家の近くで蛇(ヘビ)を見る

今日は、2歳の子どもの乗った三輪車を押しながら、近くの公園に行ったら、ちょうど公園の入口の坂のところに、1メートルくらいの1本の枝のようなものが横たわっていた。もしかして、蛇と思い、しばらく眺めていたら、そろそろと草むらの方に動き出し、その中に消えて行った。2歳の子どもは、はじめて見る蛇(ヘビ)に大喜び。
犬の散歩で通りかかった人も、今どき千葉の住宅地で蛇を見るなんてとびっくりした様子。「昔は、このあたりも森や草むらで、蛇は珍しくはなかった」という年配者もいた。(私は千葉でヘビを見たのははじめて。昔中山(市川市)に住んでいた頃は、よく青大将を見かけた。)
カメラをもっていなかったので、写真を撮ることができなかったのが残念。
<蛇を十二支で表すと「巳」。「巳」という感じは胎児の形を表していて「産まれる」や「未来」「明るい」という意味を成しているそうです。そこから子孫繁栄や家庭円満などにつながったとも言われています。>と、ネットに書かれている。縁起がよかったと、思いたい。

偉人の後世への伝達

仙台在住の水沼文平さんより、水野文夫先生の仙台での井上成美に関する講演の内容の紹介がありましたので、そのまま掲載させていただきます。
過去の偉大な人の様子が、それに感銘を受けた複数の人を媒介に伝わっていくのだと思います。

5月17日、私の友人が関わっている仙台の秋桜会で東京大学名誉教授の水野丈夫先生が「ある男の生き方~海軍大将 井上成美(しげよし)」についてお話しをされました。講演の概要をご紹介します。なお水野先生は戦時中海軍兵学校に在籍されました。

《井上成美は、仙台出身で、米内光政、山本五十六と共に「三国同盟」「アメリカとの戦争」に反対、太平洋戦争末期には海軍次官として終戦への道筋をつけた人物です。終戦後は相模湾を望む横須賀市長井荒崎に蟄居、近所のこどもに英語を教えたりして晩年をひっそりと過ごしました。
井上成美の出自ですが、父は宮城県庁に勤務した元旗本、母は角田の殿様、石川家のお姫さまです。生家は八幡神社の裏当たりで、父親が役所を辞めブドウ園を経営していました。師範学校付属小学校、仙台二中を卒業、海軍兵学校に入学しています。
成美の生涯のモットーは「Noblesse oblige(ノーブレス オブリージェ)」(位の高いものは義務を負う)で、歯に衣(きぬ)着せぬ物言いで在職中に三度も右翼や憲兵に命を狙われています。一回目は昭和7年(42才)海軍省軍務局課長時代、政府の所管である予算や人事に軍令部が過度に介入する懸念がある「軍令部条例改定案」に猛反対、命を狙われ、その時「俺を殺しても、俺の精神は枉(ま)げられないぞ」という遺書を書いています。二回目は昭和12年(47才)海軍省軍務局長時代の時です。「日独伊三国同盟締結」を拒否、この時ヒットラーの「我が闘争」を原書で読み、翻訳にはない黄色人種に対するヒットラーの蔑視に激しい怒りを持ちました。三度目は昭和19年(54才)海軍次官の時で「戦争終結への決断と行動」を教育局長高木惣吉少将と開始しました。
成美は教育者としても優れていて昭和5年(40才)海軍大学校教官時代にルソーやペスタロッチを熟読、新しい教育思想・哲学を吸収、「教育とは教えることではない、引き出すことだ」という考えに至ります。因みにeducationの語源はeduceで「引き出す」という意味です。この精神は戦後相模湾を望む崖上(がけうえ)の陋屋に隠棲、英語塾を開き、なるべく日本語は使わず子どもたちにともに英語で語らい、英語で歌いました。》
水野先生のお話は仙台の聴衆に大きな感銘を与えました。郷里が生んだ偉人として彼の言動を心に刻んでおきたいと思います。(水沼文平)

授業の記録 敬愛大学『教育原論』第4回目学校の起源と機能

ものごと特に集団や組織や制度のあり方を考えるとき、2つ側面から考えるのが有効だと思う.一つは、それを作られた時の起源(意図)に立ち返ること。どのようなものでも、最初の崇高な意図(理想、目標等)があるが、それが年月が経つにつれ忘れられて変容(堕落)する。その時は、初心にかえり、初発の契機(意図)に戻ることが大切である。そのためには歴史研究が必要である。もう一つは、最初の契機(意図)が何であれ、現在の機能や効用から考える方法である。時代とともに何でも変わっていくのは当然で、今の時代や社会の中で、それがどのような機能や効用(結果)を生んでいるのかを実証的に確かめ、そこから判断していくのがよいであろう。社会学や経済学は、この立場であろう(注)。

  敬愛大学の「教育原論」(こども教育学科1年生対象)の4回目の授業(5月12日)で、「学校について考える」というテーマで、学生に学校のことを考えさせるのに、上記を取り入れ、下記のようなリアクションを用意した。  まず、前回のリアクションを読んでの復習(1)、学校に行くことへの素朴な感想(2)、いじめ自殺という極端なケース(3)、学校に行く契機(起源)(4)、学校の機能(5)、学校の機能2-潜在的カリキュラム(6)、教師の起源(7)、学校に代わる制度(ホームスクーリング)(8) 。  資料を用意し、テキスト(高野・武内編『教育の基礎と展開』学文社)も参照しながら、説明を簡単にしながら、学生にリアクションの流れに沿って、考えてもらった。

(4)の学校の起源に関しては、テキストの22節の「公教育思想の系譜」(中山幸夫・敬愛大学教授執筆)のコメニウス、コンドルセ、Deweyの思想の箇所を説明し、読んで理解してもらった。 (5)に関しては、自分の体験から考えてもらい、そのいくつかを黒板に書き紹介し、私の方でまとめ、補足した。(6)はプリントで、潜在的カリキュラムに関する説明をした。(7)は教育史の宮沢康人教授の優れた考察のプリントを読んでもらった。

 今回の内容は1時間分にしては、盛りだくさんで、時間切れで、8,9まで進まなかったが、学生のリアクションを読む限りは、リアクションの回答を多くの学生がびっしり埋め(下記参照)、金曜日の5時限目という最も疲れている時間帯にも関わらず、授業についてきてくれたように思う。(やはり若さか)。

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(注)あるアイデアというのは、昔読んだ本の中にあることが多い、発生の契機と実際の機能が違うというのは、作田啓一の「価値の社会学」か、井上俊氏の青年論の本の中にあったように記憶する。作田啓一の本の中からは見つけられなかったが、井上俊氏の「青年の文化」(『遊びの社会学』世界思想社,1977年集録)の中に、次のような文章が見つけることができた。
<(「すっごけ派」の)高校生の場合も、「遊」への離脱は、もともと烈しいストレス状況(進学受験体制)に対する防衛として生じたのであろう。しかし、発生と機能とは区別される必要がある。現実を遊戯の視座から見直すことによって現実の中の歪みが明らかになるような場合、そして単なる自己慰謝にとどまらない現実への対応の姿勢が生み出されるような場合、「遊」方向への離脱は、明らかに、防衛をこえた新しい意味を獲得しているといわねばならない。>(166頁)

 

 

大学の研究室(その2)

この4月から、敬愛大学の客員教授として1コマの授業(「教育原論」)を担当している。 1週間に1回だけでも、学生に接し、教育のことを講義できるというのはうれしい。
研究室も、同じ客員教授のM先生とご一緒の部屋を使っていいといわれ、いつでも使えるのはありがたい。以前と同じ6階で、外はグランドと千葉方面がみえる。
ひとり部屋の時と違うのは、少しは研究室をきれいに使わなくては、ということである。ただ、私の性格からしてあまりきれいにはできないのだが。努力したい。同室のM先生といろいろ教育談義ができるのも楽しい。
大学教員に関する研究はいくつかあるが、大学の研究室の考現学的調査(観察に徹し、研究室のものの配置などの記録を作り考察する)をすると、大学教員の生態がみえてきて面白いかもしれない。

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ニュースレターへの御礼

私も若い頃、「モノグラフ高校生」調査他で、大変お世話になった深谷昌志先生、和子先生は、今でも子ども研究の同人の会を開催し、そのニュースレターを発行されている。私は同人ではないか、ニュースレターをお送りいただき、毎号、教育や子ども研究について、いろいろ考えさせられ、刺激を受けている。今回第44号をお送りいただき、下記のようなお礼状を送らせていただいた。 

深谷昌志先生、和子先生

ニュースレターをいつもお送りいただきありがとうございます。今回の44号も興味深く読ませていただきました。このようなバラエティに富んだ、また内容の濃いニュースレターが長く発行されるのは、本当に驚きです。

読ませていただき、新しい知識を得るとともに、関連したいろいろなことに、思いがいきます。いくつか、その思いを書かせていただきます。

1 深谷和子先生が編集長の『児童心理』の6月号の特集は「子どもとお金」ということですが、「日本の子どもの金銭観の教育が必要だがほとんどなされていない」と、昔日銀の人に言われことを思い出しました。また日本人の金銭観も諸外国と比較してみると面白いのかもしれません(お坊さんへのお布施の額は金額を明示せず、日本独特と聞きました)。日本人同士でも金銭観はかなり違うのではないかと思います。

2 昔任天堂の人が、子どもがゲームのソフトを買う時のプロセスを研究しているという話を聞きました。日本では、新しいソフトが出ると、雑誌で広告をみて、仲間でお金持ちの子がまず買い、それをゲームの一番上手な子に貸してやってもらい、その評判(評価)聞いて、他の子どもたちが買うかどうかを決めるということでした。アメリカではそのような仲間集団の力は働かず、親の判断で決まるということでした。

3 アリエスの『<子供>の誕生』が西洋特有なもので、日本ではどうだったのかという深谷昌志先生の歴史的考察には、教えられるものが多くありました。日本独特の文化や時代的背景が働いていること知ることができました。

4 高旗正人先生の若い時の、大学の教育研究者の授業実践への指導が辛辣であったという自己省察を興味深く読ませていただきました。若き研究者は皆、自分の教育理論の正しさを過信するあまり、それに則り意見を述べてしまう傾向があるものだと納得しました。授業に「落ちこぼれた」子どもになぜ、「自主共同学習」が有効と考えたのか、ということをもう少し聞きたくなりました。高旗先生の学ばれた広島大学の教育学部でそのような研究がなさていたことと関係があるのでしょうか。(私も広島大学の末吉先生や片岡先生の研究を多く読みました)。

 その他いろいろ考えさせられることがありましたが、とりとめもなくなりますので、これでとどめます。御礼まで。同人の研究会の発展をお祈りします。