「梨泰院クラス」のヒロイン・イソの生き方

 最近は韓国ドラマをあまり見なくなったが、時々昔見た韓国ドラマを見たり思い出したりすることがある。昔の「冬ソナ」以外では、「梨泰院クラス」(2020)を見たのが、韓国ドラマを見始めた最初で、今でも時々見る。

 (以前にも書いたが)そのドラマのヒロイン・イソの生き方に感心した。それは従来の女の子らしく好きな男に「自分を守ってもらう」というのではなく、逆に自分が好きな男の夢をかなえさせ、彼を守り、彼に危害を加えるものを殲滅させるという強い意思で行動する女性である。たとえ彼から愛が得られなくても怯むことはない。母親の子どもへの愛情に似ているような気もするが、「男は女(妻)を守る」という現代にも続く日本の風潮とは違い、新鮮さを感じた。(ブログ2020年5月24日参照)

晩秋の花

晩秋になると紅葉も終わり、庭の花もあま見るものがなく、草木(植物)好きの人間にっては少しさびしい季節である。その中で、菊と皇帝ダリヤは今が一番の季節のようで、その花は心を癒してくれる。今年は菊展をどこにも見に行けなかったが、近所やうちの庭には昨年の菊が野菊のように咲いている。皇帝ダリヤは、庭で5本ほど風に吹かれながらもなんとか咲いている。季節外れのバラや朝顔がまだ咲いているのを見ることはある。そろそろ冬の花の季節。

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勤労感謝の日の一日

私達は「働く」というのは当たり前で、「勤労感謝の日」に感謝されることもなく、それも当然と思っていた。(常勤で)「働く」ことがなくなった今は、「勤労感謝の日」がなおさら意味のある休日とは思えない。普段と全く同じような1日である。

 朝ドラを見て、朝食を食べ、少し家事をして、メールのチックをして、検見川浜に鳥に餌をやりに出かけた(車で15分)。途中、検見川高校の脇を通ったが、今年は「皇帝ダリヤ」がほとんど咲いていなくてがっかり(夏の暑さにやられたのかもしれない)。検見川浜は、風もなく波は穏やかで、散歩する人や釣り人にはいい日和。ただウインドサーフィンをする人にとっては、物足りない風模様。海辺にいるカモメがやけにお腹を空かせているようで、持ち込んだパンとご飯を喜んで食べてくれた(鳥への餌やりは、孤独な老人の楽しみ。2022年1月24日ブログ参照)

 テニスの仲間内の会に入会を許可してくれたSさんが、絵の古典を幕張のアトリエで開催しているというので訪ねた。旅の写真を見て描いた絵、約150点のうちの数十点の展示ということであったが、その素晴らしさに見とれる。いい休日の一日であった。

晩秋の紅葉を見に行く

今年は夏の暑さが9月下旬まで続き、季節感に迷いが生じた。紅葉は、11月でも大丈夫かなと思っていたら、いつの間にか11月中旬になってしまつた。とにかく北の方に行けば、紅葉がまだ見ることができるかもしれないと、先週の土曜日(11月11日)に、関越道に乗り北を目指した。関越の『月夜野』で降りて、「猿ヶ京」の温泉に入り、翌日、越後湯沢に行ったが、もう紅葉は終わっていた。石打にある中野屋のへぎ蕎麦(最後の写真)は美味しかった。苗場のゴンドラも動いていず、苗場のボードウォークでも葉の落ちた白樺を見ただけで終わった(2、4番目の写真)。次の日、朝起きたらびっくり。一面銀世界だった(3番目)。「三国峠」を降り(下の方は少し紅葉は残っていた)、群馬の沼田を経由して、「吹割の滝」(下記写真)などを見ながら、奥日光(5番目)、中禅寺湖を経由して、「いろは坂」降りた(途中下の方は紅葉が少し残っていた)。鬼怒川温泉と川治温泉を経由して、その奥にある「湯西川温泉」を目指した。途中は、紅葉の盛りの季節はさぞ綺麗なところだったろうと思われる山が迫り(その時は色あせた紅葉)、圧巻の景色であった。「湯西川温泉」はいくつものトンネルをくぐった先の奥地にあった。そこは、昔平家がここまで落ちのびたという「平家の里」があった。宿泊したのホテルは、昔はかなり宿泊費が高額だったと思わせるホテルで、ロビーも部屋も温泉も満足できるものであった。今回の旅行は紅葉の盛りは見られてなかったものの、(老人期の)枯れた感じの紅葉は見ることができたし、期待していなかった初雪も見ることができ、いい温泉も3か所で入り、それなりに満足できるものであった。

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渡邊雅子教授『「論理的思考」の文化的基盤』への礼状

名古屋大学の渡邊雅子先生より、ご著書『「論理的思考」の文化的基盤』(岩波書店、2023)をお送りいただき、下記のような礼状を出した。

<この度、ご高著『「論理的思考」の文化的基盤』(岩波書店、2023)をお送りいただきありがとうございました。2021年に岩波書店から出版されたご著作(『「論理的思考」の社会学的構築』に続き、短期間で素晴らしい学術書を出版され、先生の学問的生産性に驚きを禁じえません。/日本とアメリカ、あるいは日本とフランスの文化や教育比較の本は、いくつかありますが、日米仏にイランを加えた4か国比較というものははじめてかと思います。/さらに、単なる文化比較というのではなく、社会学的な考察、しかも「論理的思考」に焦点づけて、主題が鮮やかに分析、記述、説明され、読者に感銘を与えます。/これからじっくり読ませていただきますが、4つの国の「論理的思考」を詳しく学び、自分の思考や文章も再考したいと思います。/4つの象限に分け考察するのは、とてもわかりやすく、全体を俯瞰するのに、つまり自分の視点を他の観点からみるのにとても有効な方法だと思います。昔読んだ作田啓一の「価値の4類型」(『価値の社会学』岩波書店)や見田宗介の価値論を思い出します。/私にとって衝撃なのは、日本の「論理的思考」の箇所(200ページ前後)に書かれている「共同体への回帰」のようなことを、私自身無意識にやっているのではないかということです。具体的には、私が依頼されたコラムを書く時や、大学の授業での学生のコメントの例をいくつか抜き出し皆に提示するのは、日本の学校の国語教育で行われているような「共通の感覚」と「共通の感想」へ読者を導いていこうとしているのではないかということです。もっと、米仏そしてイランのような方法も考える必要があるのではないかという自己反省です。/ご著書を読ませていただき、いろいろなことを考えたいと思っています。簡略ながら、御礼まで。>