今週の教育課程論

 今週(11月25日)の教育課程論(敬愛大学こども学科1年生)は先週に引き続き、ジェンダーとカリキュラムというテーマを扱った。
  重要なテーマであることと、先週学生に充分に考えてもらう時間がなかったので、その補填をしようと思ったのである。
 2枚の配布資料を配りその内容を最初に簡単に説明した。
 それは、①ジェンダーとカリキュラムに関しては顕在的カリキュラムだけでなく、潜在的なカリキュラムに注意すること。②ジェンダー研究としては上野千鶴子が第1人者であること。③生まれてばかりの時、性別を誤認され、思春期にそれに気がついた時はどうすればいいか。④恋愛とジェンダーの関係も様々な問題があること。⑤女性の自立とはーマリリン・モンローとマドンナの違いについて、フィスクの分析から考えてみよう。⑤男子は弱者ではないのか等、少し「挑発的」な問題提起をしてみた。

その後、4人グループ(女1人、男3人が標準)を作ってもらい、下記の6つのテーマに関して、議論してもらった。学生達はかなり、楽しそうに、議論してくれた。。
(以下、議論のテーマ)
1 これまでに性(ジェンダー)による差別を感じたことはあるか(cf 木村, 多賀)
2 恋愛において、ジェンダー(社会的性差)は、どのように関係しているのか(cf、河野)
3  男女の違いは、生まれながらのものか、社会的に作られたものか(cf 上野)
4 女性が男性に支配されない生き方をするには、どのようにしたらよいか(cf フィスク)
5 男子は女子より弱い存在か(「男性問題」とは何か)(cf 多賀)
6 「ジェンダーに敏感な教育」とは、どのようなものか。(cf 多賀)

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写真投影法2

今日の(2015年11月24日)の教職概論は、写真投影法を説明した。
学生が、教員になった時、この手法を使えると思った為である。
最初に、今日の課題として、「大学内で気に入っている場面、あるいはひと、もの等の写真を撮ったと想像してその絵を描き、それにコメントをつけて下さい」 (コメントの長さは自由20~100字くらい)という指示を出した。
本当は写真でできればいいのだが、時間も、機材もないので、簡便な方法をとった。(もしかしたら、スマホで写真を撮り、それを持ってきてもらえば、それを投影し、情報を共有できるのかもしれないと、後で思った)
次に、NHKの藤原新也の授業を、you tubeから見てもらい、感想を求め、それも参考にしてもらった。
写真投影法に関しては、下記の資料を配り、説明した。
受講生からは、かなり、面白い写真(絵)やコメントがあった。

配付資料
写真投影法1(出典http://applumeria.me/blog/20131204/)
まず始めに「あなたの人生において大切なもの」というテーマで写真に撮ってくださいと伝えるところから始めます。撮ってきてもらった写真をもとになぜその写真を選んだのかということを聞いていきます。写真というところがとてもユニークなポイントです。これは写真投影法と呼ばれるものです。心理学の分野では、心の中を言語化することで、分析であったり、カウンセリングが行われてきました。ただしその言語化する過程の中で失われてしまう情報があるのではないかという考えもあります。そうした考えから生まれたのが、描画法というものや箱庭療法になります。描画法では実際に絵を描いて表現してもらい、そこから分析を行っていく手法になります。その時々でテーマを与えられるのですが、「自分を描いてみてください」などといった指示をして絵を描いてもらいます。箱庭療法では、砂の入った木箱に準備したミニチュアを好きなように配置をして、自分の世界を表現してもらいます。どちらの方法も表現したあとに言語化されることがあります。描画法や箱庭療法では絵の上手い下手や、ミニチュアの制限、時間的制限がともされています。写真投影法はそれに次ぐ方法として、京都造形芸術大学の野田教授が1988年に考案した手法であり「写真による環境世界の投影的分析法」のことです。近年カメラの性能が良くなってきたことで、表現がしやすくなり、また絵の上手い下手や、時間的な制限を受けることなく心の中にあるものをビジュアルで表現できるとうことが利点です。僕の研究ではこの写真投影法を使って50人に「人生において大切なもの」の写真を選んできてもらっています。

写真投影法2(出典http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/6324_52317_ref.pdf)
写真投影法(Photo Projective Method: PPM)とは、写真による環境世界の投影的分析法である(野田正彰『漂白される子供たち』情報センター出版局.1988)。この方法では、調査対象者にカメラを渡し、何らかの教示を与えて写真を撮らせる。そして写真に撮られたものを、自己と外界との関わりの反映と見なし、認知された環境(外)と個人の心理的世界(内)を把握、理解しようとする方法である。PPM は、環境学や地理学、心理学などの学問領域で注目されている。これは、これまで言語レベルでの測定によってしか知りえなかった撮影者の視覚的世界や心理的世界が、写真という視覚的データを介して垣間見られるからである。写真調査の教示―レンズ付きフィルムを渡し、「○○大学での1週間をこのカメラで撮影してください」と教示を与えた。写真ごとに、「何(を行っているところ)を撮影したのか」、「その時にどのように感情をもったのか」について記述するよう求めた。

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チーム学校について

「チーム学校について先生どう思いますか」と、元教え子に聞かれ、「それ何?」と聞き返したら、大変軽蔑された。
「先生、チーム学校を知らないのですか。遅れていますね。大変危ない構想なんですよ」と。
ネットで検索すると、文部科学省が「チームとしての学校・教職員の在り方に関する作業部会」というものを作り、中間報告も出していることが分かった。(http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2015/07/28/1360375_03.pdf)
(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/052/index.htm)
<「チームとしての学校」像―校長のリーダーシップの下、カリキュラム、日々の教育活動、学校の資源が一体的にマネジメントされ、教職員や学校内の多様な人材が、それぞれの専門性を生かして能力を発揮し、子供たちに必要な資質・能力を確実に身に付けさせることができる学校 >とある。

日本は他国に比較して教諭以外の教育関係者が少ないことや教員の多忙化を解消するという理由をあげ、学校カウンセラーやソーシャルワーカーや地域人材を教育に関わらせ、校長の権限を強めるということのようである。教員の多能化が解消され、教員が教科指導に専念できるのであればいい構想にように思われる。また文部科学省の予算要求の手段として有効に思われる。
しかし、教師の仕事を授業に限定していいのか、校長の権限の強化という官僚制の徹底が目標のあいまいな、脱連結を特質とする教育に合うのかどうかなど、危ない面も多く含まれている構想であることが伺われる。

写真投影法について

藤原新也の授業の映像を見て、昔読んだ野田正彰『漂白される子供たち』に載っていた写真投影法を思い出した。
その方法を、当時の学生に試みたことがあるが、こちらに力量がなかったのか、うまくいかず、その方法をすっかり忘れていた(野田氏には、一度子どもに関するシンポジウムでお会いし、雰囲気のある人だったなといういい印象がある)。

ネットで、写真投影法で検索すると次のような文章が出てきた。

「写真投影法(Photo Projective Method: PPM)とは、写真による環境世界の投影的分析法である。(野田正彰,1988,『漂白される子供たち』情報センター出版局)。この方法では、調査対象者にカメラを渡し、何らかの教示を与えて写真を撮らせる。そして写真に撮られたものを、自己と外界との関わりの反映と見なし、認知された環境(外)と個人の心理的世界(内)を把握、理解しようとする方法である。PPM は、環境学や地理学、心理学などの学問領域で注目されている。これは、これまで言語レベルでの測定によってしか知りえなかった撮影者の視覚的世界や心理的世界が、写真という視覚的データを介して垣間見られるからである」(「写真投影法による場所への愛着の測定」林幸史・岡本卓也・藤原武弘、http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/6324_52317_ref.pdf)

藤原新也は、嫌いなものを写真に撮ってくるように子ども達に指示し、その理由を考えさせ、それに適切なコメントをし、子ども達の考えにあたたかくも鋭い意見を述べていて、それには感心させられた。
林氏らのように、学生に大学のキャンパスの写真を撮ってきてもらいそれにコメントを添えてもらい、それをもとにインタビューや議論することをしたら、大学論、学生論として何かできるのではないかと思った。

ただ、考えてみると、私のこのブログは、半分以上がまず、写真があり。(私の写真は、気になるものを撮っているつもりだが、実際は好きなものを、基本的に撮っているような気がする)、それにコメントを書いている。まさに、写真投影法を実践しているのである。野田氏のような精神科医がみたら、たちどころに、私の精神鑑定はなされてしまうのであろう

祭日も大学は授業

今日(23日)は、祭日。でも大学は、授業数の確保の為に、祭日でも授業がある。
「祭日なのに授業なんて」と思っている教員や学生も少なくないと思うが、大学に行くと、(午前中は、)普段とは違う華やぎも感じられる。
 祭日気分と平日気分が半々で、少しウキウキ感が高い感じがする。午後になると、明日からの授業のことを思い、テンションも下がる(自分の気持を述べているだけかもしれないが。もっとも、現代のブラックバイトが横行している中、授業がありバイトを入れない祭日で、学生はうれしいのかもしれない)

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