河津桜について

今の季節、近くの公園や川べりに、桃色(ピンク)の花を付けた樹をよく見かける。まだ蕾(つぼみ)のものもある。2週間ほど前訪れた南房総の佐久間ダムでもいくつか見かけた。河津桜である。昨日訪れた八千代市の花見川上流の川べりにも1キロに渡り河津桜の並木道があった。ここはまだ蕾状態で、見頃はこれからのようだ。桜はソメイヨシノや八重桜だけと思っていたが、早咲きの河津桜があり、それは伊豆だけでなく、千葉の各所にもあることを最近知った。(ネットで調べる)

<カワヅザクラー(河津桜)は、バラ科サクラ属のサクラ。日本固有種のオオシマザクラ  とカンヒザクラの自然交雑から生まれた日本原産の栽培品種のサクラ。樹高は亜高木、樹形は傘状。一重咲きで4cmから5cmの大輪の花を咲かせ、花弁の色は紫紅。オオシマザクラ由来の大輪の花と、カンヒザクラ由来の紫紅の花弁の色と早咲きが大きな特徴である。東京の花期は通常は2月から3月上旬で稀に早い年には12月に開花することもある。原木のある静岡県河津町での花期は2月頃で花期が1ヶ月と長い。1955年に静岡県賀茂郡河津町田中の飯田勝美が河津川沿いの雑草の中で1mほどの原木を偶然発見し、庭先に植えたことが由来である。>(https://ja.wikipedia.org/wiki

コロナが大学に問いかけたこと

内田樹氏が、コロナで変わった大学の様子をブログに短い文章で書いている。その内容に共感するする部分があり、一部を転載する。今年度、大学の中退者や休学者が減った理由が書かれているように思う。

<よい予兆はいくつかの制度が「弱者ベース」で設計され直され始めたということである。きっかけは大学の授業が2020年の4月からオンライン化されたことだった。 ほとんどの大学はオンライン授業の経験がなかった。だから、準備はたいへんだったと思う。少なからぬ教員は「大学の授業は対面で行うべきものだ。『師の謦咳に接する』ことなしに教育が成り立つのか」という深い疑念を抱いていた。それでも、なんとか4月から授業が手探りで始まった。そして二月ほど経ったところで教員たちはある変化に気がついた。それは脱落する学生が少ないということである。これまで大学というのは「学生が主体的に学ぶ場」だとされてきた。だから、積極的に学ぶ意志を持たない学生に、教員側が「手を差し伸べる」ということはしなかった。ところがオンラインになると、欠席者に配布物を送ったり、来週までの課題を伝えることができるようになった。教員から(オンラインであれ)固有名で名前を呼びかけられたことで、ささやかながら社会的承認を得て、前期が終わった時点で、定期試験を受けたり、課題を提出したりした学生の数は前年度を上回ることにな(った)。これまで私たち大学教員がどれほど学生たちに対して「無慈悲」に接してきたのかを思い知ることになった。ある程度基礎学力があり、授業にそれなりに興味もありながら、いま一つ意欲が足りないという学生はわずかなきっかけで授業に来なくなるのだが、そういう学生を授業に「呼び戻す」ための装置を大学は持っていなかった。大学は「学習強者ベース」で制度設計されていた。「学習強者」は自分の興味に従って科目を選び、研究室を訪ねて質問をし、大学が無償で提供しているさまざまな教育資源を活用できる。もちろん、それが高等教育ということなのだ。だが、自信のなさやわずかな気後れで、「そういうこと」がどうしてもできない「学習弱者」である学生もいる。そして、その方が多数派なのである。学校には「学習弱者」のための学習トラックも必要だ。そのことを感染症に強制されたオンライン授業で多くの大学教員が気づいた。「学習弱者」を「呼び戻す」仕組みを標準装備することに多くの大学はこれから取り組むだろう。何が一番たいせつなのか。それはそこにいるだけで、社会から認知され、必要とされているということを実感できるという経験ではないのか。自分はこの集団のフルメンバーであるという自尊感情を抱けるということではないのか。コロナを奇貨として学校教育についてもう一度根源的に考え直すことを私たちは求められていると思う。>(http://blog.tatsuru.com/2021/02/21_0910.html

あすみが丘、昭和の森公園

今からもう35年くらい前になるが、住んでいた稲毛海岸の団地が手狭になり、少し広い一戸建てを探したことがある。バブルの絶頂期で土地や住宅の値段は高騰しており、私達が買えるとすると、都心から片道2時間くらいの場所しか無理であった。当時外房線の土気(とけ)駅(千葉から電車で20分くらい、しかし本数は当時1時間に2~3本の運転)からバスで10分程度のところに、東急不動産が「あすみが丘」という一大住宅地(コミュニティ)を開発していた。そこの住宅の抽選を申し込んだことがある。倍率が30~100倍近くあり、抽選に外れ、一戸建ての家に住む「夢」はかなわなかった。申し込んだ家は3千万円くらいだったと思う。「あすみが丘」には東急が一般向けの住宅の方他に「ワンハンドレッドヒルズ」という名称の5億~15億円するプール付きの豪邸を60個近くを建て,「チバリーヒルズ」と揶揄され話題になったところがある。チバリーヒルズの今!! – ローリスク不動産投資 (fudousantousinavi.com)。今は中古で8000万円~2億円くらいで売り出されている。

昨日(2月23日)、あすみが丘に隣接する「昭和の森公園」https://www.showanomori.jp/)に、梅を見に訪れた(家から車で40分程度)。とても広い公園で、人も少なく、いろいろな梅が満開で堪能できた。そのついでに、住むことが叶わなかった「あすみが丘」の住宅地を少し車で回り(なかなか東急の素敵な家が多かった)、その一角にある有名な「ホキ美術館」に立ち寄った。

「ホキ美術館」を訪れるのは初めてで、その建物の斬新さと、写実絵画という分野のあることもはじめて知った。写実絵画は写真のようであるが、瞬時に撮れる写真とは違い、1年近くかけて描くという絵画で、独特の世界がそこにあることを知った。

(ホキ美術館https://www.youtube.com/watch?v=mSkXMstqChc

子どものスポーツでも対話的学び

新学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」に関して、最近思ったことを記録にとどめたい。「主体的」に関しては、社会学者はこれも後天的なもの思っているかもしれないが、教育学者は先天的なものと考えているように思う。同じ幼いきょうだいでも、好みや性格が違うのを見ていると、ひとり一人に個性がある(つまり主体的なのは)先天的な要素が強いように思う。それを教師も見極めて子ども個々に応じた指導をしなければならない(「個別最適化」をAIに任せることはできないであろう)。

「対話的」に関しては、教師との対話もあるが、主となるのは子ども同士の対話であろう。それは主体同士のぶつかり合いで喧嘩になることもあるかもしれないが、強いものに同調したり、その場の空気を読むことよりは、異論(主体)をぶつけ合いことの大切さを指導したい。音楽でいえば、同じ音のユニゾンより、合唱のハーモニーや、違う楽器の音が奏でる音楽の素晴らしさを伝えたい。

「深い学び」は、異質なもの共存から生まれる結果と、それを各自が自分の中に取り込むみ自己変容(成長)をはかることであろう。

これが、個人の学習だけでなく、子どもたちのスポーツの世界でもあることが、2月20日の朝日新聞記事に掲載されていた。子どもたちのサッカーチームでも、大人が指示するのではなく、子どもたちに話し合い(対話)でいろいろなことを決めさせる。結果も付いてきて、子どもたちの主体性と自立心が育つという。

<(子どもとスポーツ)やってみる、まず自分たちで サッカーのサイレントリーグ、大人は口出し禁止(ハーフタイムに話し合う碧南FCの選手たち。コーチの姿はない) パッと見は通常の子どものサッカーの試合だ。だが、しばらく見ていれば、あることを感じ取る。そう、あの小うるさく、時に威圧的な大人の声が一切ないことに。ベンチにコーチの姿はない。スポーツの場で、私たち大人は子どもの主体性を大事にしてこなかったのではないか。そんなことを考えさせられる大会を取材した。愛知県岡崎市で1月16、17日に開かれた小学4年生の大会。県内の地域クラブ10チームが参加した。名付けて、サイレントリーグ。指導者や保護者は一切、口出ししない。子どもの主体性を大事にするため、約束がある。■メンバー決定、交代、戦術、ウォーミングアップなど試合に関わる全てのことを子どもたちに委ねる ■試合の間、子どもがいるエリアに大人は入れない ■行き帰りの道中も、大人は「言いたい一言」を我慢する 各試合で登録メンバー全員が出るルール。2日間で、主催側が決めた相手と5試合ずつを戦う形式だ。さて、本当に子どもたちだけでできるのか。初参加クラブの一つ、碧南市の碧南FCに密着した。(以下略)>(朝日新聞より一部転載)

人種差別について

少しテニスをやるものとして、大坂なおみの全豪オープンでの優勝はうれしい。大坂は「見に来てくれてありがとう」と観客に感謝の言葉を述べている。ただ、観客は人種的な偏見がなく、見てくれていたのかが少し心配。決勝の相手ブレイディはアメリカ国籍の白人。大坂が準決勝で戦ったセリーナは黒人だがアメリカ人(アフリカンアメリカン)。このような人種や国籍に関係なく、応援してくれるものなのか。

藤原新也は『アメリカ』(情報センター出版、1990)という本の中で、アメリカには白人の黒人差別はあるが、それ以外に白人と黒人が昔からのアメリカ人としてのタグを組んで、黄色人種への差別のあることをアメリカ旅行の体験から書いている。(添付参照)

日本人も先住民族アイヌへの差別があり、それが今も続いている。しかも考古学という学問分野の中にあることを、昨日(2月20日)のETV特集「帰郷の日は遠くー揺れるアイヌ遺骨返還」で知った。特に昔の東京帝国大学の考古学の教授が、ドイツのナチスの研究に倣って、アイヌの人が劣った人種であることを証明しようとして、アイヌの遺骨を不法に掘り返し研究室に持ち帰った。その後も大学の研究室はその返還を拒んできて、やっと最近、世界の先住民族の遺骨略奪は違法、その返還をすべきという条約によって、返還をするようになったが、アイヌの人に謝罪することを拒否している様子が放映されていた。大学の研究者の思い上がりの強さを見る思いで、恥ずかしかった。

<帰郷の日は遠く〜アイヌ遺骨返還の行方〜」―去年、北海道にオープンしたウポポイ。その慰霊施設に、1300体を超えるアイヌの遺骨が納められている。明治以降、東京大学や北海道大学の研究者らが各地の墓地などから持ち去り保管していた。「先祖の遺骨を返してほしい」。アイヌの人たちは40年前から声を上げ、今、故郷への返還が実現しつつある。しかし、後継者不足などから、遺骨の“帰郷”に戸惑う地域も少なくない。背景には、アイヌ民族が背負う苦難の歴史があった。>https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/V9LGPQ7KG5/