ふるさとの4番 (再び)

2年前(2012年7月)に敬愛大学や神田外語大学やったものと同じ内容の授業を、別の大学(U大学)で、やってみた。
それは童謡「ふるさと」の4番の歌詞を書くというものである。資料は以前と同じで、首都大学東京の西島央氏の「ふるさと」に関する新聞記事(2012年6月28日、朝日新聞)と、藤原新也の原発に関する新聞記事(「私たちは国土と民を失ったー水俣病、そして原発事故」(2012年7月4日)である。
 受講者は、地方出身者そして4年生が多いということもあって、自分の生まれ育ったふるさとや家族のことへの言及の歌詞が多かった。そして、福島の原発事故が風化する中で、2年前のように、原発事故と結びつける歌詞はほとんどなかった。
 ただし、後で、2年前のものを学生に見せると、原発事故と結びつけて作られた歌詞(たとえば、「普通の日々 奪われても 生きる希望なくしても それでも僕らはまだ生きている よみがえれ 僕らのふるさと」)に、共感を示すものが多く、今の若者の共感能力の高さも感じられた。

U大学の ふるさとの4番

雪降る町 新潟 家族仲間 待つ場所 夢を追いかけ 置いてきた いつか帰る
ふるさと
帰ってきなよ おうちに どんなときも 待っている ここが君のふるさと ずっと一緒 
ふるさと
家に戻りて 母が作る 飯を食う 風呂に入り 眠って 目が覚めて、夢と気づく
ふるさと
親のこころ 知らずに 自分勝手に過ごした 大人になって 振り返ると 感謝であふれる
ふるさと
大学生も4年目 就活卒論 忙しい 今年で卒業 悲しいね ここがうちらの ふるさと
就活に 染められ 身も心も ホワイト 内定は ブラック 田舎に 帰りたい
ふるさと
夢を追って 一人で 頑張ると決めたこの道 辛いこともあるけど いつか帰る
ふるさと
実家に帰る 癒しだ 山ばかり 広いな 心が癒される スッキリ また頑張ろう 
あの地で
昔あった 遊び場 取り壊され マンション 今は景色が様変わりして 記憶だけの
ふるさと
思いあふる 街並み 集いあった ファミレス 二十歳過ぎし 去りゆく 離れ行く ふるさと
卒業して 7年 ツイッターで再会 同級生 あの頃の友達 ママになり 親子2代の
ふるさと
千葉に来て 14年 嫌いだった 鎌取 たくさんできた 友達 今は好き 鎌取
働いたら 返すと 親にもらう 小遣い バイトもせずに 遊び呆け いつか 巣立つ ふるさと
海に近い あの町 塩くさい日 あったな 子ども達の 笑い声 響きわたる ふるさと
田んぼ広がる 景色 九十九里の海 夜空見上げれば 輝く星 おばあちゃんの笑顔
ふるさと
子ども時代 育って 友人たち 一緒に しかしみんな 都会に 少し寂し ふるさと
母の作る おにぎり 懐かしくて 美味しい だけど今は コンビニ弁当 あたたかい ふるさと
みんなで食べた 夕飯 楽しかった あの時 今は一人で 食べる 孤食すすむ
ふるさと
ずっと共に 育った おさななじみ ありがとう あなたは今も 心の支え 変わらないで ふるさと
忙しい日々に 追われて 寒い部屋に帰る日々 母からくるメール 寂しく思う 帰りたいと思う ふるさと
昔からある この場所 豊かになる この土地 失われたものも あるけど 今も変わらぬ  ふるさと
大学を卒業 これから 社会人 親に先生に 感謝して 精一杯働く ふるさと
ふりかえった あの日々 留守番した かぎっ子 裁縫 お掃除 手伝いながら 父さんの帰りを待つ ふるさと
小学校から転校 千葉から新潟へ 冬は寒く 雪が積もる 私にとっては ふるさと
ふいに 思う あの子を ルンルン高鳴る この鼓動 先が見えない私の将来 時よ 止まれ ふるさと
緑多い 安心 住み慣れた 安心 家に帰り 団らん 落ち着く町 ふるさと 
先の見えぬ復興 政治家たちは口だけ 人との繋がりを大切にして 手を取り合おう
ふるさと

敬愛大学(2年生、教職概論)でも、ふるさとの4番の歌詞を作ってもらった( こちらは、国家nation や地球globe も意識して)
(「ふるさと」の歌詞(4番)を作ってください。)

見渡す限り 田んぼだけ 隣町も 畑だけ 夏の風呂場に 蛙が2匹 それでも大好き 
ふるさと
わがふるさと 成田市 一度おいで いいとこ 空港は あるし お寺もある 
うなりくんも 待っている
魚おいし あの海 いわし 釣りし この海 夢は お金 たくさん 
忘れがたき この海
人々や 街並みは 変わりゆく 便利さと 豊かさを 追い求める 私たち今ここで 振り返ってみよう
忘れがたき ふるさと
毎日 同じ日を過ごす 子どもの頃の 鮮やかな日々は どこへ 思い返す ふるさと
父よ 母よ ありがとう 産んでくれて ありがとう いろいろ迷惑かけたね 
これからも よろしく
ひとり 寿司や 焼き肉 行く人もなく さみしい 今は それにも 慣れつつある 
今は ひとりだけ 常連
すべきことは たくさん つもり たまる 課題よ 夢を追って せわしなく 
いつか果たす ふるさと
夢を追ってた あの日を それが 今は 忙しく 恋をしてた あの日を 忘れ去った 
ふるさと
志をなくして 働かずに 遊んで いつかはやると 言い続けて 親に頼る ふるさと 
忘れがたき ふるさと
世界の幸せ みんなの為 過ごそう 未来の平和を 想い みんなの為の 地球

都内で日の入りを見る

今日(27日)は、都内の某所から、きれいな日の入りを見ることができた。
それに富士山のシルエットもきれい。左手には、スカイツリー。
東京の景色も捨てたものではない。
(これは、調査票のコーディングという単純作業のご褒美 )

千葉の紅葉―亀山湖

千葉〔県〕は、気候が温暖で、気温の差があまりなく、その為、紅葉の見どころがあまりない。
それでも、房総半島の真ん中より少し南の「亀山湖」の紅葉は綺麗だった記憶があり、犬(ソフィー)の散歩を兼ねて「亀山湖」をナビに入れて、出かけた。

家から車で1時間半ほど。房総半島の真ん中の田舎の景色は、なかなか風情があり、千葉にもいいところがあると思った。田んぼの周囲は低い丘陵で、穏やかな景色が続いていて、その先に「亀山湖」(人工ダム)があった。
http://koyo.walkerplus.com/detail/ar0312e13257/
亀山湖では、とても入り組んだ湖で、その周囲の紅葉を、乗り合いのボートで見ることできるようになっていて、観光客で賑わっていた。犬連れでは無理で、今回は乗船をあきらめた。それに紅葉には、また2週間ほど早すぎたようだ。
ソフィ―は、ドライブも、散歩も、同じ犬種の犬との出会いも、楽しんでいた。帰りは、内房に出て、房総の日の入りを見ながらの帰還となった。

授業記録メモ(敬愛大学「教職概論」11月18日1時限)

テーマ 多文化教育と教師
 内容 
1  国際化、グローバル化、多文化化する社会で求められる教育とは何か。
2 「異文化間的視点」とは、どのようなものか。
3 「転換アプローチ」について(A 大学教育と、B 原爆投下のテーマで考える)
4  ETV特集「原爆をどう教えるかー日米の教室から」(1995年9月28日)視聴
5  多文化教育の実践の方法とは何か。

 要点
 国際化、グローバル化する社会の中で、異文化間的視点や多文化教育的視点を持った教育実践が求められている。
それは、単一文化論的視点」や「比較文化論的視点」ではなく、文化が相互作用を起こし相互作用や共生をする「異文化論的視点」(佐藤郡衛)であり、マイノリティの視点に立った公正を目指す[多文化教育]の視点(松尾知明)である。
 具体的には、多文化教育の「転換アプローチ」(バンクス)により、自分とは違った視点からの考察が重要である。たとえば、第2次世界大戦について、アメリカの白人男性の視点からではなく、女性の視点、黒人の視点、日系アメリカ人の視点から考えてみることが重要である。
 今回は、「転換アプローチ」の練習問題として、A 大学教育に対する学生の視点と教師の視点の両方から考える。B 広島・長崎への原爆投下に関して、日米の両方の視点から考える、という2つの課題を課す。以下、その解答(一部転載)
 多文化教育の視点に立ったETV特集「原爆をどう教えるかー日米の教室から」を視聴し、考えを深める。

 リアクションの一部 転載

3 転換アプローチの演習 (以下は、すべて学生自身の記述)
A 学生の視点 v 教師の視点
(A-1)大学の教師は、学生のこのような気持ち(要望)がわかっていない。
授業が一様でつまらなく、眠くなってしまう。楽しい実践的な授業をしてほしい。もっと面白い授業をしてほしい。話だけでなく、実習のようなものを取り入れてほしい。もっと中身のある授業を望む。小学校の現場に行ったとき、役立つ実践力の向上が目指せる授業を受けたい。教師を目指しているからといって、小学校や中学校のような授業を受けたいわけではない。誰とでももっと距離を近くにもってほしい。授業中寝たくて寝ているわけではない。授業妨害者へきちんと対処してほしい。課題が多数重なり健康を害することがある。休講の連絡が遅い。大学は勉強だけでない。勉強以外の社会勉強もたくさんしたい。

(A-2)学生は、大学の教師のこのような気持ち(要望)がわかっていない。
授業を聞いてほしい。静かに真面目に聞いてほしい。寝ないで授業を受けてほしい。授業に集中してほしい。頑張って作ったレジメだからしっかり授業を受けてほしい。学ぶ意識が低い。教員の気持ちを感じる努力をしてほしい。伝えたいことがたくさんあるのに。学生は先のことがよく分かっていない。授業をする身になって授業をおこなうことがどれだけ大変か考えてほしい。話が分かっているのかわかっていないのかわからない。学生の為になると思って話をしているのに考えをくみ取ってくれない。予習を前提の授業をしているのに、学生は予習をしてこない。スマホや他の授業の課題をされると講義のモチベーションが下がる。授業中の私語は雑音なので出て行ってほしい。俺がここまで調べてきた最高の授業なのになぜ感動しないのだ。必要な知識を身につけてほしい。もう少し大人になれないかな。話をしっかり聞いて、自分で課題を見出してほしい。上を目指す割にはそれに見合う努力を学生がしていない。あまり手間をかけないでほしい。様々な視点があることに気が付いてほしい。もっと勉強に励むこと、敬愛大学生としての自尊心を持って生活を送ること。

B 広島・長崎への原爆投下 
(B-1) 広島・長崎に原爆を投下し、多くの人を殺したのは、ひどい(日本の視点)
アメリカは怖くて憎い。ひどい。非戦闘員を無差別に殺すってありえない。同じ人間なのに。そこまでしなくてもよかったのに。原爆を投下する以外にも方法はあった。そんな大勢を殺す必要はなかった。無残に殺した、許せない。理由を知りたい。2度も落となくても戦争を終わらせることはできたであろう。非人道的だ。戦争は残酷。道徳的に間違えている。アメリカはひどい国だ。卑怯だよ。無残すぎる、

(B-2)アメリカが広島・長崎に原爆を投下した理由(アメリカの視点)
これ以上戦争を長引かせれば、原爆以上の被害が出る。しょうがなかった、こうするしかなかった。、日本を変えるため。日本に目覚めさせる為の手段。必要な犠牲。降伏させるため。さらに多くの命が失われた。自軍を失いたくない為。戦争を終わらせるため。早く日本を降伏させるために仕方がなかった。。日本全体が戦争加担者。アメリカ国民をこれ以上、殺させない為。見せしめ。真珠湾攻撃への仕返し。日本憎い。東京に落とさないだけ、ありがたいと思うべき。早期に決着の為。世界の中で優位に立つ為。やらないとアメリカが危ない。結果よかった。日本が宣戦布告してきたから。戦争に勝つため。(殺戮の)規模の大小は問題にならない。日本から仕掛けたお返し。日本が降伏しないから。終戦させるために仕方がなかった。先にやらなければ、こちらがやられてしまう。日本北部をロシヤに奪われない為。力の強さを示す為。実験

(上記への武内の感想―今の学生は、他者の視点(ここでは大学教師の視点、アメリカ人の視点)に立って考える力(共感力、洞察力)は、十分に持っている。)