大学の卒業式、パーティー

今日(3月23日)は、敬愛大学でも卒業式と卒業記念パーティーが開催された。卒業生に女子学生が少ないせいか、例年より華やかさは欠けていたように思う。
私達の卒業の時(今から半世紀近く前)は、卒業時には学生が先生たちを招き、謝恩会を開催した。今は、学友会主催の卒業記念パーティで、誰が主役なのかはあいまいのまま。
今卒業する若者にとって未来はそんなに明るくないかもしれないが、暗いとも言えない。各自が自分の力で切り開き、精神的満足や安定も自分なりに得ていかなくてはならない時代であろう。卒業生の前途に幸運あれ。
今年の卒業生に私が1年〜3年時に教えた学生はかなりいるが、今年度は4年ゼミを担当しなかったので、ゼミの卒業生はゼロ。このような卒業式に出るのははじめて(昨年は9名のゼミ卒業がいた)気楽であるが、やはりさびしい気持ちは拭えなかった。

IMG_1958

IMG_1966

IMG_1971

桜の開花の季節

今日(22日)は、東京で桜の開花宣言とのこと。
千葉は、東京より少し暖かく、先週稲毛海岸で桜が咲いていた。春の花も咲き誇っている。春の海も穏やかで心安らぐ。

IMG_1900

IMG_1921

IMG_1950

生物学から学ぶ

私は最初大学は理系に入り、授業は数学、物理、化学、生物といった理系科目ばかりであった。そこに出てくるのは数式とものと動植物ばかりで、人間が全然出てこない。それで嫌になり、人間を扱う教育学部を、大学3年次の時の進学先に選んだ。
数学も物理も化学も面白いと思わなかったが、生物学も動物や植物の遺伝や生態を調べて何が面白いのだろうと思った。
でも、下記の生物学者の書いた新聞記事を読むと、生物学は人間の基底部分を扱っていて、教育学や社会学に役立つ部分もあるかもしれないと、今は思う。(他の理系科目の内容も、教育学や社会学と共通部分がかなりあると、今は思う)
生物は、何億年もメスだけで事足りたというのは興味深い。オスは刺身の具(つま)のようなものかもしれない。生物はもともとメスだけ、あるいは両性具有で、途中から(メスから)オスが分かれたのかもしれない。それも、少し違った血を入れた方が面白いというメスの気まぐれから。
もしそれが正しいなら、社会学のジェンダー論は再考を迫られるかもしれない。

(福岡伸一の動的平衡9「哀れ、男という『現象』」朝日新聞 2016年1月28日より転載)

 ボーボワールは「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言ったが、生物学的には「ヒトは男に生まれるのではない、男になるのだ」と言う方が正しい。
 生命の基本形は女性である。そもそも38億年にわたる生命進化のうち、最初の30億年は女だけでこと足りた。男は必要なかった。誰の手も借りず女は女を産めた。その縦糸だけで生命は立派に紡がれてきた。でも女は欲張りだった。自分のものは自分のもの。他人の美しさもほしい。かくして縦糸と縦糸をつなぐ横糸が生み出された。遺伝子の運び屋としての“男”。単なる使いっ走りでよいので、女をつくりかえて男にした。要らないものを取り、ちょいちょいと手を加えた急造品。たとえば男性の機微な場所にある筋(すじ)(俗に蟻〈あり〉の門〈と〉渡りなどと呼ばれる)は、その時の縫い跡である。
 コンピューターをカスタマイズしすぎるとフリーズしたり、故障したりしやすくなる。それと同様、基本仕様を逸脱したもの=男、は壊れやすい。威張ってはいるが実は脆(もろ)い。病気になりやすいし、ストレスにも弱い。寿命も短い。その証拠に、人口統計を見ると、男性に比べ圧倒的に女性が多い死因は「老衰」だけである。つまり大半の男は天寿を全うする前に息絶える。哀れなり。敬愛する多田富雄はこう言っていた。女は存在、男は現象。(生物学者)
trong>

作田啓一(氏)のこと

直接教えを受けた先生(恩師)ではないが、その著作を読み感銘を受け、師と崇める人がいる。私にとって、社会学者の作田啓一はそのような人のひとりである。
氏の著作『価値の社会学』(岩波書店、1972年)を何度読んだことであろう。1冊目はボロボロになり、2冊目、3冊目も購入した。ゼミのテキストでも使ったことがある。私のようなものでも影響を受けたのだから、作田啓一が、日本の社会学や教育社会学研究に与えた影響は、とても大きかったのではないかと思う。
作田啓一は、永く京都大学の教養学部の社会学の教授だったので、関西では直接教えを受けた人が多かったと思うが(京大出身の井上俊、柴野昌山、竹内洋らもそうだと思う)、関東にいる私は本でしか知らず、いつか京都に行った時、作田啓一らしき人を京大近くでバスからみて感激した。上智大学での社会学会の大会が開催された際は、部会の発表は聞かず、司会の座に座っている作田啓一ばかりを見ていた覚えがある。
作田啓一は、社会学の理論家として卓越していただけでなく、文学にも造詣が深く(漱石やドフトエフスキ―に関する本も書いている)、その文章は緻密で味わいが深い。私は院生の頃、朝一番で、氏の文章を読む習慣があった。すると頭がすっきりとし、その日の勉強がすすむ。このような文章が書けないものかといつも思っていた。仏文学者の多田道太郎との親交も厚く、多くの文学や文化的な共同研究があり、学問とはこのように楽しいものかということを教えられた。
「師として仰ぐ」ということは、遠くから尊敬をして憧れているということである。畏れ多くて、その人と話そうと思ったことはない。
その作田啓一が、亡くなったという記事を今日の新聞で読んだ。ご冥福をお祈りする。

<作田啓一さん死去 社会学者「恥の文化再考」(朝日新聞、2016/03/18)
社会意識論や大衆社会論で知られる社会学者で、京都大名誉教授の作田啓一(さくた・けいいち)さんが15日、肺炎のため、京都市内の病院で死去した。94歳だった。 山口市生まれ。京大文学部卒。1959年に京大助教授となり、66~85年に教授。デュルケムやパーソンズらの研究をもとに理論社会学や文化社会学の研究を進めた。哲学や文学の領域から日本文化、大衆意識への考察も進めた。哲学や文学の領域から日本文化、大衆意識への考察も進め、現代日本の社会学に影響を与えた。京大退職後は甲南女子大教授を務めた。主な著作は「恥の文化再考」「価値の社会学」など。

大学院時代の後輩のKさんより、下記のメールをいただいた。人それぞれ「師」と仰ぐ人がいるものだと思った。
<先日、岡崎さんの送別会であまりお話もできず残念でした。武内さんのブログを読んでいますが、武内さんが作田先生の著作を高く評価しているのを知りました。私はもちろん作田先生とは面識がありませんが、非常に洞察力の鋭い人だという印象を持っております。おそらく、武内さんもそこに感動しているのではないかと推察しております。ただ私は、昔作田先生の著作を読んだときに、自分にはこうした洞察力はないとあきらめました。したがって、あまり作田先生の著作から研究のヒントのようなものを得た記憶がありません。大学に就職する前後に法社会学の川島先生の著作を読み、これは勉強になったという実感があります。それにしても、教育社会学ではそうした著作がないのが残念ですね。>

読解力のなさ=浅はかな読み(自分のこと)

自分の読解力のなさにあきれることがある。小説を読んでもそうだし、映画を見ても、肝心なところがわからず、人の話で「あー、そうだったのか」と納得することが多い。学校で国語の成績が悪かったのも無理がない。宮崎駿の映画「コクリコ坂から」を、親戚の小学校5年生の子と観に行った時も、肝心のところがわからず、小学校の5年生に教えられ、納得したことがある。
 いまだによくわからない小説がある。漱石の夢十夜の第6話である(朝日新聞の3月16日に掲載されていた。下記に全文コピー)。この最後のところがわからない。
 昔、「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ」の部分に感心して、「教育もこのように子どもの中に眠っているものを彫りだすようなもの」という見方があると授業で説明した時、ひとりの学生から「その読みは違うのではないか。漱石が言いたいことは、最後の言葉(「明治の木には到底仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った」)ではないか、と指摘された。その学生の指摘に、なるほどと思ったことがあるが、実のところ、その理由がまだ判然としない。 

すぐれた素材が埋まっていない時代は、すぐれたものを作り出すこと(教育)や人(運慶)が必要ということを漱石は言いたかったのであろうか?

ネットでは、次のような解釈も見られる。(http://azapedia.net/481.html)
<第六夜ー運慶が仁王を刻んでいるというのは、作るのではなく掘り出すのだという芸術感がうかがわれる。天下の名工 運慶は、こしらえたものではない、万物の造形主が作った仁王を彫り出した=創り出したのである。芸術の究極の理想であるが、結びの「ついに明治の木にはとうてい仁王を埋まっていないものだと悟った」というのは、明治の文壇・美術界への痛烈な批判であり、運慶という理想は生きていても明治の人間は真の芸術・文学を創り出すことはできていないということになる>

夏目漱石「夢十夜」 第六夜(朝日新聞、2016年3月16日より転載)

 運慶(うんけい)が護国寺(ごこくじ)の山門で仁王(におう)を刻んでいるという評判だから、散歩ながら行ってると、自分より先にもう大勢(おおぜい)集まって、しきりに下馬評(げばひょう)をやっていた。
 山門の前五、六間(けん)の所には、大きな赤松があって、その幹が斜めに山門の甍(いらか)を隠して、遠い青空まで伸びている。松の緑と朱塗(しゅぬり)の門が互いに照(うつ)り合って美事(みごと)に見える。その上松の位地(いち)が好(い)い。門の左の端を眼障(めざわり)にならないように、斜(はす)に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出(つきだ)しているのが何(なん)となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
 ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中(うち)でも車夫(しゃふ)が一番多い。辻待(つじまち)をして退屈だから立っているに相違ない。
 「大きなもんだなあ」といっている。
 「人間を拵(こしら)えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」ともいっている。
 そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫るのかね。へえそうかね。私(わっし)やまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」といった男がある。
 「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いっていいますぜ。何(なん)でも日本武(やまとたけの)尊(みこと)よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻(しり)を端折(はしょ)って、帽子を被(かぶ)らずにいた。よほど無教育な男と見える。
 運慶は見物人の評判には委細頓着(とんじゃく)なく鑿(のみ)と槌(つち)を動かしている。一向(いっこう)振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺(あたり)をしきりに彫り抜いて行く。
 運慶は頭に小さい烏帽子(えぼし)のようなものを乗せて、素袍(すおう)だか何(なん)だか別(わか)らない大きな袖(そで)を脊中で括(くく)っている。その様子が如何(いか)にも古くさい。わいわいいってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分(いまじぶん)まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
 しかし運慶の方では不思議とも奇体(きたい)とも頓(とん)と感じ得ない様子で一生懸命に彫(ほっ)ている。仰向(あおむ)いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と我れとあるのみという態度だ。天晴(あっぱ)れだ」といって賞(ほ)め出した。
 自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、 「あの鑿と槌の使い方を見給え。大自在(だいじざい)の妙境に達している」といった。
 運慶は今太い眉(まゆ)を一寸(すん)の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯(は)を竪(たて)に返すや否や斜(は)すに、上から槌を打ち下(おろ)した。堅い木を一(ひ)と刻みに削って、厚い木屑(きくず)が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻(こばな)のおっ開(ぴら)いた怒(いか)り鼻(ばな)の側面が忽(たちま)ち浮き上がって来た。その刀(とう)の入れ方が如何にも無(ぶ)遠慮であった。そうして少しも疑念を挟(さしはさ)んでおらんように見えた。
 「能(よ)くああ無造作に鑿を使って、思うような眉(まみえ)や鼻が出来るものだな」と自分はあんまり感心したから独言(ひとりごと)のように言った。するとさっきの若い男が、「なに、あれは眉(まみえ)や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋(うま)っているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだから決して間違うはずはない」といった。
 自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。果(はた)してそうなら誰にでも出来る事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫って見たくなったから見物をやめて早速家(うち)へ帰った。
 道具箱から鑿と金槌(かなづち)を持ち出して、裏へ出て見ると、先達(せんだっ)ての暴風(あらし)で倒れた樫(かし)を、薪(まき)にするつもりで、木挽(こびき)に挽(ひ)かせた手頃(てごろ)な奴(やつ)が、沢山積んであった。
 自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当(あて)る事が出来なかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵(かく)しているのはなかった。遂に明治の木には到底仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った

ウキペディアの英訳も転載
The Sixth Night
The dreamer hears that Unkei is carving Niō guardians at the main gate of Gokoku-ji. He stops to see, and joins a large crowd of onlookers. Unkei, dressed in Kamakura attire, is suspended high up on the work, carving away industriously, oblivious to the crowd below. The dreamer wonders how Unkei can still be living in the modern Meiji period. At the same time, he watches in awe, transfixed by Unkei’s skill with mallet and chisel. A fellow observer explains that Unkei is not really shaping a Niō, but rather liberating the Niō that lies buried in the wood. That’s why he never errs. On hearing this, the dreamer rushes home to try for himself. He chisels through an entire pile of oak, but finds no Niō. He concludes, in the end, that Meiji wood is hiding no Niō. That’s why Unkei is still living.