9月入学について

学校や大学の休校が続き、これからは9月入学にしたらと話題になっている。全く白紙の状態から4月入学と9月入学とどちらがいいと言われたら、世界標準の9月入学がいいという意見になるであろう。しかし、長年やってきた4月入学制度を、9月入学に変更する為には、さまざまな問題を解決しなければならない。その余力が今の日本にあるのか。

桜の咲く頃の入学式という日本人の伝統的な季節感の変更は我慢するとしても、移行期の経済的費用(損失)は、どのくらいになるのであろう。特に私立の教育機関がその移行期の損失に耐えられるかどうかが大きいであろう。私学の幼稚園、保育園、小中高校、そして大学、専門学校は次の年の4月から8月までの5か月間、児童・生徒・学生が入ってこず、収入が大幅に減る。弱小の学校法人は倒産するであろう。教員や事務職員の給与も払えない。個人レベルで言えば、非常勤講師はその半年間授業がなく、生活に困窮する。高校、専門学校、大学の卒業生も、卒業が半年遅れ、その間の給与が得られず、困窮するものも多いであろう。この間に生じた財政・給与補償を国や地方自治ができるのか。そのような財政的な余裕はあるのか。

以前にも9月入学が日本でも検討された時期があった。特に大学では留学や留学生の受け入れで、世界標準の9月入学の方が適している。それで、大学はそれまで4単位の1年間継続の授業は廃止し、2単位の半年単位の授業ばかりになり、秋卒業の制度を取り入れているところも多い。したがって、大学は9月入学でも対応できるが、問題は移行期の財政の損失をどうするかであろう。

秋入学に関しては、変更するには、休校の続いた今の時期しかないことは確かである(教育格差の是正になる)。ただ社会の他の分野の(会計)年度との関係など、多くの問題があり、しっかりした議論が必要である。私のブログでは8年前にそれに言及したことがあったので、再掲しておく。

入学時期の歴史 ( 2012年4月24日) ― 秋入学が東大が言い出し、少し話題になっているが、「そもそも明治・大正期の50年近い間、日本の大学は秋入学だった」という記事が2012年4月4日の東京新聞に載っている。東大名誉教授の寺崎昌男先生の「東京大学の歴史」にその記載があるという。確かに漱石の「三四郎」(1908年)でも主人公の大学がはじめるのは9月だ。一方、高等師範学校が1887年に4月入学に転換している。その理由は、東京の小学校は4月入学、役所の会計年度と合わないなどの理由の他、「1886年に徴兵制期日が9月から4月に変更され、9月入学では新入生の徴兵猶予が受けられず、健康で学力の高い人材を軍に取られてしまう」という理由からだという。そして東大も1921年(大正10年)から4月入学に移行したという。このような、入学時期の変遷の歴史を知ると、「昔に戻せ」というよりは、優秀な人材を教育界が確保した「4月入学への転換」は評価されるべき歴史のような気がする

追記 新聞でも、9月入学に関しては賛否両論掲載されている(柳沢幸雄「長期的に見て大いに利点」朝日新聞、5月5日、「読者投稿欄」5月6日等)。留学や海外との交流を理由に挙げるのは、エリート的な観点過ぎるような気がする。学習指導要領やそれに基づいて作られる教科書も4月からの学校の始まりを想定しているであろうから、その全面的な改定は大変である。9月入学は、この間の家庭学習格差が埋められる、入学試験で雪が心配ないなどメリットはあるが、デメリットも多くあり、安易に決められることではない。季節の流れに基づいた1年間の生活のリズムも、日本人の心と体に根付いており,それを崩すと精神のバランスを壊す人も多く出るのではないか。(季節感のない人は大丈夫だと思うが)

All or Nothing?

今日は天気がよく、近くの海浜を散歩してみたが、気持ちがよかった。新型コロナ禍の自粛で、海浜で遊ぶ人や散歩する人は少ない。年寄りが桟橋でのんびり釣り糸を垂れていた。遠くに幕張メッセが見える。そこも閉鎖されているであろう。今のような時期は、All or Nothing という発想しがちで、外出は一切駄目(Nothing)と考えてしまうが、他の人を非難する「自粛警察」「隣組と攻撃性」(内田樹、blog.tatsuru.com/)は避けたい。

今日のNHKニュースで、アメリカの学校で、Web学習に皆飽きてきて、学校を再開して、教師と生徒、生徒同士の距離を取りつつ、教室で学ぶ方向に切り替えつつあるとのこと、極端に振れると、揺り戻しがくるのではないか。

「吉本圭一教授退官記念誌」(2020.3)を読む。

大学教員が定年で大学を退職する時は、きちんと「最終講義」を行い、退職記念の記録を残し辞めていくのが、それまで勤めてきた大学への礼儀であるーこのようなことを、同僚の香川教授からいわれたことがある。ただ、退職前は、いろいろ忙しく、そのようなことをきちんとやるのは容易なことではない。私の場合、20年勤めた上智大学を定年で辞める折には、「最終講義」ではなく公開の研究会(「上智教育社会学研究会」)を開き、私も研究の総括のようなことを少し話し、記念の調査報告書(科研報告書)や研究のまとめのような冊子を配った。

このたび後輩にあたる吉本圭一氏(九州大学教授)より、九州大学の退職記念の記念誌(「吉本圭一主幹教授退任記念誌」145頁)と、記念出版の著書(「キャリアを拓く学びと教育」科学情報出版株式会社、2020,3)を、送っていただいた。

その記念誌に掲載されている吉本氏の業績と活動の記録をみて、その多さに驚いた。大学教員はこんなに仕事ができるのだと(正確には「こんなに仕事ができる人がいるのだ」と)。吉本氏の場合、論文80篇、著書(共著含む)32冊、翻訳4篇、総説・報告書・書評他163篇、講演273回、学会での研究発表117回(内国際学会28回)、科研費代表受託9回、科研費研究分担者22回、その他の研究費受け入れ10回、国際会議主催10回、ときわめて多く、九州大学での大学院・学部の授業も毎年9科目担当している。すごい業績と活動で、びっくりする。またその能力とエネルギーにも感嘆する。

エリート国立大学の教員が、研究志向なのがよくわかる。私立大学と違うのは、院生の数が学部の学生に比べ多いことが特徴である。吉本氏が九州大学に在籍した24年間に、吉本氏のゼミに所属した大学院生49名(1学年平均2名)いて、学部のゼミ生48名(1学年平均2名)と同じである。(私の上智大学在職中は、院生は、1学年1名程度であったが、学部のゼミ生は1学年10名を下ることはなかった)。国立大学は研究志向で、私立大学が教育志向という差が、学部のゼミ生の数字にはっきり表れている。

吉本氏の専門は教育社会学でも、マクロな職業教育や高等教育の分野が専門で、国の職業教育や高等教育の政策にも関わり、国際的にも活躍してきた人である。私とは研究関心や研究分野が違い、年に1度の教育社会学会で会い、挨拶する程度の付き合いしかなかった。それにも関わらず、このようなりっぱな退官の記念誌と新しい著書をわざわざ送って下さり、心より感謝したい(送ってもらった著書はこれから読む。特に「第3段階教育の複眼モデル」という吉本氏の独特の視点が、興味深く、学ばせていただく)

吉本氏が昔のことを、どの程度覚えているのかわからない。少し書かせてもらうと、私が学部の助手で、指導教授の松原治郎先生の「教育調査演習」の手伝いで調査の合宿に参加した折、吉本氏が学部3年生で、中学生の父母の面接に行き、なかなか帰ってこず、私が一人残り、彼の帰りを待ち、二人で御徒町駅前の寿司を一緒に食べに行ったことがある。松原先生が関係していた日本青少年研究所の千石保先生の「日米高校生比較調査」を私が手伝い、その後の「High School and Beyond in Japan」の調査を吉本氏が手伝っている。また福武書店(現ベネッセ)の「モノグラフ高校生‘83」の「職業科に学ぶ高校生」の調査を、耳塚寛明、苅谷剛彦、樋田大二郎氏らと一緒にやってもらっうように主査の深谷昌志先生に進言し実現したことなどが、私との接点である。(東大の教育社会学研究室の後輩たちが皆偉くなっている)。

最終講義の様子は、You Tubeに公開されているとのことで、視聴させていただいた。講演が多いだけあって、落ち着いた、人を惹きつける語り口で、吉本氏の研究経歴とアカデミックな内容が手際よく語られ、いい最終講義になっている。吉本氏は、4月から滋慶医療科学大学院大学に勤められ、研究を続けるという。ご活躍を期待したい。

 最終講義    https://www.youtube.com/watch?v=gjn2cZB-npQ

入試問題

入学試験の問題に、自分の文章が使われたりとすると、それは名誉なことであろう。有名な人の文章は、よく使われる。それは、内容も文章もすぐれているからであろう。残念ながら、私の書いた文章が、大学の入試問題に使われたという記憶は全くない。

40年前の徳島大学の入試問題(論文)に、「このようなものがありました」と、教え子が教えてくれた。見てみると、41年前に、IDE(高等教育雑誌)に私が小林雅之氏と一緒に書いた調査の報告書の一部が使われていた。「そのデータの一部を読み取り、そこから自分の考えを書きなさい」という問題であった。私の文章が使われたわけではなく、内容が使いやすかったのであろう。当時徳島大学には、教育社会学の研究者がいたので、それで私達の書いた報告書が目につき、使ってくれたのであろう。感謝するとともに、この調査の報告や分析に関しては、いくつか苦い思い出もあり、また今だったらもう少し別の分析や考察をしたのにと思うと、少し複雑な思いである。(若い頃のことを思い出すと、恥ずかしくなることが少なからずある。)

身だしなみを

今のように、自宅に籠る生活で、家族以外に人に会うこともなくなると、服装に気を遣うこともなく、寝ぐせも気にならなくなり、寝ぼけた顔で過ごすことになる。さらに家でやる仕事もないと、テレビやインターネットを何となく見て、ボーとしているうちに時間が過ぎていく。このような時、人に会ったら、さぞ間抜けた姿なのであろう。これを避ける為に、藤原新也は次のようなことを提案している。私は外見より、心の身だしなみ(緊張感)でもいいと思うのだが。

<たとえひとりで家にこもるような生活であっても日常の「躾(みだしなみ)」を保つと言うことである。心というものは型によって生まれるものだ。躾を保つことは心が澄み、合わせて自分を律する力となる。このいつまで続くとも知れない、生ぬるい空気の中ではそういった日常の小さな所作が一つの生きる力ともなる。>(Cat Walk)