教育実習の体験

敬愛大学で担当している「子どもと地域の教育論」という科目は、選択科目で、受講者が2年生、3年生、4年生がそれぞれ3分の1ずついる。テーマに即した内容で学生の発表形式で行っているが、先週(6月28日)の授業内容は「中休み」で、教育実習を終えたばかりの4年生に教育実習の様子を話してもらった。
大学の教室では頼りなげな学生が、教育実習ではひとりの「教師」として、精緻な授業案を作り、さまざまが工夫して、子どもたちに向き合ってきたことがわかる。人は役割を与えられれば、力を発揮するということであろうか。(ボランティアで授業の補助だけの「卵プロ」と教師としての役割が与えられる教育実習では全然違うという指摘も考えさせられた。)

教育実習も地域差があり、30人くらいのクラスでテキパキと授業をすすめなければならないところと、10名前後でのんびりと授業を展開しているところがある。

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学生のアルバイトについて

学生は4年間卒業するまでに約1000回の授業に出る。私立大学の授業料等の納付金は4年間で400万円とすると、400万円/1000回で1回の授業に4000円のお金を払っていることになる。
時給1000円のアルバイトに精を出し、大学の授業をさぼったり、過重なアルバイトで授業に出席しても寝ていたりしたら、損をすることになる、と学生に話すことがある。
それに対して、学生は怪訝な顔をする。それは、授業料は親が出していたり、大学は大卒や免許の資格がほしいので、授業内容は関係がない為と思っているせいと、私は思っていた。しかし、下記の意見を読み、見落としている点があるかもしれないと感じた。

<「ブラックバイトは社会全体の問題」
過重労働を始め、理不尽な働き方を学生アルバイトらに強いる「ブラックバイト」。「高校生と大学生に蔓延(まんえん)するブラックバイト」(21日)で、中京大教授の大内裕和氏はブラックバイトがなぜ広がったかを二つの理由を挙げて説明します。
第一は「学費の高騰と親の貧困化」。親の貧困化は子どものアルバイトを余儀なくさせ、「高校生が働かなければ、家族全体の生活が立ち行かなくなる状況」を生みます。
第二は「これまで正規雇用が行っていた責任の重い基幹労働を、非正規雇用が担わざるを得ない状況」が出現したこと。その結果、学生はアルバイトを休めず、辞められなくなってしまうというわけです。
では、ブラックバイトをなくすにはどうしたらいいのか?
労働組合や政府が解決に向けて積極的に動くことに加え、大内氏は高校や大学での労働法教育の普及や奨学金制度の改善、大学などの授業料引き下げの必要性を強調します。
これは一部の学生の問題ではなく社会全体の問題だ――その認識を広めることこそが急務でしょう。(朝日新聞 2016年6月26日)
(編集長 松本一弥) http://t.asahi.com/jm21

追記

奨学金や貧困に絡んだ大学退学問題に関しては、東大の小林雅之氏のグループが精緻な調査を実施し、報告書を出している。

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イギリスのEU離脱

政治的なことはわからないが、イギリスのEU離脱投票の結果を見て思うことは2つ。
ひとつは、ポピュリズムのこと。エリート主義がいいとは思わないが、逆にポピュリズムは正しい決定ができるのであろうか。
もう一つは、グローバル化や多文化共生が唱えられる社会的風潮にブレーキがかけられるのではないか。これもいいことではないが、ただ理想だけでなく現実的な見方が必要なことは確か。
朝日新聞にも「識者の見方」として、次のような意見が掲載されていた
<■ポピュリズム台頭、経済の混乱招く )
いま、世界的に反グローバル主義のポピュリズムが台頭している。米大統領候補のトランプ氏がその象徴だ。英国のEU離脱も、エリートが牛耳る政治への反感が根っこにあった。EUが、英国を引き留めるために移民政策などで譲歩すれば、英国の離脱派はあらためて大きな勝利を得ることになり、世界的な反グローバル主義やポピュリズムの流れは強まるだろう。>(竹森俊平氏・慶大教授)(2016年6月27日、一部抜粋)

梅雨の晴れ間の海

梅雨の晴れ間の御宿(外房)は、日がさして、空も海も青く、きれいであった。
もう海の家は出来あがっていたが、サーファーや外人の女の子が父親と一緒に水辺で遊んでいる以外、人は多くはなかったが、もうすぐ夏が来ることを感じた。
海からの風が涼しく、心地よく、子どももソフィー(犬)も久しぶりの御宿を楽しんだ。

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理事会について

いろいろな組織には理事というものがいて、理事会というものが年に何度か開かれる。理事会は、その組織や会の重要なことの審議や決定をする機関であり、その議事はきちんと練られ、議事の進行は厳か(型通り)に行われる。その為、通常、理事会に出ると、提案に対して異論も出ず、たいした議論もない。
理事の人達は、組織の代表であったり、その道の権威の人であったり、有名な人あることが多いので、いろいろ意見を聞きたり、話が聞けたらさぞ有益なことであろうと思われるが、議事は型通りすすみ、横道にそれることはほとんどない。
学会の理事会も同じようなもので、事務局で議論して精査した内容が議案として出てくるので、理事から質問や意見が出ることなく、原案通りに承認されることが多い。
私の経験ではかって学会などでは、理事会の後の懇親会が開かれ、それが有益だった時が昔あった。そこではホンネの議論があり、情報交換があり、本の企画が立てられ、人事が実質的に決まったりすることがかってはあった。しかし、今はそのようなことはほとんどない。
現在私が参加しているT研究所の理事会は、理事長や事務局長の発案で、重要議題の審議や決定の他に、各自の研究に関するスピーチの時間が別に設けられ、研究の交流が計られている。そこでは高名な教育学者の話を聞く機会があり、とても得をした気分である。
各種の理事会も、もう少し、参加している人の学識や人柄が出るものになればいいのにと思う。