現代大学生の特質

文部科学省が次々と大学改革案を提起し、各大学がそれに対応した大学改革を実行している。その中で現代の大学生は何を考え、キャンパスライフにどのような変化が生じているのだろうか。

私たちの研究グループは、1997年、03年、07年、13年の4回にわたり大学生調査を実施、学生の変化を追ってきた。調査ごとに対象大学は多少入れ替わったが、直近の13年調査は14大学、1771人を対象に実施した。

このうち、4回の調査全てで対象になった7大学(首都圏、関西、九州の国立・私立大学)のデータを分析したところ、現状に満足している学生の「生徒化」とも言うべき傾向が読み取れた。

授業の出席率は、97年の62.3%から、13年の87.7%へ25㌽も上昇した。「授業に満足している」という学生も、26.8%から49.8%へ倍増した。「学科やクラスの友人関係」や「部やサークルの人間関係」に満足している学生も、それぞれ、13.9㌽、18.0㌽増えた。「今の大学への満足度」も66.7%から75.9%に上昇した。

このように、現代の大学生の授業、人間関係、そして大学への満足度は上昇している。この間の大学改革や各大学の努力は功を奏しているといっていいであろう。

学生の意識も変化し、真面目で、素直で、従順になっている。13年調査では、「大学での授業で出席を厳しく取るべきだ」(45.8%)、「学生の生活や学習について、大学の先生は指導した方がいい」(17.4%)と答える学生が増えた。

これらは、大学生のメンタリティーが「生徒化」しているといえるものであろう。「生徒化」とは、他律的、受け身と言った傾向であり、大人や上からの指示に従順であり素直な傾向である。

背景には、大学生の「安定志向」や今日の就職難への防衛意識などがある。高度成長期や好景気の時のように、楽に就職ができる時代ではない。就職に役立つ資格を一つでも多く取り、将来に備えたいと考えれば、大人の指示に従順にならざるを得ない。

大学教師の意識や教え方も変わった。多くの教師は、半期15回の授業回数をきちんとこなし、学生の出席を毎回チェックし、学生の主体的参加を促すアクティブラーニング(能動的な学習)を取り入れ、学生の成長を見守っている。

こうした変化は学生の回答にも表れている。「先生が授業熱心」と答えた学生は、97年の33.8%から13年の62.4%に倍増し、「少人数・ゼミ形式の授業がある」という答えも54.7%から73.6%に増加した。

一方で、大学は「最高学府」であると同時に、社会に出る前の「最終学府」でもある。したがって、学生が社会に出て恥ずかしくない学力(漢字や分数の計算も含む)を身に付けさせ、社会に送り出す責任が大学にある。社会的マナーの教育も必要である。

その意味では、学生たちの授業への出席率の高さ、真面目さ、従順さ、つまり「生徒化」は好ましいことと言って良い。

しかし、気になる点もある。確かに学生たちは授業に熱心に出席し、教師や大学に満足してはいるが、自主的な勉強や読書の時間が増えたわけではない。13年調査で、「授業の予習・復習をほとんどしない」と答えた学生は52.5%、「読書をほとんどしない」は48,7%に上る。

昔の学生は、作家や評論家、芸術家など大学外の思想家の著作から多くを学んでいた。だが、今の学生にとって勉強イコール大学の授業であり、学ぶのは大学の教師が教えるもののみである。

現代学生は、アルバイト経験は豊富でインターネットでの情報収集にはたけているが、海外留学や旅行、合宿、遊び、学生運動など大学外の様々な経験から学ぶことが減っている。異国への旅に出ず、自分を安全な場所に置いてインターネットで都合のいい情報を集めるだけでは異文化体験はできない。

大学類型ごとの差も気になる。伝統的な総合大学では、教養教育を重んじ、学生の「自分探し」(モラトリアム志向)を支援する余裕があるが、新興大学では、就職実績を上げ、それをアピールしなければ、学生も集まらず、大学の存続が危うくなる。学生の「生徒化」に歩調を合わせるように、大学の「専門学校化」が進んでいる。

資格や採用試験合格など、学生に明確な目標を持たせ、その目標を到達するよう指導することは効果がある。しかしその目標自体が、学生が自ら選び取ったものでなければ、自主性は育たない。

学生が卒業して出て行く社会は、決して受け身で内向的な若者にやさしい社会ではない。若年層の非正規雇用が多いことが示すように、従順な若者を不当に扱い、使い捨てる社会でもある。

学生は、学生生活全般から幅広く学び、厳しい社会を生き抜くたくましさを身に付ける必要がある。それには、専門知識の習得と同時に、幅広い教養や汎用的技能(コミュニケーションスキル、数量的スキル、情報リテラシー、論理的思考力、問題解決力)を学ばなければならない。異世代や異文化の人々と交流し、様々な体験を積み重ねなければならない。

大学の教職員は、学生の「生徒化」がもたらす光と影を見極め、学生に時に手を差し伸べ、時に厳しい試練を課していかなければならない。

(日経新聞、2015年5月11日、原稿)

この原稿のもとになった我々の研究グループ(大学生文化研究会)の報告書 『現代の学生文化と支援に関する実証的研究― 学生の「生徒化」に注目して ―』(科研費・ 研究成果・最終報告書、平成 27 2月)は、下記アドレスに全文掲載している。(郵送料350円を切手で敬愛大学武内宛てでお送りいただければ、報告書冊子(229頁)をお送りすることもできる)

https://www.takeuchikiyoshi.com/wp-content/uploads/2011/12/24531072.pdf

 

教育社会学の魅力

 「教育についての理想や理念は大切だけれども、それだけではだめ、とおもう人には教育社会学はむいています」「いままで学校生活をしてきて、気になる点が多々あり、教育社会学を学ぶことによって、『そういうことだったのか』とふにおちるようになる快感みたいなものが教育社会学の魅力です」「教育や学校は近代社会の骨格をなすものですから、教育の社会学的研究をつうじて近代社会つまりわれわれが生きている社会を相対化してみるという壮大な志もあるのです」(竹内洋「教育社会学」『AREA Mok13,教育学がわかる』1996年) 

 上記は、教育社会学の魅力を的確に表していると思う。しかし、これを、学生に説明するには、具体的な例が必要である。それが意外と難しい。

 私がよく具体例に出すのが、「学校の潜在的カリキュラム」についての説明である。学校には明示されたカリキュラムとは別に、明示されていないけれど、学校で生活することで自然と身についてしまうこと(潜在的カリキュラム)があるということをあげる。

 たとえば、中学校校則で、制服の規定で「意味のない」ものがある。しかし、その「意味のない」校則に従順に従うことは、社会に出てから「不当な」法律に従順に従う心性や態度が形成される。さらに、学校の退屈な授業に堪えることができれば、社会に出てからどんな退屈な単純な仕事にも耐えられる。

「授業は退屈であってもよい。私のこの退屈な授業に堪えられれば、社会の中のどのような仕事に堪えることができますよ」と、付け加える。

 この説明の意図は、事実を述べることにある。教育の理想やあるべき姿を述べているわけではない。これまでの学校生活のことで「そういうことだったのかとふにおちるようになる快感」を味わってほしいと思ってのことである。

 ところが、多くの学生は、そうはとらない。「学校にある無意味な校則は撤廃すべきだ」「学校の授業が退屈でいいわけはない。教師は生徒の興味を引くように努力すべきだ」「先生はこの退屈な授業をすぐやめて、学生のディスカッションなどを取り入れるなど、授業を工夫すべきだ」と。

 教育社会学は「理想や理念は大切だけれども」(こうあるべきだということも大切だけれども)、その前に事実(存在)を明らかにすることに重点を置いている。それが教育社会学の魅力(竹内洋氏の「ふにおちるということ」である)ということがなかなかわかってもらえない。

 学生の常識を揺さぶり授業を面白くしようという努力(内容)が、退屈な授業の言い訳と取られてしまう。あげている例が悪いのであろうか。学生が素直過ぎるのであろうか。

近所の散歩

昨日から家族が皆、宮古島に旅行に行ってしまい(下記写真)、

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私は犬(ソフィー)と留守番。

犬とふたり(ひとりと一匹)の暮らしの人の気持ちが少しわかる。(「それも悪くない」などとは言わない)

退屈で、少し遠出の散歩(いつも5分以内だが今日はもう少し先まで)バラを探したが、近くの新興住宅地もバラは少なく、ツツジやアヤメ、それに野の花がきれい。

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近所のバラ

以前に市原ちはら台の母の家の近くの新興住宅地を散歩すると、庭一面色とりどりのバラを咲かせている家が何軒かあり、そこを廻る楽しみがあった。ただ、バラは日頃の手入れが大変なせいであろう、それらはだんだん消滅して、今は1軒残っているのみである。住んでいる人が若くないと、バラの手入れはできないのかもしれない。 

人の趣向は、年齢と共に、「花」→「盆栽」→「石」と移って行くと、聞いたことがある。逆に言うと、まだ「花」に関心があるうちは、若さが残っているということであろう。「石」に関心が向いた時は気を付けた方がいい。

住宅が出来てから半世紀は経つうちの近所は年寄りが多く、きれいなバラの庭園を持つ家はないが、それぞれ2〜3本のバラを植えている家が多い。うちの隣の家の庭のバラの写真を撮らせてもらった。

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浅草の歴史散歩

歴史に通じていると散歩や観光が、とても豊かなものになるであろう。知り合いのMさんが、今日は浅草の歴史散歩をした報告を送って下さった。とても優雅で文化の香りがする散歩だと感心した次第。その一部を転載させていただく。 

 

浅草探訪は11時雷門集合、待乳山聖天⇒今戸神社⇒(昼食)⇒吉原⇒山谷⇒三ノ輪(都電荒川線)⇒17時王子というコースでした。

人でごった返している浅草寺の観光客の大半は中国人ですが、中にはマレーシア人やラテン系の団体も見られました。早々に人混みから逃れて待乳山聖天に向いました。司馬遼太郎の「峠」の情景ですが、河井継之助が待乳山聖天からの眺望を楽しんでいた時、吉原方面に上がった煙を見て、馴染みの太夫の所に裸足で一気に待乳山を駆け下りるというシーンを思い出し、血の気が多く、情の深い、生身の継之助を感じました。

次は今戸神社です。同じく司馬遼太郎の「胡蝶之夢」からですが、この神社は上野戦争の時に戦傷者が運び込まれました。長崎でオランダ医師ポンペに西洋医学を学んだ松本良順が修羅のごとく怪我人を治療している姿を想像しました。ここはまた縁結びの神社で多くの若い女性が願いことをしていました。現代女性の憧れの的であるという新撰組の沖田総司が最期を迎えた地であることも面白い縁だと思います。

隅田川から吉原に向かう山谷掘が埋められ遊歩道になっています。見返りの柳を鑑賞し大門に向かいました。吉原では河合継之助が通った茶屋と遊郭を訪ねましたが、茶屋は交番、遊郭はホテルになっていました。吉原の区画はほぼ江戸時代のままで風俗店が軒を並べていました。「お歯黒どぶ」の跡では、吉原に売られ苦界に身を沈めた女郎が火事に遭い「どぶ」に妨げられて死んでいった怨念を想いました。

その後、樋口一葉記念館を経由して山谷に向かいました。労働福祉センターあたりに路上生活者がいましたが、外人向けの宿泊所が増え、時代の変化を感じました。三ノ輪から都電荒川線に乗り王子に行きました。王子で一日の旅を語り合いました