ワラビスタン

多文化共生の重要さがさまざまに論じられている。中央教育研究所所長の水沼文平さんから、あまり知られていない日本に住むクルド人に関して情報が寄せられた。興味深い内容なので、掲載させていいただく。

蕨(わらび)にある「ハッピーケバブ」というクルド料理の店に仲間と行きました。
国家を持たない世界最大の民族集団と言われるクルド人ですが、日本にも1,000名規模で住んでいて、多くのクルド人が集中して住んでいる蕨市、川口市を、彼らが居住する地域を指す「クルディスタン」をもじって「ワラビスタン」と呼ぶそうです。
私たち以外はみんなクルド人で、気になるのかチラチラとこっちを見るお客がいたので話しかけてみました。店の人もお客も全員男だけでした。そのうち会話の輪が広がりトルコや蕨での生活、家族の話などを聞くことができました。
20才と21才の若い人とも話が弾みま1人は2年前、1人は半年前に日本に来たそうです。ここで私が驚いたのは彼らの流暢な日本語です。半年や2年くらいで、難しい日本語をこんなに話すことができるのだろうかという素朴な疑問を持ちました。そして、それは日本語を覚えないと生きていけないという必要から生じた「流暢さ」だと気付きました。
彼らはトルコやシリアで異民族として扱われ、トルコ軍やISの攻撃で故郷を離れざる得なくなり、就労ビザで日本に来ています。彼らの仕事の大半は建築や解体現場での作業のようですが、仕事が欲しいだけに必死になって日本語を覚えたのでしょう。
小学校4年生の少年とも話をしました。日本に来て半年、日本の小学校に通っていますが私の質問はだいたい理解できるようでした。
日本の企業の中には英語を公用語にしているものもあり、日本政府は英語を教科にして小学校から仕込もうとしています。日本の代表的な英語教育学者である鳥飼玖美子先生が「英語帝国主義」という言葉を使われましたが、英語がどんどん入ってきて、その分日本語が粗末にされていく可能性もあります。
言語とは文化であり、その言語を失うことは日本人としてのアイデンティティーそのものの喪失を意味します。日本語の大切さを再認識し、その上にたった国際共通語としての英語の位置付けを明確にすることが大事だと思います。(水沼)

大学時代の合宿について

自分の学生時代を思い出してみても、大学時代の合宿の思い出は印象深くいつまでも消えない。大学の教室で学んだことはほとんど忘れているが、合宿でのことはよく覚えている。大学教育の中で、寝起きを共にした合宿の経験は貴重である。
私の場合は、大学で入ったサークルでの1年生の5月の鎌倉のお寺の本堂に50人もの学生が雑魚寝をし、真っ暗な中で上級生から話しかけられた時の戸惑いは忘れられない。また夏の野尻湖合宿で、最後コンパの後に下級生が上級生を湖に投げ込む「慣習」があり、それから逃れるために暗闇の森に隠れた恐怖の体験も、思い出ぶかい。学科でも上級生の企画してくれた山中湖の合宿(そこではマルクス・エンゲルスの本を読むように勧められた)、教育調査の為の合宿(面接の為に古河市の安い旅館に泊まり込んだ)が思い出される。
武蔵大学に勤めた時は、1年から4年まで学年を超えたゼミ合宿を毎年夏に行い、学生の交流を計った(よくテニスをした)。合宿のゼミでは上級生がとても立派なことを話すのに驚いた。武蔵のゼミコンパは皆よく飲み、宿泊先に迷惑をかけ、同じ場所を2度と使えないということも多かった。体調を崩した学生に付き添い、救急車に乗ったこともある。私の退職の時、武蔵の多くの卒業生が集まってくれたのも、この毎年の合宿のせいではないかと思っている。
上智大学では、1年生が入学するとすぐ、1泊2日のオリエンテーションキャンプがあり、これが学生たちの友達作りと大学への適応を高めるはたらきをしていた。上級生のヘルパーのお蔭もあるが(様々なゲームや寸劇やイベントを1年かけて企画していた)、行きのバスと帰りのバスで、新入生の顔つきや親密度がまったく違った。
上智の教育学科では、各ゼミが競って工夫したゼミ合宿を行っていた(歴史的な教育の建造物の見学など)。私は見学よりはゼミでの発表や話し合いを重視し、2泊3日で5回のゼミでいろいろ発表と討論を行った(場所は、軽井沢や山中湖など近場で)。他大学(横浜国大、立教)との合同でゼミを行ったこともある。また、隣の研究室の加藤幸次先生のゼミに便乗させていただきアメリカ(NY,UW等)や香港の学校訪問の旅に出たこともある。

しかし、最近学生の合宿は、ゼミでもサークルでも少なくなっているような気がする。新入生向けのオリエンテーションも、合宿はせず学内で実施することが多い。学生たちも大学ってそのようなものだと思っているので、文句も言わないし、ゼミ合宿のような面倒なものがなくていいと思っている節(ふし)を感じる。
教員にとっては、ゼミといっても、合宿もコンパもなく楽でいいなと感じる一方、学生時代の一番大事なことを経験させないで、学生を送り出していく後ろめたさも少し感じる。
(大学時代に一番大事なことは、ゼミと合宿とコンパだということを、今の学生は知らない。)

啓蟄

今日は、啓蟄とのこと。季節の変わり目に、動植物の動向ではなく、花粉や自分の健康のことばかり気にしていては情けない。
今日の新聞には、下記のような記事があったが、そういえば、昔住んでいた市川市の家の近辺でも、カエルやヒバリ、ウグイスの鳴き声や、チョウチョウ、トンボをよく見かけたのに、近頃千葉市でめっきり見かけることがなくなった。また、そのことの自覚すらなくなっていることが恐ろしい。

<消えたトノサマガエル 生物の観測、都市化で休止相次ぐ
5日は暦の上の「啓蟄(けいちつ)」で、冬ごもりしていた虫たちが動き出す時期とされる。気象庁は1953年から、季節の移り変わりを動植物の様子でみる「生物季節観測」を続けているが、温暖化や都市化の影響で身近な生き物が見られなくなっている。
気象庁が全国規模で観測の対象としてきたのは、トノサマガエル、チョウや鳥といった生物が11種、サクラやタンポポなどの植物が12種類。生物は、気象台職員が初めて姿を見た日を「初見(しょけん)日」、初めて鳴き声を聞いた日を「初鳴(しょめい)日」、植物は花の「開花日」などを記録に残す。ところが近年、観測が休止に追い込まれる事例が相次いでいる。
「鳴き声さえ聞くことは少なくなっています」。千葉県銚子市の銚子地方気象台では、トノサマガエルが2011年以降は見られない。(中略) ホタルやヒグラシも休止に追い込まれている。(中略)東京・大手町の東京管区気象台では11年、6種の観測をやめ、ウグイス、ツバメ、シオカラトンボ、アブラゼミ、ヒグラシの5種類に絞った。ただ「春告鳥(はるつげどり)」とも呼ばれるウグイスの鳴き声は00年を最後に確認できない。地方都市でも変化が見られ、広島地方気象台は13年以降、ヒバリの初鳴の記録がない。甲府地方気象台のヒグラシの初鳴は13年が最後だ。(中略)
一方、植物の観測記録からは温暖化とみられる影響が顕著になりつつある。サクラの開花は53年以降、10年ごとに1日程度早くなり、カエデの紅葉は10年ごとに約3日の遅れがでている。生物季節観測に詳しい敬愛大学国際学部非常勤講師の松本太さん(環境学)は「地球温暖化が進んでいるうえ、気象台がある都市部では開発による環境変化やヒートアイランド現象で、生物が生息しにくい環境になっている」と分析している。 (朝日新聞、2月6日 朝刊より、一部転載)>

追記
 3月8日の今日は暖かく、大学に来る途中で、黄色い蝶(多分、モンキチョウ)が1匹飛んでいるのを見た。あわててカメラを取り出したが、すぐ飛んで行ってしまい撮れなかった。 千葉はまだ、野原があり、野の花が咲いているのであろう。

マスクについて

有名な教育学者の佐藤学氏が、「マスクの教室風景」という題で、子ども達が教室でマスクをする傾向が蔓延し、教育の場で「個々人が信頼と繋がりを喪失して孤立を深める」危険性を指摘している(『内外教育』2016年3月1日)。大学でもマスクをする学生は多い。
若い女性がマスクをする率は高いが、女性のマスクはじろじろ見られることを防ぐし、美人に見えるし、効用は高いように思う。一般には、インフルエンザ・風邪対や花粉症対策で、マスクをすることが多い。その為のマスクであるが、マスクをすると対社会や対人間の関係でも、楽だなと感じることができる。マスクをすると、外の人(他者)との間に薄い膜があるようで、人と距離を取れるし、緊張感が薄れ、気持ち的に楽になる。
ただ、逆にマスクをした人に対峙する側(マスクをされる側)からすると、自分に対して一歩距距離を置かれたようで、歯がゆい感じがある。マスクをする側とされる側で、感じ方がかなり違う。マスクをしてデートしているカップルを見かけることがあるが、ふたりはどんな関係なのであろうか。

花粉症

今日(28日)はよい天気で、ソフィ―を近くの公園に連れて行った。野良猫も公園でのんびり。
梅や菜の花が咲き快適なはずが、花粉症がひどく、ゆっくり草花を楽しむどころではなかった。
明日は、花粉症の薬をもらいに医者に行こう。

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