御宿合宿(その1)

敬愛大学のかってのゼミ生7人(3年男子)が、車で外房の御宿へ(台風の近づいている悪天候にも関わらず)、行くというので、私も現地で合流する。
みんなでお寿司屋のランチを食べた後、海に行き、砂浜で野球とサッカーを楽しんだ。
台風の前で、海の波は高かったが、それも楽しむのも青春の1ページ。

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電子情報の検索について

かなり前のことだが、過去の新聞記事を素材に修士論文を書いた院生がいた。それは、大変な作業量で、新聞の縮刷版を何冊も図書館で借り、必要な箇所をコピーし、目当ての見出しやキーワードの数を数え、記事の内容を読んで分析するという方法をとっていた。
それが、今は新聞の記事のかなり以前のものから現代まで、電子情報でデータベース化され、見出しやキーワードで検索でき、その数がカウントされていて、実際の新聞記事もネットでそのまま読めるようになっている。

たとえば、朝日新聞の記事検索データベース、「聞蔵(きくぞう)IIビジュアル・フォーライブラリー」は、1879(明治12)年の創刊号から最新号までの記事を検索可能になっている。(これは、各大学のコンピューターから検索できるところが多い)
私自身は歴史(研究)に疎く、このデータベースを使って何かを書いたことはなかったが、今回必要があって少し使ってみて、とても便利なものであると知った。何か探している見出しやキーワードを入れると、たちどころにその数がカウントされ、その新聞記事を呼び出し読めるというのだから驚きである。

論文の検索も同じようなことがあり、今回自分が過去に書いた大学紀要が手元で見つからず、ネットの検索で簡単に探し出し、本文を確認することができた。
その他、私の知らないところで、電子情報の検索はすすんでいて、とても便利になっているのであろう。

大相撲9月場所(国技館)を観戦する

日本の伝統的な芸能やスポーツを見に行く機会は、あまりないように思う。少なくても私の場合はそうだ。
その理由は、戦後は西洋の芸能やスポーツの方が手軽に接しやすいということであろう。日本的なものは接する機会が少なく、それに実際接するとなると金額がかなり高い。したがって、日本的なものは庶民のものというよりは、上流階級のものになっている。それは、能や歌舞伎のことを考えればすぐわかる。
学校教育がその階級差を縮めようと、子どもたちをそのような場に、連れ出すことはある。自分の経験では、千代田区の区立中学に通っていた時、場所は皇居だと思うが、雅楽の演奏の鑑賞というものがあった。雅楽を聴いたのは、後にも先にもこの時だけだったように思う(結婚式で一度あったかもしれないが)。
相撲は、奈良時代から続いている日本固有のスポ―ツで、テレビでは見ることはあるが、実際の相撲を見る機会はほとんどない。
昨日(13日)、近所の人が国技館での9月場所の相撲の升席に行くのを誘ってくれて、相撲観戦という貴重な体験をした(この前に観たのは5年前)。
今場所は、横綱や大関の休場が多く、人気の力士が少なく、どんな雰囲気なのかと心配したが、大入り満員で、日頃はあまり注目されない若い力士やベテランの力士の取り組みに熱い声援が飛び、大変な盛り上がりであった。
相撲の方は、古くからの伝統ののっとり、150キロから200キロ近い人が、ぶつかり、必死に闘う様子は、迫力があった。
力士の出身やこれまでの経歴を書いたパンフレットみて、同じ横綱でも通算成績は白鵬1050勝219敗,日馬富士816勝437敗、稀勢の里785勝471敗,鶴竜680勝454敗とかなり差があることを知った。同じ関脇でも、579勝547敗と千回以上土俵に上がっているもの(嘉風)にいれば、127勝80敗と200回ほどのもの(御嶽海)もいる。出身地は、モンゴルが多いが、アメリカも何人かいて、日本国内では、東北と大阪、それに関東が多いように思った(実際の出身地は違うかもしれない)。  
若い力士が、上位の力士や横綱や大関に勝つ勝負がいくつもあり、上位の力士は、若手の追い上げで大変だなと、同情を禁じ得なかった。
観客に外人(西洋人)の姿や、小学生の団体の観戦(修学旅行かもしれない)もあったが、平日の昼間に高い入場料を払い相撲を見に来る人は、どのような人なのかと思った。女性も多い。若い人はあまりいないが、さまざまな年齢の人、さまざまな職業の人がいるという感じであった。
大変な贅沢な時間を過ごさせさせてもらった。

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友人考   水沼文平

私のこのブログはコメントもできず(よく調べるとできる)、カウントも付いていないので、私のメモ(日記)状態だが、読んでコメントをメールで送って下さる方がたまにいる。私にとってはとてもありがたく、掲載をお願いすることもある。ブログを読んで下さる数少ない「友人」のひとりの水沼さんより、「友人関係について」のコメントをいただいた。了解を得て、掲載させていただく(武内)。

先生の8月15日掲載の「友人関係について」に関連して私も「私の友人考」を書いて
みました。
故郷仙台に戻り一年、途絶えていた同級生との付き合いが再開しています。中には小
学校以来60年振りというものもありました。男子でも女子でも、じっと顔を見ると、
どこかに子どもの頃の面影が残っているものです。そして自然に「~ちゃん」という
名前が出てきます。悪ガキだった私にも親愛の情を示してくれます。友だちとはいい
ものだとつくづくと思います。
さて、吉田兼好の徒然草(第百十七段)の「よき友三つあり」に「一つには、物くる
る友。二つには医師(くすし)。三つには、知恵ある友」とあります。鎌倉末期とい
う時代考証が必要でしょうが、庵(いおり)暮らしの兼好にとって、米、野菜、味噌
などの食べ物、高価な薬、自分の知らない知識などは喉から手がでるほど欲しいもの
だったことでしょう。
私なりに現代的に解釈すると、「物くるる友」は、電話やメールをくれる友、一緒に
勉強や旅行をしてくれる友。「医師」は身近に身体や心の不安を聞いてくれる友(医
者、看護師)。「知恵ある友」はコンピュータ技術や人生の在り方、生き死に、良書
を教えてくれる友、となります。
私はこれに「己を知る友」を加えたいと思います。中国戦国時代の予譲の「士は己を
知る者の為に死す」は、「男子たるもの、自分の真価を認めてくれる人のためには、
命を投げ出してでも応えるもの」という意味です。秦の始皇帝の暗殺を試みた荊軻も
そうでした。このような過激な生き方でなくても、自分の生き方を理解し評価してく
れる友がいることほど心強いものはありません。人とは所詮孤独な存在、いつかは果
てる命、そんな中で心の結び付きを確認できる友の存在は何にも代えがたいものだと
思います。
「竹馬の友」という言葉がありますが、広辞苑の逆引きで調べたら、「会心の友、心
の友、心腹の友、竹馬の友、莫逆の友、方外の友、忘年の友、メル友」などが出てき
ました。私はこれらの言葉に「あの世の友」を加えたいと思います。このところ立て
続けに同級生が三名亡くなりました。飲んでいて友人の一人が上を指さし「ほら〇〇
君が来ているぞ」と言ったりします。そして〇〇君を加えた昔話に花を咲かせます。
(水沼文平)

クワガタをもらう

隣のうちから、オオクワガタと飼育セットをもらった。
飼育かご、マット(飼育用土)、止まり木、飼育ゼリー、霧吹きなど。クワガタの飼育もかなり大変そう。
子ども(孫)達は、「自動的に動くオモチャ」(?)に、興味津々。
(追記、飼育かごの上の蓋を自分でこじ開けて脱走を図り、部屋の隅で半日後に発見されるということがあった。かなりの力持ち)

ネットでいろいろ調べる(下記)。クワガタの飼い方
<マットはクワガタがもぐれるように5センチ以上の深さにします。マットで重要なのは適度な湿り気です。飼育中にもマットが乾燥してきたら霧吹きなどで水分を補給してください。とまり木やエサなどを用意する。クワガタのエサは基本的にクワガタ用ゼリーを使います。他に水分の少ないりんごやバナナなどの果物も食べます.ひっくり返った時に捕まることができるよう、止り木を入れておくと良いでしょう。温度管理をしっかりと。あまり暑くならない場所に飼育ケースを置くようにしましょう>(https://petr.jp/kuwagata-shiiku-2679)
<クワガタの中でも特に長命なコクワガタやオオクワガタは、成虫で2~3度越冬することがあります.長く生きられるように世話するようにしましょう。>

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