「梨泰院クラス」ロス(その5)

今日(6月16日)の朝日新聞も韓流ドラマの再ブームを牽引している「梨泰院クラス」について言及していた(その部分を転載)

<韓流ドラマ再ブーム、世界を相手に 「愛の不時着」・「梨泰院クラス」が牽引

 韓流ドラマブームが再燃している。牽引(けんいん)するのは、ネットフリックスで配信中の「愛の不時着」と「梨泰院(イテウォン)クラス」。日本だけでなく、中東や東南アジアでも大人気だ。なぜこんなに勢いがあるのか。 ■信念ある女性/恋愛+社会問題 政府支援、リメイクしやすさも戦略 「自粛生活の唯一の彩り」「もう見るのは5回目」。ツイッターには連日、両作品への賛辞が並ぶ。あの黒柳徹子さんも「全話一気に見ました」とインスタグラムでコメントした。 「愛の不時着」は、韓国の財閥令嬢がパラグライダーの事故で北朝鮮に不時着。出会った北朝鮮軍の将校と恋に落ちる物語だ。「財閥」「親との確執」など韓流ドラマならではの設定がちりばめられ、韓流ブームの先駆けとなったドラマ「冬のソナタ」(2002年)の出演者も登場。王道の恋愛ストーリーを笑いとペーソスでもり立てる。 「梨泰院クラス」は、ある親子に人生を狂わせられた青年が、仲間と一緒に巨大飲食店チェーンに挑む。人気ウェブ漫画が原作のテンポの良い復讐(ふくしゅう)劇だ。 両作品とも、韓国で放送された後、ネットフリックスで世界配信されると、瞬く間に人気ランキングの上位に入り、トップ10以内を保つ。中東や東南アジアのメディアでも次々と紹介され、ブームになっている。 人気を支えるのは、働く世代からの共感だ。いずれの作品も、登場する女性に上昇志向や愛する男を守る強さがあり、自分の生き方に信念を持っている。決して善人とは言えないずるさも描かれる。男たちは、そうしたヒロインの自主性を大切にし、彼女らの生き方が誰かに汚されないように守り抜く。 (以下略)>

人との会うことの「暴力性」

今でも見る一番怖い夢は、授業の準備、話す内容の準備ができていないのに授業の時間が来てしまい、困惑する夢である。途中で目が覚めると、ほっとする。人前で話すのが向いていないのかもしれない。

今、コロナ自粛で、大学の授業が遠隔授業になり、教壇に立つこともなくなり、その点ではとても楽になった。自分にとって、教壇に立つことがこれほど苦痛のことだったのかと自覚する日々である。とりわけ多人数の講義では、いろいろな学生がいて、どんな話をしても退屈する学生はいて、私語はあるし、それを宥め、90分の授業を無事終えるのに多くのエネルギーを使う(うまく行った時の達成感はあるのだが)。少人数のゼミは少し楽だが、それはそれで別の神経を使う。ゼミメンバーが皆仲よくしているのか、コンパでもやった方がいいのかなど。

精神科医の斎藤環氏が、人に「会うことは暴力」と言っている記事(朝日新聞6月14日、デジタル版)を読んだ。人に会ったり、人前で話すことは「暴力」で、かなり無理をしているのだということである。自然の状態は、そんなに人に会ったり、人前で話したりせず、一人(あるいはせいぜい身近な家族と)好きなことをして、人と連絡が必要な時は、メールで伝えればいい。「引きこもりは」は異常なのではなく正常で、無理して人に会ったり、人前で話したりすることの方が異常なことなのかもしれない。外で働く旦那より、終わりのない家事、育児に忙殺される専業主義の方がどれだけ大変なことなのかと、ジェンダー論では言われるが、人に会うことの暴力の少ない専業主婦の方が、外で神経をすり減らし人と会う旦那より楽でまた人の自然状態に近いのかもしれない。こんなことを感じるコロナ自粛の日々である。

 <(前略)むしろ非生産的で、不要不急の、あまり意味のないことをすることで、私たち自身が本来持っていた、時間の感覚を取り戻しましょうと。私はそういったメッセージを、ウェブサービス「note」で公開し、反響の大きさに驚きました。(中略) 緊急事態宣言解除後に再び元の世界に戻すべきなのか、という議論があります。在宅ワークをしてみたら、できるじゃないかと。無理に満員電車に揺られて通勤し、行き先の職場で疲弊して、ハラスメントにあってまで働くことはないと。そんな声が上がる一方で、「やはり会わなければダメだ」という声もある。議論は今も続いていて、なかなか糸口が見えない。 なぜかと言えば「人に会う」ということは、ある種の「暴力」だからなのだと思います。どんなにやさしい人同士、気を使いあっていたとしても、相手の境界を犯す行為なので、その意味では、会うことは暴力です。それでもなぜ、人と人が会うのかと言えば、会った方が話が早いから。(中略)この暴力の存在を、私はコロナ禍の中であらためて自覚しました。私が日々している会議、授業、診察。それらもまた、暴力なのだなと。私自身、そこに入る前に緊張したり、気が重くなったりする。でも、終わってしまうと、やってよかったという気持ちになる。(中略)自分が外の世界で経験してきたことの暴力性に、外出自粛下で距離を置いたことで、気付いてしまった。それに気付くほどに、暴力のない世界に没入したくなる。そういった気持ちは非常によくわかる気がします。(中略)  「会うことは暴力だ、だからダメだ」とも言えない。「すべては暴力なのだから、我慢するべきだ」とも言えない。暴力に対する耐性は人それぞれ違います。予想を超えた規模で、実は自分自身は暴力に耐えられないんだ、と気付いた人たちもいたわけです。そういう人たちが在宅に切り替えれば、欠勤もなくなり、効率もアップする。そういうことが実際に起こっている。)(中略) 大勢がひきこもったことで、ひきこもりの人に共感しやすい状態が生まれました。>(斎藤環、コロナで誰もが気付いた「会うことは暴力」(6月14日)精神科専門医・筑波大学教授)

「梨泰院クラス」ロス (その4)

今は韓国ドラマをいろいろ見て、「梨泰院クラス」ロスは、さすがに薄れてきているが、ネットでは、「梨泰院クラス」を絶賛する記事がまだ続いているようだ。その内容を見ると、韓国ドラマというよりは、世界に発信するドラマの要素を、脚本、テーマ、ファッション、音楽などが備えているとのこと。「クール・ジャパン」などと言って、内向きになっている日本が負ける訳だと思う。

ビジネス復讐劇「梨泰院クラス」がヒット独走中―なぜここまで視聴者の心を揺さぶるのか? 長谷川 朋子 :

<テーマやファッション、音楽も今どき。ヒットの法則がそろいまくる『梨泰院クラス』はマーケティングに基づき世界水準のヒットドラマを狙って作られているのではないかと思うほどです。登場人物の生き方から学びたいと思わせる能動的な思考力を生み出す描き方に至ってもその条件が満たされています。それを裏付けるものとして、SNS上には印象に残った台詞が並んでいることが挙げられます。『梨泰院クラス』は名言だらけでもあるのです。生き方そのものやビジネスのヒント、モテる方法を集約した視聴者の心に響くせりふが並んでいます。服役中の主役のセロイが言い放ったせりふ「俺の価値をお前が決めるな。俺の人生は今から始まるし、願望は何でもかなえながら生きるから」など、その多くが共感を生んでいます。また女性の登場人物にもしっかり焦点を当てています。女優キム・ダミが演じるチョ・イソは女性のエンパワーメントを具現化したような人物像です。「私なら夢も愛もかなえられるはず」の名言もあり。揺るぎない自信を持ってセロイを大物に仕立てていくさまはイソのサクセスストーリーとしても見て取れます。(中略)国内市場だけでなく、世界で競争力を磨いて作られる作品が韓国ドラマにも増えていることが、ハマる人続出の理由になりそうです。>( https://toyokeizai.net/articles/-/355535 )

人は、どこで相手の表情(感情)を読んでいるのか

人はどこを見て相手の表情(感情)を読んでいるのであろうか。私達日本人は、人と話す時も、相手と目を合わせたり、相手の顔をしっかり見たりしない。あらぬ方を見て、時々目や顔を見る程度のような気がする。そしてその場の空気を読んでいるように思う。それは、「対話」ではなく、「共話」なのかもしれない(添付2参照)。それに対して、相手の表情を読み、しっかり相手とコミュニケーションしたい時は、相手のどこを見るのであろうか。

日本人は相手の「目元」を見て感情を読み取り、米国人は「口元」で感情を読み取る傾向があるという(添付1参照)。 それで、マスクで口元を覆っても、日本人は相手の感情を読むのに困らないが(目元を隠すサングラスは困る)、米国人にとっては口元をマスクで覆われては、相手の感情が読めず困惑するという。

ドラマを観ていて面白いと思うのは、普通に対話とは違い、登場人物の表情を遠慮なく見ることができることである。私は韓国ドラマを観るとき、登場人物の目の動きをしげしげと見てしまう。韓国人の目の動きが活発で、表情豊かで、喜怒哀楽がはっきり目に現れているように思う。「梨泰院クラス」のヒロイン・イソの大きな目の表情の演技はこのドラマの魅力の1つになっている。これは、目元を見る習慣のある日本人の私からの見方で、米国人が見たら違って、口元で感情を読んでいるのであろうか。

9月入学について(その2)

9月入学については、移行期のコストのかかり過ぎや、日本人の季節感のことからの懸念を書いたが(5月1日)、今年の導入は見送られたものの、まだ議論が続いているようで、昨日(5月30日)の朝日新聞朝刊の耕論に、知り合いの若い教育社会学の研究者が、的確な論を展開していた。

末富芳さん(日本大学教授)は、政治家がコロナの「火事場」を政治利用して、コストや現場の負担も顧みず、国民を分断し、子ども達の学ぶ権利無視して、教育を実験台にしようとしていると、政治家の9月入学の提案を厳しく批判している。小針誠さん(青山学院大学教授)は、「同一年齢一斉入学」や「一斉履修主義」が出てきた教育の歴史を振り返りながら、それを転換すべき時で、入学時期は大きな問題ではないと論じている。ともに傾聴すべき意見であり、いろいろ考えさせられる。