リオオリンピックの話題

リオオリンピックで、日本中が盛り上がっている感じであるが、これをどう思うかと話題にすることは、有意義かもしれない。
学校の先生たちは、9月に子ども達にオリンピックについてどのような話をするのであろうか。道徳の授業にも使える話題のような気がするが、どの道徳項目で取り上げられることが多いのであろうか(自分の努力、他者の応援のお蔭、崇高な力、国家に貢献等)。そこに自ずと先生達の価値観やものの見方が出てしまうので、興味深くもあり、難しい話題でもある。
これから教員採用試験の2次の面接が行われるところも多いと思うが、「リオオリンピックについてどう思いますか」という質問が出た時、どう答えるのが「正しい」答えになるのであろうか。
私達の見方は、多分にマスコミ(特にテレビ、新聞)の見方に影響されやすい。日本のマスコミのオリンピック報道の言説研究があれば、是非読んでみたい。日本の報道は、選手の気持ちに感情移入しての報道が多いように思う。外国の報道とかなり違うのではないかと思う。
今回の現在の日本のメダルの数は、金12、銀8、銅21と、銀が少ないのが不思議に思う(ロンドンの時は、金7、銀14、銅17)。これは、日本選手の目指すもの、日本の選手の強化の方法に何か関係があるのか(「1番でなければなぜいけないのですか」という質問を思い出す)。他の国は、この比率はどうなのであろうか。

藤原新也は、日本中がオリンピックに浮かれている間に、周囲でかなり危ないことが起きているということを警告している。その一部を転載する。

<ご承知のように今月3日午前7時53分ごろ、北朝鮮は南西部の黄海南道付近から弾道ミサイルを日本海に向けて発射し、この中距離弾道ミサイル「ノドン」と推定されるミサイルは約1千キロ飛行し、秋田県男鹿半島沖の西約250キロメートルの日本の排他的経済水域内に落下した。
このきわめて大がかりな中距離弾道ミサイルの発射を自衛隊が確認追尾出来なかったという事実は大変ショック(なぜこの事の重大さをマスコミは取り上げないのか不思議)な出来事だった。
私個人はこのミサイルの弾道と着弾の地図を見たとき、とっさにこのミサイルはアメリカ軍が核を配備しているとの噂がある三沢基地に照準を当てたものと直感した。だが事態はここに止まっているわけではない。三沢基地のすぐ北には全世界の核施設でもっとも危険とされる「六カ所村核再処理工場」があるのだ。青森県の危険性はそれに止まらない。六カ所村核再処理工場の北には東通原発が控え、さらにその北のむつ市には核燃料中間貯蔵施設があり、さらにその東にはあの有名な大間原発が控える。つまり要するにこのノドンとおぼしきミサイルの射程内の青森は日本でもっとも核災害の危険に曝されている核の一大倉庫なのである。
北朝鮮がなぜあらぬ方向に向けてミサイルを放ったのか一目瞭然である。こんな簡単な想像力もないマスメディア(あるいは自主的に箝口令を引いているのか)およびノーテンキな世論を見るに日本は戦争をしても必ずや負けるだろう。
私はかつて25年前に読売新聞に「平和ボケ」という言葉を書いてそれは今や戦後日本人のメンタリティの代名詞となっているが、とりあえずオリンピックボケはなるべく早く解消して正気に戻っていただきたい。>(Cat Walk の8月18日のshinya talkより一部転載)

店の料理の味の評価

(以前にも書いたが、私は食べ物のない時代(戦後直ぐ)に育ったので、空腹が満たされればそれでよく、料理の味に敏感ではない。それでも、美味しいものを食べると、その味を覚えていて、段々味覚は発達していると思う。でもそれには限界がある。
ある美味しさ以上であると、その差が見分けられない。先日、家人と地方のある評判のお蕎麦屋に入り、もりそばと天ぷらを食べた(入店してから蕎麦が出てくるまでに1時間かかった。それだけ繁盛していた)。私はそれなりに美味しいと感じ食べたが、家人の評価は厳しかった。そばの香りがしない、汁はありきたり、そばの冷えもいまいいち、天婦羅は衣が厚くもったりしている。普段食べる別のお蕎麦屋とは大違い、とのこと。
ネットで調べると、今回食べたお蕎麦屋は操業は昭和のはじめと古く、「食べログ」の評価は3.53と高い。普段食べるお蕎麦屋の評価は3.52とこちらも高い。家人の評価は、後者はきわめて高く、前者はきわめて低い。
ここで思ったことは2つ。一般(「食べログ」)の評価は、私と同じような味オンチの大衆の評価ではないかということ。もう一つは、店は老舗で評判が高くとも奢ることなく、他店にこっそり食べにいったり、味向上の努力を怠るべきではないのではないかということ。
大衆の評価があまり当てにならないのは、料理の味ばかりではない。どのような分野であっても、評判や売れ行きや平均の評価では、本当のところはわからないことがある。

水沼さんより、下記の情報が寄せられた。

<山形にはすごい蕎麦屋があります。先日友人と村山市にある「あらきそば」を食べに行きました。2015年12月20日、山形新聞掲載の《「あらきそば」世界の銘店に選出 村山、仏外務省ランキングで東北唯一》をご覧ください。

http://yamagata-np.jp/news/201512/20/kj_2015122000410.php>

高原で涼む

暑い時は、少しでも涼しいところで過ごすと、体が楽になる。
それには、海よりは高原が適している。川や水も涼しさを増してくれる。

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子ども心

今日(9日)は、千葉も暑く、クーラーを入れない私の部屋は、昼間40度を超えていたのではないか。今(19時20分)も、扇風機で風を送っても、かなり暑い。

子どもの頃の夏休みを思い出すと、家にクーラーも冷蔵庫もテレビもなく、やることといえば、友達と釣りと虫取りだったように思う。
釣りは、家の前の用水池や近くの池で、口細(クチボソ)やフナを釣った。これは、朝早くでないと釣れないので、朝のラジオ体操の前後に行ったように思う。
虫取りは、トンボ、チョウ、セミなどを採った。トンボとチョウは網で採ったが、セミは網ではなく、モチというベタベタしたものがあり、それを長い棒に付けて捕まえた。夏休みの課題に、採った昆虫を集めて昆虫採集として提出したことがある(殺して、防腐剤を注射する。チョウは羽を広げる。今、考えると、それはかなり残酷なことであったように思う)
先ほど、家の前の大きな木のまわりの小さな穴を見つけ、そこから出たセミの幼虫がふ化に向けて木を登るところであった。子どもの頃であれば、すぐ捕まえて持ち帰るところであるが、今は、「しっかり孵えれよ」と応援して祈る気持ちである。

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都会ではあまり空を見ることはない。また都会でなくても家が密集しているところでは見える空の範囲は狭い。都会や住宅の密集地では日の出や夕焼けもあまり見ることができない。空を見るのは、飛行機に乗っている時だけかもしれない(いや、それも空を見ているのではなく、空を飛んでいるだけかもしれない)
日の出や夕日の空がいつも見える場所に住みたいと思い、海岸近くの団地の住む部屋を選ぶ時、海が見えて夕日が沈むのが見える部屋(海に近い棟の5階の一番端)を選び、しばらく住んだことがある。その時は、海とヨットと夕日と富士山と空を満喫した。
今日(8日)、大学からの帰り道、空を見上げると、夕焼けがきれいであった。このような空を見ると、心が洗われる。IMG_3640IMG_3641IMG_3644