今日の御宿

今日(8月25日)は、台風と台風に挟まれたひさしぶりの晴れ間。

学生達と御宿へ。他大学(東洋大学)の学生にも出会う。

学生達は歌の練習とバーベキュー。学生達の青春の1ページを応援する。

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教育社会学者の活躍

https://www.takeuchikiyoshi.com/wp-admin/options-general.php[かなり以前から、教育社会学専攻の研究者が、教育関係の学会や中央教育審議はじめ政府関係の審議会の委員、さらにはマスコミに登場することが多くなっている。

教育社会学は理論的な志向も強いが、同時に実証性を重んじ、現実や現実のデータにもとづく考察を得意とし、立場的には偏らず、客観的、公平にものごとを見ようとするので、重宝がられるのであろう。

8月24日のNHK「クローズアップ現代+」では、奨学金問題がテーマで、教育社会学が専門の小林雅之氏(東京大学大学総合教育センター教授)が登壇して、実証的なデータにもとづ現代の奨学金問題を論じていた。(下記はHKのテレビ画面を撮影)、。確か8月13日の日経新聞でも小林氏が、現代の奨学金をめぐる問題を、氏の提言を含めて的確に語っていた。

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私達が自然に目をやるようになるのは年齢のせいかもしれない。若い人は雄大な景色に見入っても、紅葉狩りや新緑の美しさを感じることはない。年齢とともに自然に惹かれ、そこに安らぎを感じる。これは、社会や組織や人間関係からの逃避という意味もあり、少し気を付けなければいけないが、安らぎの後、現実世界に戻っていくのなら問題ないであろう。
空を見上げると、きれいな形をした雲や何かに似た雲を発見して、こんなに身近なところに、面白いものがあったのかと思う。
ネットで「雲」を検索すると、いろいろ出てくる。その一つ(共感したもの)を転載する。

<雲は私たちにとって、最も日常的で身近な自然だと言うことができます。誰でも、空にぽっかり浮かぶわた雲を見たことがあるはずです。でも、それほど身近な雲を「自然」として意識して観察したり、考えてみたことはありますか?ほとんどの人はないと思います。
私が雲の写真を撮影するようになって7年がたちます。実は、最初は教材として生徒たちに見せるために写真を撮っていました。でも、そのうち二度と同じ物に出会うことができないその形の多様さと美しさに完全に心を奪われてしまいました。刻々と変化する雲を見ていると「そこで今、何が起こっているのだろう」と想像力や好奇心をかき立てられると同時に、その多様な姿に魅力と刺激を感じたのです。全天に広がる羊雲の群れ(高積雲)や尾を引いて流れる巻雲、みるみる形が変わっていく夏の積雲など、どれだけ見ていても飽きないばかりか、その雄大さに心を奪われ時間も忘れてしまうほどです。
そんなすばらしい現象が毎日私たちの頭上で現れ、気づかれることなく通り過ぎ、消えていっているのです。もったいないと思いませんか?「今日はいったいどんな姿を見せてくれるのだろう」。そう思って空を見ることで、外に出る楽しみが一つ増えていることに気づくのです。そして今朝も、私は玄関のドアを開け、新しい出会いを期待して空を見上げながら外に向かって歩き出すのです。(村井昭夫 ttp://shizenjin.net/guide/cloud/)

 

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困難を有する若者への支援

昨日(22日)、敬愛学園では全教職員が集まっての研修会が開かれ、その基調講演が 、中央大学の古賀正義氏からあった。講演はとても素晴らしいもので、出席していた300人以上の教職員は聞き惚れた。
私も「どうしてこのようないい講演ができるのだろう」と感心した。それは古賀氏の学 識と説得的な内容と絶妙な講演技術(話し方)によるものである。同時に氏の専門の教 育社会学的な考察(データによる解釈)も、多くの人に受け入れられるようになったのだと、うれしく思った。

講演のテーマは、「困難を有する若者の現状と支援―見えない未来に問いかける」. いくつか、心の残った考察を書き留めておく。
1 現代は人生の一定のシナリオや順序性が失われ、人が絶えず困難に巻き込まれる液 状化するリスク社会である。
2 現代は優秀な子が就職し、就職できない子が、大学院まで進学する場合がある。
3 若者が困難を抱える(ひきこもり、中途退学、フリーター等)の原因は、1つに特 定化できるものではなく、相互に多くの要因が重なりあっている。その原因と結果のとは表裏の関係にある。
4 ひきこもり事例にみる問題の複合性として、不登校、いじめ・友人関係の困難、受 験・就職の失敗、非行・暴力、発達障害、職場不適応などがある。
5 家庭や私生活で問題が起こると、学校にいくどころではなくなる。学校や教 師が嫌いになるわけではない。
6 高校中退の理由相互には関係があるが、その中核に「生活リズム」がある。生活リ ズムが確立していれば、中退に至らない。また、友人や仲間がいれば、中退に至らない場合が多い。
7 若者は長い期間悩んでいる。その悩んでいる期間に、援助の手を差し伸べられれば 有効である。
8 困難を有する若者の社会参加が重要。支援者や相談者が必要。つまり個人の資質や努力不足だけが問題ではない。地域コミュニティの支援資源の利用不能が問題である。脱個人化の視点が必要。
9 問題を「個人化」せず、「社会化」すること。問題の自己責任論や家族責任論を超 えて、学校・地域・家庭のネットワーク支援へ。

これまで我々は近代の論理で、個人の能力や努力で解決するのが自立への道と考えてき たが、ポスト近代の今は、人との協力、共同、共生、援助を求めることができる感性や能力(つまり「コミュニケーションの能力)が大事である。個人で無理に頑張らない、そして共同、相互扶助のしなやかな姿勢が求められている、と感じた。

教訓について

教訓とか道徳的項目とかは、ありきたりで、あまり感心したり、好きになったりしないものだが、そのことに思いあたったエピーソドを読むと(あるいは聞くと)、なるほどと思い、心にとめておいていいかなと思うものもある。
大学の語学の教科書のトーマス・マンの「トニオ・クレーガー」の中の一節、「より多く愛する者は負けたものであって、苦しまなければならない」という言葉(教訓?)には、感心したことがある。(ただ、この場合はトーマス・マンの深い思想を理解したわけではない)。
『村上春樹雑文集』(新潮文庫)を読んでいたら、「人は何かに向かってたとえ血の滲むような努力をしても、必ずしもそのことで他人に認められるとは限らない」(423ページ)という言葉と、「他人が自分の悪口を言っている時は、寝たふりをしているのがいちばんなんだ」(424-3ページ)という言葉が、印象に残った。それは、村上春樹の好きなジャック・ロンドンや彼(村上春樹)の体験に基づく教訓だったからであろう。

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故郷の仙台に帰られた水沼さんより、下記のメールをいただいた。仙台でもこのブログを読んでいただいているようで有難い。

「大変な台風でしたね。仙台は夜半に大荒れでしたが今朝は晴天です。昨日「村上春樹雑文集」を読み始めました。ジャック・ロンドンの「野性の呼び声」「白い牙」は私の愛読書ですが、彼の全生涯を語ったアーヴィング・ストーンの「馬に乗った水夫」はロンドンという人間と彼の生涯を知ることができる興味深い本です。今日は山形蕎麦のメッカ、河北町谷地に行きます。ついでに「紅花資料館」も見てきます。(水沼文平)