研究対象について

大学院生の時、研究テーマが決まっても、それを調べるのにどのようなデータを集めるのかとか、何を調査対象にするのかを決定するのがなかなか難しい。大佛次郎論壇賞を受賞した鈴木彩香氏の研究対象が、ジンダーを研究するのに、ジンダー運動に反対する「保守運動に参加する女性」というのが興味深い。自分の意見や見解とは真逆の違う集団に入り込み、その運動の論理を解明するというのは、危険を伴いことかもしれないが、論点を鮮明にできていい研究になったのであろう。同じようなことは他の分野でもできればいいと思う。

大学や教員のコロナ対応調査

大学教育学会が、会員を対象に、各大学各教員が新型コロナ禍に対してどのような対応をしたかの調査を昨年秋(10月)に実施し、その結果をHP(下記)に公開している。概要を千葉大学の白川優治氏(教育社会学)が「教育学術新聞」に書いている(下記添付参照)。調査の回収率が24.7&、回答数312件と少ないのが少し気になるが、今年度前期の大学や教員の対応、(教員の目から見てのことだが)学生の反応などが示されていて興味深い。

「授業や課題に対して意欲的に取り組んでいた学生」の割合は、「9~10割」が30.3%、「7~8割」46%と、多くの学生が意欲的に取り組んでいたと評価していた。またコロナ禍以前と比べて学生の授業や課題の取り組み状況について40.6%が「良くなった」と感じており、学生の学習状況に対して肯定的な評価が多くみられた(「変化なし」27.8%、「悪くなった」5.7%、「一概に言えない」19.2%)

⼤学教育におけるCOVID-19への対応実態についての調査(結果の概要・図表資料)

https://daigakukyoiku-gakkai.org/site/wp-content/uploads/2020/12/summary_COVID-19_report1124.pdf

リアルとバーチャアル

私は古い人間なので、「リアルとバーチュアルのどちらがいいか」と聞かれたら「リアル」と答えると思う。また(バーチアルな)来世も信じていないので(?)、現世の「リアル」を大切にしたいと思う。しかし、ことはそんなに単純ではないかもしれない。

「IDE・現代の高等教育」の今年の1月号の特集は「ニュー・ノーマルをどう築くか」で、大学の学長たちが、自分の大学の新型コロナ禍の大学運営を論じている。それを読むと実体験と深い学問的見識に基づくものが多く、読み応えがある。巻頭論稿の奥田潔「遠隔地にある農畜産系大学の現在と将来」などは、各大学がモデルにすべきことが丁寧に書かれていて感心した。

また畑山浩昭「今後のキャンパス。コミュニティ、メンバシップ」には、「リアル・キャンパス」の他に「バーチャル・キャンパス」というものが出来つつあり、これも大切だと書かれていて、いろいろ考えさせられた。鈴木典比古・国際教養大学学長は、世界を駆け巡る「オンラインによる出前(授業)」が、大学のあり方を変えると述べている。

 よく考えてみると、自分のリアルな体験と思っていたことが、自分の思い込みのバーチャルなもの(現実ではなく想像に過ぎないもの)だったかもしれない。恋愛や失恋も、自分の思い込み(想像)に過ぎないものが多い。だからと言って価値が低いものという訳ではない。恋愛ドラマのヒロインと相手役は、恋愛を演技として(バーチュアルに)演じるのであるが、後から振りかえって、自分のリアルな恋愛や結婚と比べ、演技したバーチュアルなドラマの世界は、価値低いものと言えないのではないかと思う。

SNSで結ばれるアイドルや歌手のファンのコミュニティはバーチュアルであるが、結びつきが強い。写真家の藤原新也はCAT WALKというバーチュアルなコミュニティを作り、そこの会員たちに一体感が生まれている。大学も、リアルなコミュニティだけに頼るのではなく、バーチュアルなコミュニティを工夫して作り、学生の学びと体験と一体感を作り運営していく時代ではないのか。それも世界規模で。

高等教育研究について

教育研究では、初等中等教育に関する研究は、法律や制度や組織や集団や文化の特質のみならず、カリキュラム(教育内容)や授業の方法や児童・生徒の実態やその指導に至るまで、多くの研究や実践の積み重ねがある。もうこれ以上研究することがないくらいである。それに比して、大学、短大、専門学校など高等教育の分野は、高等教育機関やその学生数の増加は比較的最近のことということもあり、研究の蓄積はまだ多くない。高等教育に関する学会(日本高等教育学会、大学教育学会、初年次教育学会等)がここ20~30年の間にいくつもできて研究が進んでいるが、それでもまだ解明されていない部分は多い。

中央教育審議会の「大学分科会 質保証システム部会」のサイト(https://www.mext.go.jp/kaigisiryo/mext_00173.html)を見ると、そこで議論している内容が載っている。その中の【参考資料3 中央教育審議会大学分科会質保証システム部会基礎資料 (PDF】は、日本の高等教育の推移や統計や主な高等教育に関する答申が載っていて、とても便利である。

本日(1月25日)の会議(第7回)では小林雅之氏(日本高等教育学会会長・桜美林大学教授)が「学生調査を活用した質保証、情報公表について」という題で報告をしている。その報告の資料も掲載されている。その最後には下記のようなことが書かれている。

学生調査と大学の情報公表と大学の質保証のあり方/ ベンチマーキングの必要性と可能 全国レベル(国際レベル)、中間組織レベル、大学レベルの学生調査と情報収集・公表、レベル間の協働、データ共有の重要性/ 全国学生調査など標準的な学生調査の活用/ データコンソーシアムの必要性/ データベースの創設と活用 例 学校基本調査、大学ポートレート/ 大学情報の公表項目の拡大調査とデータベースのフィードバックの確立

大学の質保証の為には、各大学の研究や教育に関するデータや学生調査のデータを公開しそのデータの検証が必要。学生調査の結果を大学教育の質保証の為に使う必要がある。そのようなことはアメリカの大学では進んでいるが、日本ではほとんどなされていないとのこと。国公立大学のデータは学校基本調査で公表されているが、私立大学のデータは公表されていないせいも大きいとのこと。日本の高等教育には遅れがみられる。

追記 1 上記の中央教育審議会の「大学分科会質保証システム部会」の会議の様子はYou Tube で生配信されていて、少し視聴することができた。このような国の高等教育政策の方向を決める重要な会議を、誰もが同時配信で視聴できるとは知らなかったのでびっくり。視聴数は150名くらいだったので知らない人も多いのであろう。他の会議も視聴してみたい。

追記2 各大学の研究の質は、科研費の採択数や金額が、端的に示していると思う。金額は、医学系や理工系がある大学で高くなる傾向があるので、その点は差し引いて考えなければならないが、その順位は各大学の研究の質のランキングを表していると思う。それは、学生の入学難易度の偏差値とはかなり違うランキングで、学生たちの大学選びの参考にすべきデータだと思う(添付参照、ただしこれは私立大学のみ)

文章にリズムやイメージを

歌人の山田航の「『物語』にはどうもノレない」(朝日新聞1月23日朝刊)という文章がなかなか面白しろかった。「どうも私は散文を読むセンスが欠落している」書いている。私自身は 詩歌や音楽を理解するセンスの欠落しているので、この山田航氏とは真逆の位置にいるのであるが、「文章において一番重要だと感じるのがリズムや音韻、その次がイメージ」という指摘には、共感を覚えた。

私は若い頃は多くの小説を読んだが、齢をとるにつれ段々小説を読まなくなってきた。ストーリーを追うのが、齢とともに面倒になってきたせいでもある。「小説は、散文でストーリーを書こうとする」と山田氏は書いている。ストーリーは映像(ドラマや映画やマンガ)で見た方が理解が早い。小説は、時代の速いスピードについていけなくなったのではないか。

評論やエッセイはどうであろうか。それらは小説の核心部分を、短い鋭い(あるいは柔らかい)言葉で的確に指摘し、イメージを膨らませ、批判する。昔、文芸評論家の吉本隆明や江藤淳の文章の切れのよさやリズムに胸のすく思いをしたことがある。

さらに学術論文はどうであろうか。特に社会科学、人文科学系の学術論文について考えてみると、文章のリズムやそこから喚起されるイメージなどは重視されない。それよりは、論理性や実証性や方法論が重視される。したがって、学術論文を読んで、退屈さを感じても、楽しさを感んじたり、豊饒なイメージを膨らませたりすることはない。

「学術論文は、論理や実証性でストーリーを書こうとする」のではないか-これ自体正しい、価値あることとして誰も疑ってこなかった。しかし、それはそんなに価値のあることなのか。それより、感覚を刺激するリズムやイメージの方が大事という見方をしてみてはどうか。研究者もエッセイや詩歌で何かを訴えた方がいいのではないか、ーそんなことを山田氏の文章から考えさせられた。もちろんこれは極論で、受け入れられないと思うが、せめて研究者も書く文章にリズムがあり、読むと心地よく、イメージも膨らむものが多くなればいいと思う。