男にとっての女性の価値について

以前にレンタルフレンドのことをこの欄で紹介したことがある(2014年5月31日)。孤独な男が「女友だち」をレンタルして、一緒に食事をしたり、夕日を見たりする費用が半日で4万8千円だった。それでも孤独な男にとって、半日女性が一緒にいて話し相手や食事相手になってくれるということで、その支払い額に見合った心理的満足が得られたという。

以前にブログで書いたが(2014年5月11日)、村上春樹の小説『女のいない男たち』は、 男たちにとって、女性がいなくなった世界がいかに空虚な世界なのかが、描かれている。

私が若い時、知り合いの弁護士の人が、「武内君,後学の為だからついて来なさい」と、その人が顧問弁護士をしている銀座のクラブ5件の見回りに私を連れて行ってくれたことがある。それぞれ短時間ではあったが5件の銀座のクラブで「お客」として席に座り、ウイスキーなどがふるまわれた。銀座のクラブというおよそ縁のない世界をはじめて見て、学ぶことは多くあった。(当然のことだが、その後「銀座のクラブ」に行く機会はない)。
「あそこに座っていたのは誰それ」と、店を出てから、有名人の名前が次々と弁護士の人から告げられた。ただ、そこは一見すると、ただ座ってお酒(ウイスキー)を飲み、男女が話している明るい喫茶店のような場だった(日活の映画に出てくるような怪しげな暗いクラブは一軒もなかった)。そしてそこにいる女性は全部店の人(ホステス)なのである。ここが最高級というクラブでは中年の女性が着物を着ていたが、その他のクラブでは女性は普通の洋装の人が多かった。カジュアルな店では、普通のきれいな女の人が、センスのいい服を着ているという印象であった。そこでの料金を弁護士の人に聞き、あまりの高額に驚いたことを覚えている。
その銀座のクラブの体験から、学んだことは次のようなことである。
男にとって、女性がそばにいて、一緒に飲んだり食事をしたり話をしてくれるということは、こんなに高価なこと(価値のあること)なのだということ。私達が、普段普通の女性と一緒に食事に行ったり、話をしたりして、その支払いを男が全額もつことは当然で、銀座のクラブのことを考えると、それはとても安いことなのだということ。
男にとって女性の価値はそれだけある。逆に、女性が男におごってももらっても、そのことでその男に借りができたとは考える必要がなく、「自分としばらくでも一緒にいれてありがたいと思いなさい」という心意気をもっていいということである。
(この話を、妻にしたら、「あなたは、若い時、よほど女性にもてなかったのね」と言われたが。(それはその後も同じだが)、また別のことであろう)

日本教育社会学会68回大会

日本教育社会学会68回大会(9月17日〜18日、名古屋大学)のプログラムが、学会のHPで公開になっている。
歳を感じると、もう学会には参加しなくていいかなと思う一方、発表内容を見ると、どんな新しい知見が報告されるのだろうとワクワクする気持ちも生じる。
学会で新しい出会いに期待するということはないが、懐かしい人に会える楽しみもある。
歳を取っても、元気と気力のあるうちは、学会に参加して、いろいろ学び、昔の仲間や知人や教え子と交流してきたい。
http://www.jses2016.info/file/68thprogram2.pdf

夏の終わりの御宿

今日は、8月31日。夏休みが終わり、明日から始まる学校(小中高)も多いことであろう。
夏の終わりの海を見届けようと御宿海岸に行く。

既に海の家は片付けられ、ライフセーバーたちも荷物をまとめはじめ、海岸には人も少なくなって、さびしさが漂っていた。
美味しいものを食べ、気持ちを切り替え、秋に向かおう。

御宿でも、これから遠泳大会(9月3日)、伊勢えび祭り(9月11日)など秋の催しがあるようだ。http://onjuku-de-genki.org/programs/body-health/swimrace/

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学校社会学研究会(その3)

先の「34回学校社会学研究会」で、私自身が学んだことや考えたことを記録に残しておきたい。学会や研究会で人の話を聞くということは、本や論文を読む以上に、印象に残ったり考えさせられたりすることが多い。(カッコ内は報告者)

① 「校長のリーダーシップの下、カリキュラム、日々の教育活動、学校の資源が一体的にマネイジメントされ、教職員や学校内の多様な人材が、それぞれの専門性を生かして能力を発揮し、子供たちに必要な資質・能力を確実に身に付けさせることができる学校」(中教審答申)という「チームとしての学校」は、カウンセラーやソーシャルワーカーなどの専門家の学校への導入で、教師の多忙を軽減し、教師の力量を補う面があるにしろ、これまで日本の教師の培ってきた教職の専門職性を薄め、校長の専制を強める働きがある。教育現場の実情から慎重に考える必要がある。(坪井)
② 外国籍の子ども、ニュカマーの子どもの教育の研究が、盛んになされているが、そこに、今増えている「ハーフ」の子どもの視点を入れてみると、新たな問題が見えてくる。さらに近年この問題は、学校内の教育や活動の問題だけでなく、家庭(育ち)や学校外の活動(SNSも含む)の問題とも連動している。日本における「ハーフ」の子に対する見方には、歴史的に変化がある。また「ステレオタイプ的な見方(現在では、例えばローラが典型)がある。日本人の「ハーフ観」によって、「日本人らしさ」がわかる。現代ハーフには「快活さ」というパホーマンスがみられるが、それはゴフマンの「洒落さを備えた技法」に通じるものである。(ケイン)
③ 「治療共同体」はドロップアウトした若者を包摂する方法である。薬物等を断つことに力点を置くのではなく、個人の生きる力を引き出し人生を再構築(自己物語化)を行うことに比重を置いている。生活を共有する集団に参加することによる問題の意味の気づきをめざす。(古賀)
④ 文化系部活動には、文化資本の生得性が作用する。(白石)
⑤ 学校校舎の新築様式だけでなく校舎の改修や空間変更の実例により、教育現場がどのような校舎や学校空間を求めているかがわかる。学校建築家は教育の現場を知らず、建築の美的観点からのみ校舎を設計するという無責任なことをすることが多い。(藤原)
⑥ 教育社会学は教育実践と一線を画しているが、教育実践に対して一定の寄与をすることはできる。それは、教育社会学研究者の教育現場でのアドバイスに対する教員の評価からわかる。(名越)
⑦ 研究者である事を優先し、目の前の学生の現実に向き合おうとしない大学教員は少なくない。大学教員は、大学は「最高学府」というよりは社会に出る前の「最終学府」という意識で、基礎学力支援を業者に丸投げするのではなく、自ら学生に向き合っていく姿勢を持つことが大切である。(鷲北、児玉)

地元の名所

 

私達はよくいく地域のことも知らないことが多い。私の場合、千葉の外房にはよく行くが、そこやその周辺にどのような名所があるのかよく知らない。
外房の御宿周辺については、御宿にある不動産屋「ひまわり」の人が毎日交代で、ブログで周辺のいろいろな場所の紹介をしてくれているので参考になる。http://www.himawari.com/blog/blog/13
今日(8月30日)のブログには、いすみ市にいいお寺があるという紹介の記事があった。全く知らなかったところで、今度是非行って見たいという気になった。一部転載)

<今日は、真夏の海の賑わいとは違う 落ち着いた山の中の場所をご紹介したいと思います。 国道128号線から少し入ったいすみ市岬町鴨根地区に、坂東三十三観音の三十二番札所、清水寺(http://www.kiyomizudera.info/)があります。 国道の混雑を避けてよく通る道沿いに 「清水寺」という大きな看板が何か所もあり、 以前から気になっていました。 今回足を運んでみて、 「なぜもっと早く来なかったんだろう!!」 と後悔してしまうほど、素敵な場所、空間だったのです。 境内に入ったとたん、 言葉を失ってしまいました。珍しい、四十七士の彫刻も祀られています。 そして鐘楼堂。 ここで除夜の鐘がつかれるそうです。 ここは京都・東山の清水寺と同じく、 坂上田村麻呂ゆかりの地であると言われています。 田村麻呂は房総の地で兵を固めていったため、 房総の各地で様々な伝説が残っているようです。 遠い遠い昔に、この地でそんなことがあったなんて・・・・ 車の通りもなく、のどかな田園風景は、 ただただ静かで、心の底から落ち着くことができました。>(http://www.himawari.com/blog/blog/13)