事後報告のしつけ(習慣)

人は親から受けたしつけを自分の子どもにもしつけるのであろうか。親にされて嫌だったことは自分の子どもにはしないという人も多いので、しつけの継続性は必ずしもないかもしれない。ただ意識的には継続を拒否しても無意識に親のしつけ方を継続してしまう場合がある。
学校の教師の場合は、どうであろうか。担任の教師のやり方を教え子は真似してしまうのであろうか。これも反面教師ということもあり得るし、無意識に真似してしまうこともあるであろう。
大学教師の場合、自分の指導教授のやり方を真似してしまう場合が多いように思う。ただし、時代が変わっているので、自分の受けた指導やその方法は時代遅れて、今の学生や院生に通用しない場合も多い。
今、一つ思い出すのは、私の指導教授は、大学卒業後軍隊の経験が数年あった為、上からの命令の扱いに厳しかった。それは上からの命令は絶対というだけでなく、命令されたことを実行した後の事後報告をきちんとするということである(軍隊では、このようなことが必要だったのであろう)。事後報告しても先生はそっけない素振りしか示さないが、事後報告を怠ると、ひどく叱責され、機嫌が悪かった。
忙しい今の時代に、そのようなやり取りは必ずしも必要はないと思うが、(上の)人に何かを頼み、人がそれをやってくれたとしても、忙しさにかまけて、そのお礼を言わないことがあるように思う。したがって、軍隊的な事後報告のしつけ(習慣)は、現代人に必要かもしれないと思う時がある。

講義型よりアクティブ・ラーニング ?

 今日(14日)の敬愛の国際学部の1年生のゼミでは、『スタディスキルズ・トレーニング』(吉原、間淵、冨江、小針著、実業出版、2011)というすぐれた本の内容を一部紹介した。
 その8章の「シラバスを使いこなそう」、9章の「講義の上手な受け方を知ろう」を使って、大学1年生が大学の授業を受ける際のスキルのエッセンスを凝縮して、かなり力を入れて話した。
シラバス通りの授業かどうかは教員によって違うこと。大学教員の黒板の書き方は、ノートを取るようには書いていないこと。したがって、ノートの取り方はかなり注意すること。大学の単位は、演習や語学を除いて、授業時間と同じ時間分の自学(予習・復習)の時間が含まれること。高校までの(怠惰な)学習態度で大学生活を過ごすと、後で後悔することが大きいこと、などを話した。

 ところが、聞いている16名のゼミ生の反応はいまいち。感心して聞くでもなく、目を輝かせるでもなく、メモを取るでもなく、どちらかというと退屈で、眠そう。

 そこで、方向を転換して、このテキストの10ページの自己紹介メモを参考に自己紹介を書かせ、それをもって、3分ずつで、次々人を変え、自己紹介を1対1でやってもらった。(これは、昔上智大学の教育学科のオリエンテーションキャンプでよく行われたもので、私もそこに加わったことがあるが、かなりキツイゲームという印象があった。)
 すると、学生はがぜん活気づき、皆とても楽しそうに自己紹介ゲームに没頭し、新しい学友との会話を楽しんでくれた。ゼミが終わっても、立ち去り難いという雰囲気が教室に流れたほどである。
 今の大学で、講義型ではなくアクティブ・ラーニングが好ましいというのは、このようなことを言うのであろうか?少し複雑な気分。

「敬天愛人」―敬愛大学の建学の精神を考える

 敬愛大学は、地方都市の小規模(2学部、1学年の定員400名)な大学であまり知られていない大学だが、そろそろ創立50周年を迎える。
その大学の建学の理念が「敬天愛人」である。
この言葉は、西郷隆盛の言葉で、「天を敬い、人を愛す」という意味である。敬愛学園の創始者の長戸路政司が、ある講演でこの言葉に出会い、西郷隆盛の研究に没頭し、学園を創設するときの理念としたという。南原繁による「敬天愛人」の書も、学内に掲げられている。
 新敬愛読本編集委員会編『新敬愛読本』(エルビス、2015年4月)という本が刊行され、全教職員、全学生に配布された。
 明日(15日)の敬愛こども学科2年生のゼミでは、少しこの本の内容を、学生と議論しようと、下記のレジメを作った。(要約及び討論の内容は俗っぽくなってしまったが、、)

『新敬愛読本』から考える           武内 清

1 大学創設理念の意義―①創設者の教育への熱い思い ②偏差値や世間の評判以上の意味
2 西郷隆盛について- 聖人君子になろうと生涯修行し、誠をもって生きた。
3 敬天愛人- 天の愛を信じ、わが身を愛すると同じように人を愛しなさい。
① 天とはー 道は天地自然の物。天は他人も我も同一に愛し給う。ゆえ、我を愛する心を以て人を愛する。天は人を一様に愛し、何ら上下厚薄の区別を付けず、敵も味方もなく、善人も悪人も問わず皆一様に愛する偉大な愛。(悪人を愛するが悪そのものは罰する)
② 愛とはー思いやり、慈悲(仏教)、隣人愛(キリスト教)、日本的な真心(誠)、自分に厳しく、人に優しく。克己。
4 敬天愛人教育―人間を万物の霊長という名にふさわしいものに成長させていく力

 討論
①  大学への誇りや満足度は何から生まれるか
②  尊敬する歴史上人物、作家、有名人はいるか。
③  天とは何かー天と神、自然、社会との関係は?  
       天災、祟り、罰(ばち)、誰も見ていなくても神が見ている?
④  社会とは何か - 国家や制度、組織、集団との関係は
⑤  悪人を愛するが悪そのものは罰するとは?
⑥  自分に危害を加える人を愛することは可能か。

新緑の季節―公園に鯉のぼり

今日(12日)は、朝から天気がよく、ピクニック日和。
投票を済ませた後、お弁当を持って、近くの公園へ。
公園ではもう、鯉のぼりが上がっていた。5月の子どもの日、ゴールデンウイークはもうすぐ。
新緑で、1年の一番いい季節に何をしよう。

放送大学の院生の研究テーマ

昨日(11日)は、放送大学の岡崎研究室の修士論文の中間報告会があり、出席して、報告を聞かせてもらった。院生は皆職業を持ちながら、修士論文を書こうとする意欲の高い人ばかりであり、その研究テーマはいまの職業に関連することが多く、興味深い。

 看護専門学校で教員している院生は、看護学校に入ってきている発達障がいの学生をどのように指導していったらいいのか、というテーマ。
 歯科技工分野の教員の院生は、そのインスツメントの持ち方がおかしい学生を、箸の持ち方から指導して、矯正していく方法の研究。
 学校で養護教諭をしている院生は、いかに地域保健と連携して、児童生徒の保健指導を行っていくかの実践的研究。
 中国の大学で長く日本語を教えてきた院生は、中国の学生の就職難を見て、中国の大学で就職支援・キャリア支援をどのように行えばいいのかという問題意識を持ち、日本やアメリカの大学のキャリア支援の歴史も調べ、それぞれの国の大学や学生事情から、その方策を探る研究。
 小学校の教員の院生は、新聞(NIE)を使っての「PISA型読解力を向上させる指導法の研究」。
 同じく小学校教員の院生は、家庭的に恵まれない子どもを学校や教師がいかに支援していくかの研究。優れた事例から学び、実際関係する学校での取り組みも検証する研究。
 公民館活動に参加経験のある院生は、公民館の「話し合い学習」が、現代的「市民的公共性」を養成するうえでいかに有効かの研究。それには①「親密圏」の両義性(現代的意義と閉鎖性)、②「市民的公共性」のアポリア(合意形成か多様性の創出か)の問題があるという。「企画運営会議」に市民を募り、その企画に基づいた「話し合い学習」(テーマは、たとえば「働くことの意義」)を外に開かれた新しいメンバー(企画者もメンバーの一人として参加))が開かれ、上記の両義性やアポリアを乗り越えていく試み。

 自分の職業体験からくる問題意識には、確かなものがあり、教えられることが多い。