)だが、それに少し関連することで、メールを、水沼文平さん(公益財団法人・中央教育研究所所長)からいただいた。それには、以前ここで紹介したK先生の通信に関するコメントもあった。ご了解を得て、掲載させていただく。

水沼さんからのメール

司馬遼太郎の「胡蝶の夢」を読んでいます。文庫で4巻の大部なものですが、幕末から明治にかけての激動期における日本の医療事情が分かる興味深い本です。
主人公は奥御医師で蘭学者の松本良順と天才的な記憶力を持つ彼の弟子、島倉伊之助(司馬凌海)です。松本良順は佐倉順天堂(現順天堂大学)の創始者佐藤泰然の実子です。伊之助は佐渡の真野新町生まれです。武内先生と同じ生地ですね。私の好きな関寛斎も出てきます。
彼は蘭方医でしたがトルストイに傾倒し70歳を過ぎてから北海道の陸別を開拓します。松本良順が学んだ長崎の医学伝習所で西洋医学伝授のため心血を注いだポンペが、明治に入って、ドイツで開催された赤十字の国際会議で森鴎外に会いました。鴎外が日本時代の感想を聞いた時、「日本でやったことは、ほとんど夢のようであった」と語ったことが「胡蝶の夢」というタイトルになったようです。(「胡蝶の夢」とは、現実と夢の世界の区別がつかないことのたとえ)。
K先生の被災地訪問を読みました。「大事なことは、 現地を訪ねてみること、 問題をしっかり深く考えてみること、他者への思いを可能な限り馳せること、自分自身の問題に置きかえてみること」と語られていますが、全く同感です。
集中豪雨による被害、朝日新聞の報道謝罪、川内原発の再稼働許可など物騒な世の中が続いています。万事「喉元過ぎれば」の世相、我々はもっと歴史に学ばなければならないと思います