千葉市いなげ(稲毛)について

辻氏のユリノキ台の話があったので、私の住んでいる稲毛(いなげ)についても少し書いておこう。私は小学校にあがる前の数年間、稲毛の浅間神社の近くに住んでいた記憶がある。周りは松林と畑であったが少し先は海でアサリやハマグリなどが取れた。その30年後にまた稲毛の海の近くに住み始めた。

今日(1月4日)は、稲毛の浅間神社に初詣をした後、その隣にある「千葉市ゆかりの家・いなげ」も見学した。そこは下記に説明があるように、中国清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑と妻・浩が、半年ほどこちらに居を構えたところで、昔の日本家屋と庭園が保存されている。溥傑中国の現代三筆に数えられ、その書も飾られている。溥傑と妻・浩のことは,テレビ朝日が2003年に『流転の王妃・最後の皇弟』*という素晴らしいドラマを作成している。

『流転の王妃・最後の皇弟』は、「テレビ朝日開局45周年記念ドラマ」として、同局系列で2003年11月29日・11月30日と2日間に亘り、延べ5時間半(放映時間の単純合計)に亘って放送された大型テレビドラマである。概要―中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀の実弟・溥傑と、その下へ嫁いだ日本の嵯峨侯爵家の娘・浩の夫婦愛と苦難の歴史を描く。第2部では視聴率25%(関東地区)を獲得し、エランドール賞の2004年作品賞など、数々の賞に輝いた。2004年2月25日にはDVD化もされている。主演は、竹野内豊と常盤貴子(wikipedia.)

「千葉市ゆかりの家・いなげ」―明治中期以降、保養地として多くの文人墨客が訪れた稲毛は、海岸線の松林を中心に、別荘・別邸が建てられました。この家もそのうちの一つであり、昭和12年には、中国清朝のラストエンペラー愛新覚羅溥儀の実弟である溥傑と妻・浩が、半年ほどこちらに居を構え、新婚生活を送りました。保養地としての稲毛の歴史を今に伝える貴重な和風別荘建築として、千葉市地域有形文化財(建造物)に登録されています。

https://www.city.chiba.jp/kyoiku/shogaigakushu/bunkazai/yukarinoieinage.html

そこから車で5分ほど行くと稲毛海浜公園、検見川浜に出る。今日は風が少しあり、ウインドーサーフィンが気持ちよさそうに疾走し、遠くに富士山が綺麗に見えた。稲毛もなかなかいいところなのかもしれない。

風の便り63号

毎月1日の送られてくる辻秀幸氏の「風の便り」63号は八千代市のゆりのき台探索の話。辻氏は船橋市より最近こちらに移り住み、持ち前の好奇心で近辺を探索し写真を撮りムシの居場所を観察している。齢を感じさせないその意欲と活動を見習いたい。

お知らせ

深谷和子先生(東京学芸大学名誉教授)が1月3日にご逝去されたという知らせを受け取った。深谷和子先生には、昔から日本教育社会学会、日本子ども社会学会、モノグラム同人会などで多くのご教示をいただき、大変お世話になった。ご冥福も心よりお祈りいたします。

年賀状に関して

年賀状に関して人々はどう考え、どうしていうるのだろうか。年賀状離れは若い世代ほど進んでいるのではないか。ただ高齢者で年賀状をやめる人も多く、「年賀状は今年限りにします」という断り書きをよくいただく。年に1度の近況報告の交換のみの知り合いからの年賀状は、昔を思い出し、近況を知り嬉しいものある。ただそれはメールの交換でもよく、わざわざ年賀状はいらないかもしれない。私達大学教師には、昔の教え子が何年も毎年年賀状を送ってくれる人がいる。その近況を知るのはうれしいが、出す方も大変かと思う。

私は今年はPCの宛名書きが使えず全部手書きで行った。最近は文字を書く機会がない中で、それ自体は新鮮であった。私の場合、毎年年賀状の行き違いが3割強ある。出したものとほぼ同数の年賀状を元旦に受け取るのだが、そのうち出していない人からの年賀状が3割強ある。逆に私は期待されていない年賀状を3割強の人に出しているということになる。年賀状はお正月の楽しみの1つである反面、これでいいのかとという思いもある。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。

皆様にとってもよい年でありますように。

今年もよろしくお願い致します。

           2024年1月1日