本の書評に感謝

高野良子・武内清編『教育の基礎と展開―豊かな保育・教育のつながりをめざして』(学文社,2016年4月)は、保育士、幼稚園教諭、小学校教諭等をめざした学生向けの教科書として編まれた本で、私の敬愛大学こども学科の「教育原論」「教育課程論」でも使っているが、各章が丁寧に書かれていて使いやすい。また力作ぞろいで一般の人にとっても読み応えがあると思う。
放送大学東京文京学習センターの自主ゼミ(SEガーデン)でも、今テキストに使って毎月1章ずつ読み、議論している(今月は13日15時30分から開催、第2章)。
日本教育新聞に、千葉経済大学名誉教授の飯田稔先生が、温かい書評を書いて下さった。心より御礼申し上げる。

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高校教育に関する教育社会学的研究について

先の教育社会学会の68回大会での高校教育関係の発表の内容の紹介と感想を書いておきたい。(大会プログラムは、http://www.jses2016.info/でみられる)

1 高校のサポート校は、生徒の出入りが激しく、その生徒文化は固定的な学級に所属する従来の学校の生徒文化とは違った、新しいタイプの生徒文化(キャラ)が形成されている。(内田康弘)
2 私立の通信制高校は、不登校の生徒の受け皿としての役割を果たし、高校教育を補填するという側面をもつが、そのカリキュラムは生徒寄りのもの(アニメやダンス等)もあり、授業料は高額で、「貧困ビジネス」という側面もあり、注意が必要である。(酒井朗)
3 可能性がありながら力を発揮できない生徒を受け入れるエンカレジスクール(高校) が東京都にはある。調査と実際(校長体験)から考察した研究(大塚一雄)
4 定時制高校における中退問題を、高校のタイプ(定時制・昼夜間、定時制/学年制、通信制)に考察した研究(古賀正義)
5 高校の学力階層とネットいじめの関係に注目して分析した研究、サンプル多い(調査対象 66,400人)(原清治 佛教大学教育学部紀要、第14号参照)
学校におけるいじめに関しては、ネットいじめが、実際の学級でのいじめと連動する形ではたらいている。高校内部の生徒間の多様性が高い高校ほど、いじめの被害も拡大する(大多和直樹、小針誠、小林至道)。
6「定期考査に向けて頑張ること=受験準備になる」という仮説を検証した、高校中堅校の大規模な調査(濱中淳子、山村滋)
7 高校時代の努力が、高校卒業後のライフコースにどのような影響を及ぼすのか(教育達成・職業達成への影響、努力習慣の形成への影響)の、高卒後12年間のパネル調査(高校卒業時7563名を対象)(山口泰史)
8 普通科での職業教育がなされている。(「公立高校における専門教育提供構造の都道府県比較」小黒恵)
9 生徒や親は公立と私立の選択をどのような理由でしているのか(「高校の設置体を選択するメカニズム」西村良一)
⒑ 進学校で、勉強以外が奨励されるのはなぜか(「進学校に於ける非進学的な教育内容の役割―「文武両道」言説の採用過程に注目して                    加藤一晃」)
11 地方の高校生は、卒業後どこに移動するのか(「地方における高校生の進路選択―「福島県高校調査:から」 遠藤健、沖清豪」

教育社会学の研究で、高校教育に関係したものは少ないのではないかと思ったが、 意外と多く見られた。上記以外もまだある。さまざまなテーマが取り上げられているが、教育課程(カリキュラム)関係は少ない。高校生の生徒調査は、ほとんど高校種別やランクが意識されている。サンプルの多いものや、パネル調査もみられる。エスグラフイー調査もある。どれも、研究の水準は高く、さすが教育社会学と思わされたが、気になったことがある。
ひとつは、サンプルの多い調査や長年時間をかけてパネルで調査するものもみられるが、そんなに労力と時間をかけて(お金もかなりかかっている)調査するテーマ(内容)なのかと思うこともあった。調査の手法としては完璧なのであるが、調べている内容は、自明なことやもっと少ないケースで追ってもわかることもあるように思った。調べている内容は、些細な状況で変わってくるものもあり、それを統計的な有意差で検定しても、どれほどのことが言えるかと思うこともあった。
もう一つは、これは高校研究に限らないが、その分野の研究をレビューするとき、一番最初のものは無視し、途中のものからあたかもそこが研究の出発点のようにレビューしているのをみることが多い。これは研究者のマナー違反ではないか、これでは最初の研究者が報われないと感じた。

ジェンダーについてー 男の子の生きづらさ

先日、民放のテレビで、これまで女の子と縁のなかった東大生を集め、お見合いパーティーのようなものをして、好きになった女性に「好きです。付き合ってください」と告白させ、相手の女性の反応をもらうような番組をやっていた。
それぞれの東大生はこれまで何かに打ち込んできたあるいは趣味を持っている風で、風采もオタク的ではなくさわやかで好感がもてたが、女の子たちの反応は一様に冷ややかで、 拒否されるケースが多く(理由は、「男を感じられない」「弟のよう」など)、東大生の傷つく表情が印象的であった。
勉強ができ出世街道に乗っているようにみえる東大生であっても、異性関係はこんなに難しく、人生にはいろいろな試練があるということを、若者に知らしめるという番組の意図(同時に東大生が傷つくところ見ての視聴者が日頃のうっぷんを晴らす?)を感じた。
だだ、若い女性たちのきつい言葉を聞きながら、(それはテレビ局に言わされているのかもしれないが)、今の男の子たちも大変だな、と同情を禁じ得なかった。

一方、「男性は、自らのセクシュアリティを女性に投影してしまうことが多い。だが、男女のセクシュアリティ――それは多かれ少なかれ身体の構造にも由来する――は相当に異なっており」(杉田聡http://webronza.asahi.com/culture/articles/2016092900002.html)ということを考えることも必要で、女性の立場でも考えていかなければいけないのであろう。

バスの車内

非常勤先のU大学に行くのに最寄りの駅からU大学行きの路線バスに乗った。本数が少なく、2時間目の授業時間にちょうど間に合う時間帯の為、やっと乗れるくらいのかなり混雑したバスの車内であった。
足の悪い老人が優先席の近くに立っていたが座っている学生は席を譲る気配はなかった。それは通常のことなので、驚かなかったが、次の点は、いささか気になった。
バスの車内は、その足の悪い老人と私を除き、残りはすべて女子学生と最初は思った(若い女性は年寄りがそばにいるだけで嫌だろうなと思うので、私はまわりをよくみることもなく、身を固くしていた)。しかし、男子が3人ほど一人がけの席に座っていることが(女子学生の)隙間から見えた。男子学生が悠々と座り、女子学生が込んだ車内でひしめきあっている。(しかも近くに来てほしくないな老人が二人乗っている)。
もう少し、日本の男性は、レディーファーストの精神があってもいいのではないかと思った。特に若い男性は、元気いっぱいなのだし、バスや電車の席には座らず、女性(や高齢者)に席を譲ってもいいのではないのか。日本の男の子の育て方が少し間違えているのではないかと思った。

 

地域行事

学校と家庭と地域の連携が言われて久しい。
学校週5日日制になった時は、各地域でいろいろ連携の地域行事が企画されたが、その後その熱意が冷め、各学校や家庭に任せ、地域は何もしないというところも多くなったのではないか。
私の住んでいる千葉市の稲毛区宮野木地区も段々老人世帯が多くなってきている。それでも子の世代が同居したり、近くに住むようになり、子どもも増え、老人達も孫世代の世話を地域ぐるみでしようという気持ちの人が増え、そのような地域行事が開催されている。
昨日(25日)、知り合いの高野だいわさんが会長をしている「青少年育成委員会」が中心になり、「第2回緑ンピックー文化と遊びとスポーツの祭典」という行事が、近くの小学校で開催されていた。中学や高校の吹奏楽の演奏もあったが、主は高齢者が孫たちに昔の遊びを教えるというものが主で、小学生や幼児がたくさん参加し、楽しんでいた。
卓球で一緒になるSさん(80歳を超えている)も、子どもに将棋を教え、声をかけてもこちらに気が付かない熱心さであった。
各地でこのような行事が開かれるのはいいことだと思った。子どもたちの為だけでなく、お祭りと同様、準備する大人たちが楽しそうで、いつもより地域の雰囲気が和んでいたように思う。

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