犬の散歩

昨日(15日)は、海浜幕張のイオンモールのイルミネーションがきれいという評判を聞き、ソフィー(犬)も一緒に連れて行った。電飾の迷路があるだけで、音も大きく、ソフィーは興味を示さず、早く帰りたがった。
http://makuharishintoshin-aeonmall.com/special/lists/illumination

今日(16日)は、夕方になってしまったが、ソフィー(犬)を、御宿の砂浜に散歩に連れて行った。
今日は、御宿海岸は風もなく、穏やかで、夕日が沈んでいくところで、ソフィーもゆったりした海岸散歩を楽しむことができた。

学生シンガーソング・ライター

私の非常勤先の授業(「教育社会学」)を受講している学生で、シンガーソング・ライターで、歌っている若者がいる。「是非その曲を聞かせてほしい」と言っても、控え目なのか、笑ってスルーされる。
そこでyou tubeで名前を入れて検索してみた。すると、彼の歌が聞けた。ギターの弾き語りで、独特のいい声で、リズム感も抜群で、明るいさわやかな歌で、好感がもてる。
You tubeで,3000回以上のアクセスもあり、かなりの人気であることがわかる。さらに人気が出そう。今後の活躍を期待したい。

敬愛大学で、音楽をやっている学生諸君(軽音、アカペラ等)も、負けずに頑張ってほしい。(you tubeに載せ、3000以上のアクセスを獲得するというのも一つの達成目標になるのではないか)

国際的なT小学校を訪問

本日(11月12日)は、敬愛大学のゼミの2年生(こども学科)15名を引き連れて、千葉市立T小学校の授業を見学してきた。
この学校は、在籍児童数270名のうち、「外国にかかわる児童」(外国籍、ニューカマー)は、11か国106名と4割近くいて、教育の国際化がすすむ中で、苦労も多いが、興味深い学校である。中国籍の子どもが多く、中国残留孤児の3世、4世の世代も多いとのことであった。
目的は、学習支援の学校ボランティアの下見だったが、実際は、校長先生と・教頭先生の案内のもと、2時間目の全学年の授業を見学させていただき、その後の行間休みと3時間目の授業に自由に授業見学、学習支援をさせてもらい、教職を目指すゼミの学生に大変勉強になった。
ゼミの学生は、さすがこども学科の学生だけあって、皆自然な形で子どもたちの中にとけこみ、子ども達との交流を深め、学習支援を行っていた。
子ども達の中で、中国語が飛び交うこともあるが、ほとんど日本語で、どの子が外国籍の子どもかは、すぐにはわからない。子ども達にとって、ここが故郷となる学校だということで、学校側も子ども達を分け隔てなく平等に扱い(中国語に翻訳したお知らせ類も親には出しているが、)真の国際交流がなされている、と感じた。

これがきかっけになり、学習支援のボランティアの学生も出て、敬愛大学とT小学校の交流が深まり、御互いの学校(大学)の活性化に繋がれば、うれしい。

学生の感想
・勉強になることがたくさんありました。子どもが「あそぼー」とゆって、寄ってきて来てくれたのがとてもうれしかったです。
・外国の子どもが多いということでしたが、一見すると普通に日本人と変わらず、クラスに溶け込んでいるように思えた。日本語を学習する学級があるのが印象的でした。
・先生が外国籍の子どもをサポートしつつ、普通りに授業をしていて、子ども達も外国籍の子に協力して、とてもあたたかく感じた。
・日本人と外国籍の子どもが仲よく、国の壁というものがなかった、日本人の児童は、外国人の児童には親切に接し、仲よく仲よく勉強、遊びをしていた。

娘たちからのプレゼント

紅葉をその最盛期に見に行くのは難しい。紅葉の時期の予想が外れるということもあるし、都合でその時は出かけられないという時も多いし、混雑して宿の予約は取れない場合もあるし、道が渋滞してなかなか行き着けないこと、また雨の場合もある。

娘たちが親の歳の節目にと、紅葉狩りのホテルの宿泊をプレゼントしてくれたので、妻と日光に紅葉を見に行った。(11月9日、10日)。
日光のいろは坂の上の方の紅葉は既に終わっていて、カエデなど一部に赤い色が見えるだけであった。それでも、坂の下の方は、まだ色鮮やかであった。
もう紅葉にはシーズンオフということで、道路は空いていて(千葉から日光まで車で2時間半)、宿も中禅寺湖畔の「ホテル四季彩」(http://www.hotel-shikisai.co.jp/voice/)というなかなか予約の取れないテルに泊まり、極上の料理(和食)と露天風呂(硫黄泉)を楽しむことができた。
中禅寺湖、戦場ヶ原、竜頭の滝、華厳の滝という観光スポットも、渋滞がなくスムーズに周り、静かで落ち着いた日光を楽しむことができた。娘たちに感謝。

授業(「教職概論)メモ(11月11日)

国の求める教員像(中教審答申も含める)、都道府県の求める教員像(教員採用試験も含める)をこれまで、授業で見てきましたが、今日は別の観点から教員像を考えてみたいと思います。
それは、文芸(映画、小説、漫画)に描かれている教員像の検討です。それを検討することは、次のような2つの意味があると思います。
第1は、それらは、国や教育委員会の型にはまった理想的教師像とは違って、「教師という人間をその生活全体において丸ごととらえた」教員像(原田彰)が描かれているからです。現実の教師の、教師役割とその役割からはみ出す行動との葛藤を、文芸作品は描いています。
「二十四の瞳」の大石先生には、「師範タイプ」(権威主義的)からはみ出す「茶目っ気」があり、その葛藤がよく描かれています。それが、現実の教師らしさでもあります。(一部ビデオを見せる)
第2に、「理想的教師像」を構成している価値観を一度解体して再構成してみる必要(山田浩之)があるからです。
特に漫画に描かれる教師像は、理想的教師像を揶揄し、教師の隠れた欲望をストレートに描くことにより、教師像の再構成を促します。1960年代末の「ハレンチ学園」は教師という存在を貶める役割を果たしました。そこからの再構築が必要です。
また、子どもに人気のあるキャラクターには、子どもの教師への願望が描かれています。(いくつかのマンガを紹介)
この分野の研究としては、原田彰『教師の現在―文芸からみた子どもと教師』(ハーベスト社)、山田浩之『マンガが語る教師像―教育社会学が読み解く熱血教師の行方』(昭和堂)があります。
皆さんも日頃見たり読んだりする映画、小説、漫画に描かれた教師像がどのようなものなのか考え、そこから教師像を描いてみてください。

私自身は、思考が硬いのか(?)、上記の第2の教師の欲望等を極端に描くことにより隠れているものを暴露(教師を貶める)するという方法に、多少違和感があります。確かに、極端を描くことによりなんとなく感じていたことの意味を白日のもとに晒すというのは効果的な方法だと思います。
マドンナの「マティリアルガール」の映像に見られるように、「多くの宝石をみにつけ、濃い目の名メイクをし、がらくたぽいものを身につけることによって、パロディによってえられるものと同じ視点を読者に与える。極端さによってわれわれはそのイデオロギー性に気がつくようになる」(ジョン・フィスク・山本雄二訳『抵抗の快楽』(世界思想社)。
女性のファッションや化粧のもつ意味やイデオロギー性を、マドンナの極端な表現が暴露しているというのは、理論的にはよくわかるのですが、私の感覚がついていけません。
皆さんの感覚での捉え方も聞いてみたいと思います。今は「お笑いブーム」ですね。それは、極端を描き、硬い囚われからのからの解放を、笑いのうちに求めているということでしょうか。
今日は、現実の教師像について、その捉え方の方法とともに、いろいろ議論できればと思います。