36回学校社会学研究会で学んだこと

人の話を聞いて、感銘を受け、いろいろ考えさせられる場合もある。
先の学校社会学研究会で聞いて、考えさせられたことを書き留めておこう。

A 児玉英明さんの探求学習の話
1 「私は○○に関心があります」という文書を書き、次にそれを疑問文に転換しよう。
例えば、「私はトランプ大統領に関心があります」→「なぜ、トランプは大統領になれたのでしょう」というように。
2 問いには2つの形式がある。
① 調べることが求められる問い(「〇〇はどうなっているのか」(例 トランプを支持している人はどのような人か)
 ②考えることが求められる問い(なぜ?という問い)(例 なぜトランプのような変わって人が大統領になれたのか)
 (学生に「調べてみたい問い」と「考えてみたい問い」を書き出してみよう、という問題を出す)
 (大学の授業でも、この探求学習の方法を使えると感じた―武内)

2 鷲北貴史さんの 学生に大学の校歌や応援歌を歌わせることにより大学への愛着度が増すという話。
  これに対する野崎さんのコメントに感心した。
 鷲北さんの実践はsignificance (重要性)を学生に実感させる意味で成功しているが、大学教育ではそれをsignificatin する(意味を伝える、大学知と結びつける)ことをしなければならない。
(significance とsignificatinは、sign やsignify ということばから発生している)

3 私が、高校の学校間格差について、トラキングtrackingという言葉で言うこともできるかもしれないということについての、野崎さんのコメント
  トラッキング(tracking)は、進行形であり、そのトラックに誘導する、押し込めるというニアンスがあり、客観的な形態以上の含意がある。
( 日本の高校には、大学進学率等で計ると高い低いの格差があるが、教育制度は単線系であり、格差の下位の高校の生徒も大学進学を諦めるように高校や教師から指導されるわけではない。特に最近は専門学科(職業科)の高校からの大学進学も増えている。それを考えると、日本の高校はトラッキング(システム)の中にあるとはいえない。日本の高校にトラッキングという言葉をあてはめない方がいいように感じた―武内)

学校社会学研究会36回大会終わる

一昨日(8月25日)と昨日(26日)、学習院大学で開かれた36回学校社会学研究会が盛会のうちに終わった。
開催校の野崎さん・井口さんには2回に渡り大変お世話になった。学習院大学という都心の素敵なキャンパスでの開催で議論も弾んだ。懇親会も美味しい中華料理をいただき思い出に残る会になった。
発表は常連と若い院生の発表があり、こじんまりとした中で、濃密な議論がわされ、小さな研究会のよさを感じた(30余名の参加)
特に、中国から留学生(筑波大学や中央大学)の優秀さに驚かされるものがあった。
この会は毎年夏に2日間に渡り開催され、今年で36年目を迎えた。よく続いたものだと思う。来年からは新しい幹事のもとで、さらに発展すれば、この会を始めた故清水義弘先生(元東大教授)も、喜ばれることであろう。

IMG_20180830_0001

IMG_0819

学校社会学36回集合写真

健気(けなげ)―瓢箪(その2)

まだ瓢箪(ひょうたん)は,リビングの窓のカーテンとして窓を覆っているが、蔓は上に伸びる一方、枯れはじめた葉もある。
枯れた葉を取ろうとして、間違えて新しい蔓の部分をカットしてしまった。
捨てるのは忍びなく、しばらくでも生きればと思い、花瓶に挿したら、健気に生き続け、花まで咲かせた。
逆境に健気に生きる瓢箪の姿に、心打たれた。

IMG_0815

IMG_0687

藤原新也 Cat Melon

藤原新也には会員制のサイト(ブログ等)があるが、それとは別に1か月に1度くらいの頻度で更新されるCat Melonという公開のサイトがある。
www.fujiwarashinya.com/talk/
そのサイトに、今回の尾畠春夫さんの理稀ちゃん救出に関して、下記のようなマスコミでは言われていないことを書き、話題になっているという。
氏の過去のインドなどの旅行体験からきた氏独自の視点であろう。

<理稀ちゃん救出劇雑感。(藤原新也 cat Melon より一部抜粋)>

大島町で行方不明になった二歳児の理稀ちゃんが大分からやって来た尾畠春夫さん(78歳)に救助された一件はすべての曇りを取り払うがごとき快挙だった。私はこの救出劇の過程には少々異なった見方をしている。
実は尾畠さんは理稀ちゃん発見直後に少数の記者に囲まれ即席の談話をしている。その時、以降の記者会見の席やインタビューでは出なかった言葉がある。
彼は(出立のとき)「カラスがカーカーうるそう鳴くもんじゃけ」と口走ったのである。
私はこのカラスこそ今回の奇跡とも言える救出劇の隠れた立役者だと直感した。
私個人は尾畠さんが580メートル先上空にとりやま”を見たのではないかと思う。このとりやま(鳥山)は海にも立つが陸や山にも立つ。そしてそのとりやまの下には獲物があるということだ。その獲物は生きている場合もあり死んでいる場合もある。とくにカラスのような物見高い鳥は何か下界で異変があると騒ぎ立てる習性がある。これは日常的に死体が転がっているインドにおいても同じことである。
尾畠さんはおそらくその不吉なカラスのとりやまを遠くに発見してピンポイントでそのとりやまの下に向かった。私はそう考える。
20分の奇跡はかくして起こった。
そしてまた今回の奇跡の救出劇にそのような隠された事実があったとしても尾畠さんの快挙に微塵も汚点が生じるものではない。そしてそれ以上に今回の一件は助けたいという「念」の勝利でもある。その念とは愛に通ずる。(藤原新也)

カズオ・イシグロの「遠い山なみの光」を読む  水沼文平

カズオ・イシグロの処女作である「遠い山なみの光」を読みました。読み終わっての
感想は話の展開が良く理解できなかったということです。

ロンドンの近郊に住む初老の悦子(「わたし」で登場)はロンドンから戻ってきた次
女のニキと語りあっています。悦子は長崎で長女の景子を生んだ後に離婚、評論家の
英国人と再婚、イギリスに渡ったようです。その英国人との間にニキが生まれました
が、景子は引き籠りの末、家出をしてマンチェスターで自殺をします。

悦子は英国人の夫と娘の景子を亡くし、日本での昔の思い出に浸ります。悦子の思い
出は若い頃に住んでいた長崎のことです。朝鮮戦争が始まったという時代設定なので
原爆投下から5、6年経った頃ですが、原爆で荒廃しているはずの長崎の街中や稲佐の
描写にかなりのタイムラグを感じました。

新婚の悦子は長崎郊外のアパートに住んでいます。悦子は戦争孤児だったのか緒方と
いう長崎の大物教育者に拾われ、その家で育てられ、緒方の息子と結婚します。悦子
は近くの一軒家に住む佐知子とその娘万里子と知り合います。佐知子は東京から流れ
てきた女性です。佐知子は東京で度重なる空襲を経験、戦後はチャラ男の米国人と知
り合い彼を頼りに渡米することを願っています。娘の万里子は空襲の恐ろしい体験が
忘れられない猫だけに心を許せるいじけた女の子です。

この小説には、戦後の混乱の中でさまざまな人物が登場し、夫婦、選挙、地域などで
の「いざこざ」が描かれています。その背景には戦前の「規律と忠誠心」と戦後の
「民主主義と自由」との対立があります。

戦前保持派の代表者が緒方さん、うどん屋の藤原さんであり、悦子の亭主の二郎で
す。この小説に頻出する「将来の希望」という言葉はタイトルの「「遠い山なみの
光」と合致するものですが、その体現者が悦子だと思います。世話になった家の息子
と結婚し子も生したのに、その恩義も忘れて英国人と一緒になってしまう新しいタイ
プの女性。小説では悦子は「戦前保持派」のような人物として描かれていますが、実
は佐知子は悦子の分身で、自殺した景子は万里子の分身として書かれているようにも
思われます。

1954年生まれのカズオ・イシグロは5才の頃長崎を離れています。ノーベル賞作家に
は申し訳ありませんが、彼が日本と日本人について書くのはちょっと無理があるよう
な気がします。

育った環境と言語が人間を形成するという認識を改めて感じました。やはりカズオ・
イシグロの代表作は英国人として書いた「日の名残り」や「わたしを離さないで」、
短編の「夜想曲集」だと思います。

よく分からない小説を読んで、よく分からない読書感想になってしまいました。