風の便り 20号 21号 22号

「浜町から風の便り」の20号(2021.3.15)、21号(4.1)、22号(4.15)を送っていただいたので、掲載する。さまざまなことが取り上げられている。22号には、珍しいカメムシの写真が掲載されている。

(横になっている添付をを縦にしてご覧ください、また各号、印刷の関係で、4ページ目が最初にきています。下記は一部再掲)

伊藤彰浩『戦時期日本の私立大学ー成長と苦難』を読む。

伊藤彰浩氏(名古屋大学教授)より、近著『戦時期日本の私立大学ー成長と苦難』(名古屋大学出版会、2021,4)を送っていただいた。300ページを超える大著、しかも膨大な歴史的な資料やデータの発掘や、その丹念で緻密な分析、膨大な註(56ページ)参考文献(11ページ)にも、感心させられた。
戦時期の日本の私立大学は、政府や軍部の上からの強い命令に従順に従い、存続をひたすら図ったと思いがちだが、そのような思想や学問への弾圧という側面だけでなく、個々の大学の経営行動や財政的な側面、そして学生の進学行動が、個々の大学のあり方たを決定づけていたことが、具体的なデータをもとに実証されている。その手法は教育社会学的で、鮮やかである。大学規模別にも様々なタイプの私立大学があり、大規模の日本大学と小規模の上智大学の規模の違いによる戦時期の大学生き残り戦略の分析も興味深い。文部省の態度がはっきりせず、それを見破り、したたかに対応を図る私立大学もあったことも明らかにされている。戦時期の私立大学を、このような視点から実証的に研究したものははじめてで、著書の大変な努力がうかがえる。後世に残る大学史の研究書になるものと思う。本書の分析対象が、1945年の敗戦時点で、大学令による認可を受けて存在していた27校に限られていたが、その他の高等教育機関、専門学校(戦後大学に昇格した例えば成城、成蹊、学習院,武蔵など)が、戦時期にどのような状態であったかもさらに知りたくなる。さらに、戦時期の各大学や高等教育機関の在り方が、戦後にどのように生かされたかも。

遠藤周作『結婚』(1962)を読む

暇で、手元にあった小説を読んだ。読んだ本は遠藤周作の『結婚』(講談社、1962年)。遠藤周作(1923-1996)が40歳前後の時に書いたもので、今から60年くらい前のもの。その頃はお見合い結婚が多く、堅実な堅物な男とお見合い結婚した女性が、真面目な夫に生活の安定を感じながらも、何か物足りない、若い時の淡い恋(初恋の相手が徴兵で戦地に赴く前の思い出等)を思い出すというものが多い。一つ、気になった短編があった。

それは、5話の「夫婦の損得」。学歴もなく背も低くあまり見栄えもしない平凡な男が、姉の持ってきた田舎出身の同じく背の低い、目鼻立ちのぱっとしない娘を嫁にもらい、結婚生活を始めるのだが、「こちらはお前を食わしてとる(のに)、お前は気がきかん」と妻を叱ることが多かった。妻は、叱られるたびにますますおどおどとして不器用になり、黙ってしまう。そして、妻は1年目は木の根のように丈夫だったが、2年目から熱を出し始め、医者に行くと「白血病」と診断され、入院して1年余りで亡くなってしう。男の思いは、「結婚にはツキがなかった」「妻の病気によって妻から何もサービスを受けぬ夫になってしまった」「なんのために結婚したのかわからぬ」というもので、姉からも「本当のことを言えば、(彼女がなくなって)ほっとしたろう」と言われるものであった。妻の死後、たまたま次のような妻のメモ書きを見て、男は驚き、悔いたという話。その妻のメモは、次のように書かれていた(一部転載)。

「私はあなたに何かしてあげたいけれど何もできない。だから、私は今の自分の病気が、もしあなたがいつか病気になった時の身代わりにであるようにいつも神さまや仏さまにお願いしているのです。あなたがその時、苦しまないように、私にもっと、もっと痛さや苦しみを与えてくださいと祈っているのです。それが、それしか、私はあなたにしてあげられません。でも夫婦なのですもの。それだけでも私はうれしいので、、」

夫が「この結婚によって受け取るものがなく損をした」と感じていることを知っていた妻が、そのような損得勘定の打算的な夫に対する思いが、(普通考えもつかない)深い愛の気持ち(祈り)だということある。これは著者の遠藤周作がカトリック信者だということと関係しているのであろうか。この妻の思いは、遠藤周作の『沈黙』や『私が捨てた女』に出てくる登場人物に通底するもので、宗教的なものであると思う。同時に、江藤淳のいうような日本的な「母」の文化(『成熟と喪失』)もそこに感じられる。

パソコンの不調

3日ほど前、普段仕事部屋で使っているパソコンが壊れ、起動しなくなった。パソコンが古くなってしまったのか、たまたま変なキーを押してしまったのかわからない。大学のメディアセンターの人に点検をお願いしたので、手元に普段使っているパソコンがない。体の一部が欠落したようで落ちつかない。そのパソコンには過去の原稿や授業資料などが全部入っていて、ほとんどバックアップを取っていないので、それ消失してしまったら、私の過去の一部が失われる。この欄の更新も遅れそう。

点検の結果、機動は難しいと言われ、新しいパソコンを購入することにした。ただ電気店で今在庫がなく、入荷まで2週間かかるとのこと。データの取り出し+データの戻しは、最低で32500円(250GBまで)かかると聞き、この点は保留する(断捨離もいいかもしれない)。新しいパソコンが届くまで、家のパソコンや研究室のパソコンで代用し、4月からの授業(「教職概論」)の準備をしよう。

追記(4月12日)パソコンは新しいものになったが、まだ設定が完全に済んでいなくて、1つのメールの送受信はできるが、その他できないことが多く、老いた体と同じで、ヨタヨタしている。敬愛大学の前期の授業「教職概論」(教育学部教育子ども学科1年生向け)は、オンデマンドの授業で受講生は74名。第1回の解答(コメント)はちらほら送られて来ており、それへの返信のコメント書き始めた。昨年は40名程度の受講生だったの、コメントを毎回個々の学生に送ったが、今回はその倍の受講生の為、毎回の個々の学生へのコメント送信をどこまで続けられるか疑問。

老いによる思考力や表現力の衰えについて

今日の朝日新聞の朝刊に池上彰は、14年間続いた「新聞斜め読み」の連載を自ら辞退した理由を次のように書いている。

「仕事の引き際とは、難しいものです。いつまでも働けることはありがたいことです。でも、誰にも老いはやってきます。老いの厄介なところは、自分の思考力や表現力の摩滅に自身は気づきにくいということです。いつの間にか、私のコラムの切れ味が鈍っているのに自身が気づかなくなっているのではないかという恐れから身を引くことにしたのです。いや、そもそも切れ味などなかったと言われるかもしれませんが。」(朝日新聞3月26日朝刊)。

同じようなことを感じることが多い。それは他人のことでも、自分のことでも。これまで凄いなと感心していた人(有名人など)の言動が、「かっての切れ味がなくなっているな」と思うことがある。自分のことでいえば、武蔵大学の時のゼミ生のS氏より、次のようなメールをもらった。

「『教育展望』の2020年9月号の文章を拝見いたしました。教育学の研究者になることになった経緯、その後の履歴がコンパクトにまとめられており、私の知らないことも多々あり、興味深く読ませていただきました。ついでに、最近はあまり覗いていないブログも、久々に訪ねてみました。書きっぷりはあまり変わっていないように思い、健在ぶりを想像することができました」

文字通り取れば、私は変わっていないという評価だが、S氏は教え子なので私に気を遣っているのかもしれない。 池上彰が言うように、齢を取ると、自分の衰えに自分では気が付かないことが多い。 体力や体調の衰えは、自分でもかなりわかるが、知力や表現力などの摩滅は自分では気が付きにくい。 他人から指摘してもらい、自覚するしかない。