社会学者の思考

教育学が理想や規範からものごとを考えるのに対して、社会学は理想や規範からものごとを考えるのは少し胡散臭いと感じ、まず現実(事実)を明らかにしてから、その上で理想や規範(こうあるべ)を論じようと考える。また、理想や規範が立つ無意識の基盤自体にも疑いの目を注ぐ。

優れた社会学者の考察を読むと、それを実践していることがわかる。上野千鶴子の「悩みのるつぼ」の回答(朝日新聞、8月5日、朝刊)は見事である。(以下、一部転載)

相談(悩みのるつぼ)アリんこがかわいそうで ●相談者 女性 60代
 <毎週、有機栽培の農家から野菜や卵を届けてもらっているのですが、青虫やらテントウムシやらアリやらがついてきます。テントウムシはたぶん自立していくでしょう。でも、青虫は羽化してチョウになって飛び立つまで、飼い猫や庭に来る外猫から守って、お世話しています。困るのはアリです。アリんこは、農家の畑に仲間がいて集団生活しているのでしょう。私の家の庭に放たれてしまったら、これからこの子はどうして生きていけるのでしょう? 先住のアリたちにいじめられないでしょうか……。 放してやったのですが、見向きもせず、草の陰に消えてしまいました。仲間や巣を探し回っているアリのことを思うと泣いてしまいます。>

 回答者 社会学者・上野千鶴子 その思いやりを待つ人がいます
 ふーん、やさしいんですねえ。殺生をしたくないんですねえ。とはいえ、あなたは肉も魚も食べませんか? いずれ生命になる卵も食べませんか?どこかの高僧のように、蚊が刺したらそのまま血を吸わせてやりますか? ハエを追ったりしませんか?ゴキブリを養いますか?最近問題の外来生物、毒性のヒアリを見つけても庭に放してやりますか?自分ちの床下に白アリがついたら、柱を食われるままにしておきますか?
 あなたはどこかで無意識・無自覚にこれ以上はアウト、と線を引いているはずです。それをふつう「ごつごう主義」といいます。ほんとうはアリんこ一匹のゆくえが気がかりな心やさしい私、に酔っているだけでしょう。
あなたが「やさしい」ままでいられるのは、見ないですむものを目の前で見ずにいられるから。人間は殺生しながら生きている動物です。そのおかげであなたの生命があり、未来の生命もあります。人間は罪を犯して生きています。
 あなたの家に運ばれてきた野菜のアリは、それがアリんこの運命と観念してもらいましょう。虫がついているのは無農薬の証拠。品質保証の印と思って、ありがとうね、と感謝してあとは彼らの運命に委ねましょう。あなたがアリんこの運命に涙する愛情豊かなお人柄であることはわかりましたから、その愛情や思いやりを無駄遣いせずに、もっと優先順位の高いところに使いましょう。世の中にはあなたの思いやりを待っている(人間の)子どもたちやお年寄りがたくさんいます。>

夏の風物詩-花火(その2)

昨日(8月4日)敬愛で担当の「教育原論」の試験が終わり、私も学生も夏休み。
「先生、夏休みは何をするんですか」と聞かれ、「毎日が夏休み」のような私は、返答に窮する。
今日(8月5日)は午前中から大学の研究室に行き、冷房のきいた涼しいところで、一気に答案を採点する。これまで出されたリアクションやレポートと合わせて最終の評点を出し、WEBの採点欄に記入する。
これで前期の仕事が一段落したので、夕方、家人と車で幕張の花火を見に行く。

打ち上げられる花火は2万発ということで道路も混んでいると予想し、海浜幕張とは2駅ほど離れた稲毛の浜の駐車場に車を停め、検見川浜の人工海浜まで20分歩き見学。
海風は涼しく、心地よく、地上からの花火の全容は見え、数が多く、綺麗なのだが、やはり打ち上げ地点から少し遠すぎ、聞こえる音も小さく、迫力に欠ける。。
「10分の1以下の御宿の花火とどちらがよかったか」と聞かれると何とも言えない。
でも、夏の風物詩の花火を2度も見ることができ、よしとしよう。

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夏の風物詩 ―花火

夏の風物詩の1つは、やはり花火であろう。
遠くからもきれいな花火と音を楽しめるのがいい。
多くの人が無料で楽しめるのも特質の一つと思っていたら、近頃は花火を近くでみれる観覧席は有料で、それもかなりの額である。
明日(8月5日)、近くで開催される「幕張ビーチ花火フェスター第39回千葉市民花火大会」の有料観覧席入場券が1500円~7000円である。花火の本数は2万発とのこと。企業からの寄付も4号玉10発が64社、6発が60社、4発が56社、2発が110社、混合60社とあるが、かなり費用がかかるのあろう。

昨日(8月4日)御宿海岸で開催された花火大会を少しのぞいてみたが、観客数はそれほど多くなく、打ち上げ地点のまじかで見ることができた。本数は1500発と幕張の10分の1以下と少ないが、大きな花火もいくつか上がり、花火が進化していることが感じられた。露店もたくさん出ていた。(http://www.himawari.com/blog/blog/13)
花火はお祭りと同じように、日常から離れた祭礼という要素があるのか、人々の気持ちは浮きたち、表情は明るい。とりわけカップルの若い人の表情がよく、縁結びにも一役買っていることを感じた。

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昆虫と子ども

夏は昆虫の季節。
小学生の頃、夏休みの宿題に昆虫採集(選択)というのがあって、友達とセミやチョウをとっては、防腐剤入りの殺虫剤の注射を打ち、標本にする昆虫を集めた。今考えると、生きているものを殺すなど残酷なことをしたものだと思うが、それを奨励した学校教育もどうかと思う。
今の幼い子が昆虫に出会うのは、図鑑やオモチャが最初で、本物をみると、バタバタと予測できない動きをして、びっくりし「怖い」「もういい」という。
生き物の昆虫の姿を見、その声を聞き、その殻に触り、満足するのがちょうどいいかもしれない。

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敬愛大学の先生方の学生観&教育観

今回の兵庫大学高等教育研究センターの講演の為に、敬愛大学のいろいろな年齢の5人の先生方にインタビューさせていただいた。
「学生の多様化と大学教育」というテーマを聞いた時、どのようなことが思い浮かぶかをうかがった。話は、自然と先生達の学生観と授業観の話となった。
その記録をここにそのまま記すことはできないが、全体の感想としては下記のようなことである。普段先生方と世間話をすること以上に、中身の濃い教育談義ができたように思う。

1 学生の多様性ということでは、学力の低さというよりは、国籍、生まれながらの特性(障がい、ジェンダー)、趣向、多様な能力という面に着目する教員が多い。
2 多様な人が集まっているところが大学であり、その多様性を生かす場が大学である。少数ながら、優秀な学生、センスのいい学生もいる。個々の学生への個別対応も心かけているし、学生同士が多様性を生かせるような工夫をしている。
3 学力の低い学生、学修意欲のない学生がいれば、その学生の興味などを聞き出し、根気よく指導する
4 英語など中高の基礎学力の欠けている学生には、中高と同じような教育も必要であるが、大学教員がやるのは限界があり、Eラーニングやスカイプなど外部の媒体を使い、それを単位に組み込むことも必要。
5 若い大学教員は、中高で教えた経験があるものも多く、また多様な学生が入学してくるというのは覚悟しているので。学生への対応も柔軟である。自分の研究は別という割り切りもしていて、明るい。