マネーワールドについて

たまたま昨日(6日)に見たNHKスペシャル「マネーワールド1」(▽爆笑問題×資本主義 世界から現金が消滅!? ’新たな通貨‘最前線)がなかなか面白かったので、印象に残ったことを記録にとどめる。(メモも取らなかったので、必ずしも正確ではないが)

⓵ 現在の通貨制度のもとでは、お金の価値は各国の中央銀行によって保障されている。それが、中央銀行がお金(紙幣)を発行し過ぎて、お金の価値が全くなくなっている国もある(ベネゼエラ他)。それに対して、仮想通貨(ビッㇳコイン)は、数学的に(自動的な)計算が信用を支えている。信用を国家にゆだねるより数学にゆだねる方が、安心できる時代が来るかもしれない。
⓶ 現在の日本で現金は家庭と企業に貯めこまれ、市場が回らないことが大きな問題になっているが、それが電子マネー(カード、スマホ、スイカ等を含む)によって、使いやすくなるなり、購買力が高めようと試みられている。また、地域紙幣だが、それに有効期限を設定しているところもある、それだと人々は期日までにお金を使うようになる。
③ 現金はそれを獲得した履歴が残らないが、電子マネーは履歴が残るので、犯罪に会う可能性も低い。電子マネーになれば銀行強盗もなくなる。
④ 新しいお金の考え方が、次々に出ている
A 「時間マネー」というものがあり、それを利用している人も数万人いる。人の持っている時間を、地位や職業にかかわりなく、平等に価値あるものとして、交換する制度である。例えば英会話を1時間教えた人が、料理人から1時間料理法を教えてもらう(ネット電話を使う)
B ネット上の、「いいね」の数も価値を持ち、それが多いものに広告料が入る。これも新しいお金の考え方である。
以上のように、私たちがあまり前と思っていたお金(マネー)のあり方をと問い直すというのは、大変興味深い。今お金(マネー)のあり方の大きな転換期にあるいう。

カズオ・イシグロ・小野寺健訳『遠い山なみの光』を読む

カズオ・イシグロ・小野寺健訳『遠い山なみの光』(2001、ハヤカワ文庫)を読んだ。
イシグロの初期の作品で、文庫で275頁と比較的短く、後半一気に読める。
これで、イシグロの翻訳のあるものはほとんど読んだような気がする。
水沼さんが、そのストリーに関してわかりやすく8月18日のブログに書いてくれている。「彼が日本と日本人について書くのはちょっと無理があるような気がします」という指摘もある。ただ、翻訳者が、会話を当時の日本のまた登場人物の出身などを考量して表現しているので、外国の翻訳という感じはしない。
文庫本の後の訳者あとがきと解説(池澤夏樹)が、とてもよく書かれていて、それ以上の感想を付け加えることはないように思う。

読書メーターhttps://bookmeter.com/books/568342/reviews?page=1&review_filter=none 他、から、いくつか感想を転載しておく。

<今はイギリス人と再婚してイギリスに住んでいる悦子は、終戦後新婚で長崎に住んでいたときのことを回想します。原爆が落ちて、戦争が終わって、世の中の常識が180度変わってしまった時代に、夫と義父と近所に住んでいた女性との関わりの中で思い惑う気持ちが描写されています。物語を読み終わると、淡々と語られている物語の中に悲しみが隠れていた事に気づきます。決して読みやすくはないですが、心にのこる物語でした。>
<A Pale View of Hills by Kazuo Ishiguro 1982 遅ればせながら、著者初読。義父、夫、友人、娘・・時代や関係性、様々な断絶が、靄のかかったようなもどかしさ、寂寥感、そして不気味さを醸し出している。解説で池澤夏樹さんが褒めていたように小野寺さんの訳がとても自然で滑らか。原文はどんなだろう。>
<戦後の長崎で奔放な佐知子に出会った悦子は、当時は彼女の生き方を理解できなかったかもしれないけれど、後にイギリスで次の夫を得た彼女の人生には少なからず佐知子が影響しているのだと思う。多くを描かれない景子、ニキ、そしてその後の知れない佐知子と万里子。存在の見えない悦子のイギリス人の夫。何らかの終着点の見えないまま、常にずっと薄暮のなかにいるようなストーリーで、でも変化や希望が描かれているような……まだまだ初の作家さんなのでよくわからないけれど惹かれてしまう。他の作品を読んでみたいと思う。英語で読めたらいちばんよいのだけれど。>
<解説にもある通り、薄闇の中を手探りで進んでいくような不思議な読書体験だった。佐知子と万里子パートなんて常に不気味で、まるでホラーのよう。しかし物語がどこに向かうのかわからないなりに読みすすめると、読了後、過去のシーンひとつひとつがフラッシュバックして、甘酸っぱいような苦々しいような奇妙な気持ちに包まれた。決して明るい終わりではない。けれど、どこかで時代を生き抜く人間の生命力も感じさせる。不思議な多幸感。今はタイトルの「遠い山なみの光」がとてもしっくりくる。>
<戦争の終結によって、人々の社会的地位や価値観が大きく変わった時代、その中を生きる人々に思いをはせながら、自分の人生を振り返っていきます。常にもやもやとした、薄暗い雰囲気が続くので読んでいて不安な気持ちになります。英国人の書いた日本人の会話を日本語で読むというのは妙な感じです。>
<処女長編だそうで、それもあってか、盛り込み過ぎ!!気になる要素があたら蒔かれてるのに、解決しないことがありすぎて、それで収まりがつけばいいけど、単に書き込みが足りない感じ。>
<全てが原題のごとく、ぼんやりとした風景の中で進行していくのも解説の池澤さん同様小津映画を想起した。佐知子のその後や娘の自殺など語られないこともあるが、決して日本女性のみならず、普遍的に時代も超え、不条理な事の後にも生き続ける生き様を描いたからこそ、評価されるのだろう。>

高校教師調査について

公益財団法人「中央教育研究所」の研究グループで、昨年秋、高校教師に対する調査を実施して、研究仲間と報告書を書いている。
報告書は、「高校教員の教育観とこれからの高校教育」という題で、13章構成で、さまざまな内容を取り上げ、調査票見本、クロス集計、自由記述も掲載したので、かなりのボリームになる。11月に刊行を予定している。
その報告書の予告のような内容の原稿を、新聞に書かせていただいた(下記 添付参照)。
日々多忙で、生徒の為に奮闘している高校の先生方への応援になれば、嬉しい。

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ドラマへの感情移入

醒めている現代は、ドラマをみて感情移入することはほとんどなくなっているのではないか。
そうはいいながら、先週最終回を迎えたNHKの朝ドラ「半分、青い。」(https://www.nhk.or.jp/hanbunaoi/ )で、ヒロイン鈴愛の親友・裕子が東北の震災・津波で命を落としたということが知らされた場面では、さすがに悲しくて涙を流した視聴者も多かったという。朝一の女性キャスターも涙ぐんでいた。考えてみると、これはドラマ上のことなのにすごいなと感じた。
その原因を考えてみると、次のようなことが上げられるのではないか。
第1に、鈴愛を演じていた永野芽郁の名演技である。彼女の悲しみが視聴者に伝わってくる。
第2に、子どもや若い人の死に関しては、高齢者の死と違い、心痛むものがある。(裕子を演じた清野菜名の印象も強かったのかもしれない)
第3に、今数年経って忘れかけていた東北の大地震・津波の犠牲者を思い出し、その無念・悲しみに、人々が思いを馳せたということであろう。
「半分、青い。」はなかなかいいドラマで、これが終わってしまったのはさびしい。

後期の授業始まる

 明日(9月27日)から後期の授業がはじまる。授業は何年経っても最初は緊張する。
学生諸君は、なぜこの授業を受講したのであろうかと思う。
 「必修だから仕方がなく」、「選択だが他の授業に取るものがなかったから」、「楽そうだから」など理由はいろいろであろう。
 でも、高い授業料を払い、毎回90分の授業を15回も出席する以上、「何か役にたつもの」を得たいと学生達も考えているのでないだろうか。

 教職関係の授業の場合、「役にたつ」の第1は、教員採用試験に役立つであろう。
 ただ、その「教員採用試験に役立つ」もそう単純ではなく、「教職教養の試験で高得点が取れる」だけでなく、面種試験や模擬授業で高得点を取ることも含まれる。後者は、試験官にいい印象を与えるということであり、そこでは深い教養や人間性も試される。
 深い教養や人間性の教育・育成は、まさに大学教育の目的の一つであり、大学教員が目指しているものである。

 私も3年前の原稿に、下記のように書いたことがある。
「学生が卒業して出て行く社会は、決して受身で内向的な若者にやさしい社会ではない。若年層の非正規雇用が多いことが示すように、従順な若者を不当に扱い、使い捨てる社会である。学生は、学生生活全般から学び、将来のキャリアを生き抜く力を付ける必要がある。専門知識の習得と同時に幅広い教養や汎用的技能(コミニケーションスキル、数量的スキル、情報リテラシー、論理的思考力、問題解決力)の習得が必要である。また、同世代だけでなく異世代の人や異文化の人との交流、様々な体験の積み重ねる必要がある。」(日経新聞 2015年5月11日)

 この幅広い教養や汎用的技術というのは抽象的でわかりにくい言葉であるが、それをもう少しわかりやすく具体的に、また格調高い文章で書かれたものを目にした。
 それは現在、上智大学学長の暉道佳明氏の「創造力高める学部教育―学び続ける基盤 大学に」(日経新聞2018年9月24日朝刊)である。

 氏は、「大学で豊かな学びを問うときに重要なのは、『教養』『専門』『経験』の有機的結合である」としている。そして、「教養とは、価値を創造する力、デザインする力、また自分や社会を展望する力、ときにはイノベーションを起こす力に成り得る智の源泉であり、そしてそれは国際通用性を有しているべきであろう」と書いている。
 今の大学で求められる教養、語学、経験、実践、専門の関係を、わかりやすい図で示している(添付参照)

 さあ、知(智)を掘り起こし、自分や社会を展望し、価値を創造する「教職教養」の授業を、展開しよう。

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日経新聞(5月11日)

追記 卒業生より下記のようなメールをもらった。

初講日はいかがでしたか?御無理をなさらずに。
新進気鋭の若手研究者の紹介記事をたまたま見つけたら、武蔵大の教員でした。
http://todai-umeet.com/article/35973/