バラの季節

ツツジやサツキの季節が終わり、次はバラの季節。
うちの庭や垣根にも3種のバラが咲きはじめた。普段何の手入れもしていないので、鑑賞に堪えるとはいえないが、うちのバラなりに健気に咲いている。

隣の家のバラもきれい。時々見学させていただいている。
今年も、どこかバラ園を見に行けるとうれしい。

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第35回 学校社会学研究会のご案内

いつも夏に開催されている「学校社会学研究会」は、今年度、井口・野崎さんの世話役で、8月24日(木)・25日(金)に、学習院大学で開催予定。今、発表者を募集中。
8月24日  13:00 ~ 18:00 研究発表
18:30 ~ 20:30 懇親会
8月25日  9:00 ~ 12:00 研究発表
13:00 ~ 15:30 総会 シンポジウム
会場:学習院大学 (JR山手線目白駅下車すぐ)
会費(予定): 研究会参加費 500 円

問い合わせ先 井口博充 hiro.inokuchi@gmail.com

村上春樹と江藤淳の共通点

人の好みに共通性(点)があるのかな,と思うことがある。
私の場合、ハルキストかどうかはともかく村上春樹の小説は好きでこれまでよく読んできた(本棚に村上春樹の本があると何となくうれしい)。またそれとは別に文芸評論家の江藤淳の書くものには惹かれ、その著作をほとんど読んだ。(とりわけ『成熟と喪失―母の崩壊』河出書房新社,1967年には衝撃を受けた)。
村上春樹と江藤淳は、全く接点も共通点がないと思っていたが、次のような事実を知り驚いた。
江藤淳は、1963年つまり30歳前後の若い時、プリンストン大学で2年間過ごし、日本文学史を教えているが、その体験がもとになり、名著『アメリカと私』(1965)と『成熟と喪失』(1967)を書いている。
一方その約30年後(1991年)に村上春樹はプリンストン大学に招かれ、日本文学の講座を担当するが(1992 年)、その時のサブテキストに江藤淳の『成熟と喪失』を使っている。これは、村上春樹が江藤淳を読み、その評論に影響を受けていたことを示しているのではないか。(ただ、その滞在記『やがて哀しき外国語』講談社,1994年)には、何も書かれていない)
江藤淳の『成熟と喪失』は,上野千鶴子も絶賛する名著で、私はこれまで学生や院生にかなり読むことを薦めてきたが、ハルキストの人にも是非読むことを薦めたい。何か、共通点があるはず。
参考サイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E4%B8%8A%E6%98%A5%E6%A8%B9
http://d.hatena.ne.jp/fishriver3516/20120327/1332850471

レンタルフレンドについて(その2)

このブログにコメントを書き込むことはできるのだが、ほとんど返信はないので、私も気がつかないことが多い、今回1か月ほど前にきた質問があったことに、今日(5月5日)気がついた。それで慌てて返事を書いた(その一部転載)。

いただいた質問
<武内清先生 初めまして、私は韓国のX大学日本学科4年生のYと申します。現在日本と韓国の間の歴史や政治、社会文化などを勉強しております。私が書こうと計画している卒論の主題である「レンタルフレンド」に関しての先生のご意見を伺いたく、書かせていただきます。このサービスが出始めた社会的な背景が韓国の「代行サービス」と似ているところがあると気づき、これに関しての卒業論文を書いてみたいと思うようになりました。資料を探しているとき、この先生の研究室の分でレンタルフレンドに関しての言及(武内のブログの2014年5月31日)があったことを見つかり、もしできたら先生からこのサービスについてのご意見を伺いたと思いました。先生にお聞きしたいことは以下の点です。1.なぜこのような現象(レンタルフレンドの登場と需要)がおき始めたと考えなさいますか? 2.レンタルフレンドのサービスの出現は社会の流れとして自然なものであると思っていらっしゃいますか? 3.この現象について肯定的ですか?それとも否定的ですか? 4.この流れがずっと続くと思っていらっしゃいますか? 5.もし、この現象が続くとしたら、人間関係の価値は下がっていくと思われますか? 以上の5つのことがレンタルフレンドを調査しながら気になっていたところでございます。私的には、レンタルフレンドは経済活動や社会ろ活動により友達と会う時間が減少し、そして人間関係、特に友達という概念が薄くなった為、またいじめや引きこもりなどの社会・心理的な面で起きたとも思われます。さらにもう一人ではできないことを我慢せず、友達というポジションを誰でもいいという考えが広がり、人の時間を買うという経済的な面からもと思っております。しかしながらまだこれに関しての資料が少なかったこともあり、私の考えがある程度はあっているかどうかも確認が大変難しかったのです。それで、先生のご意見を伺ってもよろしいでしょうか。>

武内の返事
<いただいたメールに、今日まで気がつかず、ご返事せず、失礼しました。いただいた日本語の文章がとても立派なので、びっくりしました。
ご質問に、あまりきちんとしたお答えを書く自信がありません。その理由はいくつかあります。第1に、友人関係というものは、個人差も大きく、社会学的な一定のパターンを描くのがなかなか、難しいということ。友人関係に関するアンケート調査は、皆失敗していると言われます。社会学の友人関係を扱ったものでは、質的な研究の方が、説得力があるように思います。第2に、私のブログの記事は、NHKテレビの番組を見た個人的感想を書いただけで、それ以上の考察をしていません。
このブログの内容を日本の大学生に読ませると、多くの学生は、「友達というものはお金で買うものではない」と否定的な反応が大部分でした。私もその通りだと思うのですが、ただ、私が言いたかったことは、次のようなことです。
1 友達というものは、日本人にとって「安全と水はただ」と同じように、無料で得られるものと思っているが、実は、とても貴重なもので、それが得られない時は高額のお金を出して得る価値のあるものなのではないかということ。
2 「レンタルフレンド」は、ひとつ間違うと「買春(売春)」に行き兼ねない危ういところもあります。しかし、この番組で紹介されていた「レンタルフレンド」は、そのようなものを求めているのではなく、精神的な安らぎや充実感を求めています。物理的なもの以上に精神的なものというのは高い価値があり、それをお金に換算すると、高額になるということを示しています。
3 友達は一般には誰でも簡単に得られるものですが、世の中には、それが簡単に得られない境遇の人がいます。番組で紹介されていたのは、「オタクの青年」や、「高齢者の一人暮らしの男性」です。そのような人の立場に立って考えることも必要と思いました。
ご質問に的確にお答えできませんが、以上のように考えています。(以下略)

 

ハルキストについて

「ハルキスト」は、次のように定義される。
<ハルキストは、村上春樹(小説家)のファンの通称。ハルキストは、村上春樹の小説やエッセイから伺える村上の趣味や生活スタイルに影響を受けている場合がある(マラソン・水泳、映画、文学、音楽、料理、猫など)>(wikipedia)
村上春樹の趣味や生活スタイルまで好きになる人となると、数が限られてくると思うが、村上春樹の小説が好きで、自分はハルキストと思っている人は、かなりいるのではないか(それ以上に、村上春樹は嫌いという人も多いと思うが)。

村上春樹は、川上未映子との対談で、作家とファンの読者との関係を「信用取引」と言っている。(村上春樹・川上未映子『みみずくは黄昏に飛び立つ』新潮社、2017.4.25)

「一生懸命時間をかけて、丹精を込めて僕が書いたものです。決して変なものではありませんから、どうかこのまま受け取ってください」という作家の依頼を、「わかりました」と信頼して受け取る関係が成立していること(134頁)。これこそ、ファンであり、村上春樹の場合は、ハルキストになるのではないか。
この対談の中で、村上春樹が、イディアとかメタファーという『騎士団長殺し』の中でとても重要な言葉を、独自の(勝手な)定義で使っていることが明らかにしている。(155頁)。

『騎士団長殺し』の登場人物・免白さんが作家自身にも謎(ミステリヤス)の人であることが示されている(204頁)。
昔書いた小説を読み返さないということも明言している(村上春樹の過去の小説のことは、対談者の川上の方がよく知っていて、村上が尋ねている)。
村上春樹の小説には、死後の世界がよく出てくるが、本人は死後の世界や来世があるとは信じていないとのことの述べていて興味深い。
「僕は性格的に、何かを強く憎んだりとか、喧嘩をしたりとか、あまりしない人間なんです」「戦うという行為の中に、ニセモノの要素がどんどん混ざり込んでくるんです」(85 ~86頁)と、60年代末の学生運動を経験した村上春樹の姿勢が表明されている。
また、グールドのバッハの曲のピアノ演奏が、左右の手で全く独自に自己主張しているが、最終的に調和がとれるという村上の音楽解釈(それが村上の小説の手法にも取り入れられている)が披露さている(103頁)。

この本に関しては、川上の下記のコメントもある(朝日新聞デジタル5月25日より転載)
<村上さんは一貫して率直にあけっぴろげに、自身の創作について語っている。ここまで手の内を明かしていいのか、と思うほどに。 同じ書き手である川上さんの、作家としての自分をぶつけるような問いが、そんな率直さを引き出した面もあるだろう。「私が聞いて春樹さんが答える形だけど、やっぱり質問そのものに作家の自分が内包されてしまう」と川上さん。 「作家と作家が真剣に話すって、けっこう危険なんです。私には私の創作領域があり、春樹さんにももちろん巨大なものがあって、そこに潜っていくのはそんなに簡単なことじゃない」 でもきっと、自身にとって大切な仕事をしたという充実感があるのだろう。「二度としません、こんなのはもう絶対無理」。高揚の余韻を、うらはらな言葉に響かせた。>

このインタビューでは、村上春樹の「弱さ」や「いい加減さ」も披露されていて、それも含めて「信用できる人」だなと思い、好感を持っている私も、ハルキストの一人かもしれない。