今日(11月20日)は、朝千葉では珍しく霧*が出ていた。

*「霧(きり、英語: Fog)とは、水蒸気を含んだ大気の温度が何らかの理由で下がり露点温度に達した際に、含まれていた水蒸気が小さな水粒となって空中に浮かんだ状態。」
(https://ja.wikipedihatu a.org/wiki/%E9%9C%A7)

早速、1歳の幼児に霧初体験。最初は普段と違う外の様子に不安そう。そのうちにいつもの笑顔。千葉では、そろそろ木々も色づいている。

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ジェンダーの社会学

社会学や教育社会学の分野の研究の一つに、「ジェンダーの社会学」がある。
日本のこの分野の第1人者は上野千鶴子で、私も氏の本を何冊も読み、講演も3回ほど聞きに行った。またこの分野の本は、かなり読んだ。授業でその内容を紹介することがある。
社会学や教育社会学の立場は、性やジェンダーは生物学的なものより社会的なものが重要で、人や社会がそこを知って変えれば、男女平等は達成されるというものである。
生まれた時、性別を間違えて判定され、思春期になるまでそれに気づかず育てられ、思春期にその間違いが判明した後、その後の人生をどちらの性で生きるかを考えた時、思春期に判明した生物学的な性より、それまで育てられ自分も思い込んでいた社会的な性の方に従った方が、アイデンティティの危機もなくスムーズな人生を歩めるという多くの例を、上野千鶴子は紹介している。img_20161121_0001
幼稚園や保育園で、保育士が「男の子、女の子」という言葉を頻繁に使い、子どもに男女の区別をつけるような扱いをすると、子どもはその影響を受け、性自認意識が高まるという研究もある。子どもの半分に分け、手洗いに行かせるとき、「男の子は先に手を洗い、その後女の子が洗いなさい」というより、「イチゴ組(男女混合の班)とメロン組の人が先に手を洗いに行きなさい」といった方が、性差別を生まないという実践も報告されている。
テレビコマーシャルの性により偏り(「あなた作る人、私食べる人」他)は、これまで上野千鶴子の研究(『セクシーギャルの大研究』)はじめ多くで指摘されてきたので、今ではほとんどなくなっている。
教科書の記載内容も、男性優位で女性軽視という傾向は、日本弁護士会他から厳しく指摘され、かなり改善されている(歴史上の人物では、男性中心は否めないが)。

ジェンダーの問題は、まだわからない部分も多いと思う。また、「せっかく男女という違う性があり、その為人生に色が添えられ、楽しいことがたくさんあるのに、それを無くそうとするジェンダー論は好きでない」という素朴な疑問もある。

今日(11月19日)の朝日新聞朝刊には、「今さら聞けない」という欄に「性別」という題で、「性が決まる仕組みー人の体の『原型』は女性」という記事が載っていた。生物学的に興味深いことが書かれており、社会学や教育社会学の立場からも学ぶべきことが多くあると感じた。(一部転載、全文は添付参照)

< 胎児は初め、男性でも女性でもありません。最初の分かれ道は、性腺が精巣か卵巣のどちらになるか。Y染色体があると受精後7週目ごろから精巣に変わります。
精巣は精子を作る器官ですが、胎児では、体を男性化させるホルモンを出す働きが大切です。これによって、精子がたまったり、通ったりする器官が発達し、子宮や卵管の元になる器官は消えてゆきます。腹部にある精巣は股間に移り、外性器も男性型になります。
Y染色体がないと、一連の変化が起きません。性腺は卵巣になり、卵巣はホルモンを出すことがなく、子宮や卵管が発達して、外性器は女性型になります。このため、人の体の「原型」は女性とも言われます。 こうした過程で支障があると、性の不一致が生じます。>(朝日新聞2016年11月19日より一部転載,以下添付参照)

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授業参観

大学のFDの一貫として、他の教員の授業を参観することが奨励されている。
今日は、敬愛大学の留学生に、日本語表現などを教えている坂東実子先生の授業を少し見学させていただいた。
日本語の敬語を学ぶために、自分達で劇を創作し、敬語を使った会話を行うというもので、留学生たちが一生懸命、日本人でも難しい敬語を使って演じているのが、ほほえましかった。
私のゼミにいる留学生が、この授業では見違えるように生き生きとしているのには感心し、反省もさせられた。

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読んだ本の処遇

高齢化し,大学を退職する時、一番困るのは研究室の本の処遇である。
もう読む可能性も少なく、置く場所もないので、処分するというのが通常のやり方である。
私もそのようにしなければと考えているが、何となく心が晴れない。自分の持っていた本がどこかで再利用され、誰かに読んでもらえればいいのではないかと考えるが、何か納得できない部分がある。
読売新聞の「人生案内」(11月12日)で、心療内科医の海原純子氏がそのような相談に答えていた。とても納得できる回答であった。
「(書籍を処分するということは)、自分の一部がどこかに消えたような空虚感に襲われます。」
「読んだ本は情報のためだけに存在するのではなく。その時の自分が刻まれた歴史のような気がします」

もう一度、本の処分に関して考えてみようと思う。(「これまで読んだ本を残し、読んでいない本を捨てる」のが鉄則、といった先輩の言葉も思い出す)

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社会的格差と教育

今日(11月16日)の授業(教育課程論)の記録を残しておきたい。
テーマは、「社会格差と教育」
学生には、A4にすると5枚の資料(社会格差について、社会格差と教育、学力についての内容、一部下記に添付)を配り、その要旨を口頭で説明し、資料を読んでもらい、、下記の質問に答えてもらった(リアクションに記入)。そして、各問2ずつ、その解答を黒板に書いてもらい、解答を共有し議論した。
① 格差と教育の関係は相互にあること(それぞれ独立変数、従属変数になる)。
② 教育は、格差(階層)の再生産機能を果たしていること。
③ 子どもの学力は親の階層に規定されるものの、その間には媒介要因があり、その媒介要因の内容(たとえば子どもの教育に関心を持つ)は所与のものでないので、親や子どもの努力次第で変えることができること、
④ 「効果のある学校」に見られるように、学校や教員の努力により、格差の軽減、克服も可能である、ことなどを話した。
リアクション (テーマ 社会的格差と教育)
1社会格差とは何か(資料A参照) 2社会的格差と教育はどのように関係しているのか(A,B,C参照) 3学力の格差をどう考えるか(B,D参照) 4 学校や教師は社会的格差に苦しむ児童・生徒の何をすればいいか(E,F参照)。

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学生の黒板に書いた解答やリアクション記述を読むと、「社会的格差と教育」に関するエッセンスを多くの学生が、理解してくれたことがわかる。