深谷昌志先生の近著『子どもの目で見た日本の学校』について

深谷昌志先生より最近出版されたご著書『子どもの目で見た日本の学校』(22世紀アート、2021年3月)をお送りいただいた。444ページの大著である。深谷昌志先生は、1933年東京生まれで、東京成徳大学名誉教授。「日本子ども社会学会」のおひとりである。

著書の内容は、明治の時代から現代に至るまでの161人の自伝(161冊)を集め、それを丹念に読み解き、それを歴史の流れの中に位置づけている。その手法は見事で、学識と卓越した洞察力のある学者のみができる業績である。取り上げられた161人は多様で全国に及び、その生きた時代、出身地や出身階層も明記されており、日本人の生活や意識、とりわけその時代の学校や子ども時代の様子がよくわかる。東京の下町育ちの先生の読み解きには、先生自身の自分史の片鱗がうかがえる。「まとめに代えて」の書かれている提言(①日本の学校は20世紀の優等生、②「受容」から[能動]への教育の視点のコペルニクス的転換を、③小学校では子ども主体の「生活(経験)単元」を根底に据える、④アフタースクールの充実を,⑤発展途上国並みの文教行政からの脱皮を)は、歴史的な多くの自伝を読み解いた知見に基づいた提言だけに、説得力がある。

季節の花(その7)

場所により違うのかもしれないが、バラの庭が綺麗な家は減少しているように思う。景気の良かったころは近所にもバラで贅沢を尽くした家がいくつもあった。それは金額の問題だけでなく、手入れもきちんとしたセンスのいい庭という意味である。今は景気も低迷し、人々の気持ちにも余裕がなくなり、庭も放置されがちである。それでもバラは季節になると綺麗な花を咲かせ、通りかかった人を楽しませてくれる。

「仮定法の神」について

社会学者の大澤真幸が、宮崎駿の漫画「風の谷のナウシカ」の読み解きの中で、「仮定法の神」について、ルーマンの引用ということだが、とても興味深いことを言っている。(以下。朝日新聞デジタルより一部転載)

 「それを説明するには、まずは社会学者のニクラス・ルーマンも引用している『12頭目のラクダ』というアラブの寓話(ぐうわ)について、お話しする必要があります」/ 「あるお金持ちが亡くなる時、息子3人に『長男に財産の半分を、次男には4分の1を、三男には6分の1を与える』という遺言を残しました。父親の遺産は11頭のラクダでしたが、11は2でも4でも6でも割り切れず、父親の言うとおりの分配はできそうにない」/ 「困った兄弟がある賢者に相談したところ、賢者は『それでは、私のラクダを1頭加えよう』と提案した。12頭になれば、長男は6頭、次男は3頭、三男は2頭できれいに分配できる。残った1頭は賢者の元に返して、めでたしめでたし、というわけです。賢者が加えたもう1頭のラクダこそ、僕のいう『仮定法の神』に相当する存在です」/「12頭目のラクダは、問題解決のためには暫定的に必要な存在ですが、最終的には不要となる。それと同じように、『神』という強力な呪縛から人々が自由になるには、『もう一つの神』が暫定的に必要となるのではないでしょうか」/ 「『ナウシカ』の作中では、トルメキアや土鬼の戦争は、シュワの墓所が握る『生命を操る技術』の争奪戦という面があった。シュワの墓所という『神』の存在が、逆に世界を破滅の淵へと追いやっていたわけです」/「その神を駆逐するには、巨神兵という『もう一つのとんでもない神』が、どうしても必要だった。巨神兵は自らを『調停者』『裁定者』と称する。まさしく『神』のイメージです。そして、巨神兵は、シュワの墓所を破壊した後、『12頭目のラクダ』のように役割を終えて消滅します。結果的には巨神兵がいたからこそ、あの物語は終着点にたどり着き、『神なき世界』を実現できた」/(中略)/ 「『シュワの墓所』が、人々を自ら定めた計画通りの未来へ導こうとしたように、資本主義を自明の前提と考える限り、僕たちは『資本主義の定めた道』を自動的に歩み続けざるをえない。それ以外の可能性に気づくには、資本以外の『神』を想定し、その神によって資本主義を相対化するより他にありません」/(後略)(https://digital.asahi.com/articles/ASP3953TTP36UCVL004.html?iref=pc_ss_date_article

この『12頭目のラクダ』というアラブの寓話は、有名な話なのかもしれないが、私は知らなかった。11頭に1頭足すことにより、難題が解決し、足した1頭ももとに戻すという考えに感心する。さらにこの足す1頭が、「仮定法の神」で、例えば、資本主義という「神」に対する、共産主義という「神」で、それを足し問題が解決した暁にはもとに返す(消滅する)という考えも面白い。

漫画「風のナウシカ」について、識者の読み解きを記者がまとめたものが、5月4日、5日の朝日新聞朝刊に掲載されている(短いせいか、説明不足の文章で何を言っているのかわからないところもあるが)。いろいろな解釈の出来る漫画であり、また漫画とアニメでは解釈が全く違う場面があるというのも興味深い。