Ado『うっせぇわ』を聴く

今子どもたちの中で、どのような曲が流行っているのかよくわからない。でも小学生や幼稚園生などが口ずさんでいる歌に「鬼滅の刃」の主題歌の他に、Adoが歌う『うっせぇわ』があるという。You tubeで聴いてみた。

歌詞は若いサラリーマンの鬱屈した心情を歌ったもののような気がするが、繰り返して歌われる「うっせぇ うっせぇ うっせぇわ」の歌詞とテンポのよさが、小さな子どもにも受けているのかもしれない。また、幼い子どもたちも、親や先生たちに、毎日同じようなことで言われ叱られ、「うっせぇ うっせぇ うっせぇわ」と感じ叫びたがっているのかもしれない。

歌手のAdoと『うっせぇわ』の解説もネットから転載―「上司から散々常識を押し付けられても勇猛果敢に抗っていく部下の姿が凝縮された『うっせぇわ』。一見、社会人経験皆無のAdoには、無縁のストーリーのようにも思えるが、ひたすら信念を曲げることなく必死に立ち向かっていく点では重なっている。そして何より、血の滲むようなAdoの叫びがダイレクトに聞こえてくる曲でもある。」(https://www.universal-music.co.jp/ado/usseewa/

宇佐美りん「推し,燃ゆ」を読む

最新の第164回芥川賞を受賞した宇佐美りん「推し,燃ゆ」を読んだ。 不器用で何事にもうまくいかない(家庭に問題があり、高校にも適応できず退学する)少女がアイドルへの「推し」で、自分の肉体や心の痛みを浄化する物語である。

(アイドルへの)「推し」というのは、「片思い」の一つのバリエーションかもしれないと思った。多田道太郎が言うように「それはオリジナルの向こうに、オリジナルを超えて自分だけの夢をみることである。自分だけの夢、自分だけの『オリジナル』を夢みることである」(『管理社会の影』₍日本ブリタニカ、1979年)。もし,ほんとうのオリジナルである「推し」の彼が目の前に現われ「付き合おう」と言われれば、彼女は「それは違う」と言うであろう。(以下、宇佐美りん「推し,燃ゆ」より一部転載)

「見返り求めているわけではないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、お互いがお互いを思う関係性を推しと結びたいわけではない。たぶん今のあたしを見てもらおうとか受け入れてもらおうとかそういうふうに思ってないからでなんだろう。あたしだって、推しの近くにずっといて楽しいかと言われればまた別な気がする。もちろん、握手会で数秒言葉をかわすのなら爆発するほどテンション上がるけど。携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない。一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。何より、推しを推すとき、あたしというすべてを賭けてのめり込むとき、一方的であるけれどもあたしはいつになく満ち足りている」(『文藝春秋』 2021.3月号、376 頁)

その文章は、「確かな文学体験に裏打ちされた文章」(山田詠美)、「リズム感の良い文章」(松浦寿輝)、「文体は既に熟達しており、年齢的にも目を見張る才能」(平野啓一郎)、「レディメードの文章の型を踏み外してゆくスタイル」(島田雅彦)と、芥川賞選考委員から絶賛されるもので、読んでいてそのリズム感が心地よい。 「寄る辺なき実存の依存先という主題は、今更と言ってもいいほど新味がなく」という平野啓一郎の批判もあるが、芥川賞としては久々のこの賞にふさわしい、今後に期待される新人が選ばれたと思う。

菜の花が満開

千葉市にはまだ自然が残っている。ただ財政難なのか自然が手つかずで放置されているところも多い。家から車で10分のところにある花島公園の下を流れる花見川沿いは、いい散歩道・自転車道になっているが、川べりは雑草が生い茂り、夏草が枯れたままになっていて風情もない(下記添付写真参照)。ただ川べりの一部に小学生が種を植えたという菜の花が今満開で、散歩が楽しめた。

 その菜の花を見ながら、今朝you tubeで聴いた曲(南沙織が吉田拓郎と「菜の花をあなたに摘んであげたい」という歌う曲「春の風が吹いていたら」)が耳の奥で鳴った。。(https://www.youtube.com/watch?v=sFSa-oJnM7E

教育の実践研究と教育社会学

教育の一番の中核は学校における授業であろう。教育学では、昔から授業研究や実践研究が盛んである。今も各教科の教科教育法では、それぞれの教科の内容に即した授業案を書くことが授業の基本になっていると思う。そして模擬授業という形で、授業の実践の練習をよくしていると思う。各県の教員採用試験も短い時間であるが、模擬授業の実技試験があるところが多い。

私の専攻する教育社会学では、授業の研究をあまりみかけない。これは、教育社会学が戦後に講座や科目が出来て、教育学の中でも新しい分野で、それまでの教育学が研究してこなかった学校の周辺や学校の社会的な側面に自分たちの研究分野を求めたせいであろう。独自の研究分野と研究の方法がないと、新しい学問分野として認知されない。教育社会学は、地域社会と教育、社会階層と教育、経済と教育、青年期と教育といったように、教育とその周辺分野との関係を扱い、学問としての地位を確立してきた。

戦後の日本の教育社会学研究をリードした清水義弘東大教授は、教育経済学(マンパワー・ポリシーも含む)の開拓者者でもあったが、それでも「学校の社会学研究」の重要性を指摘し、教育社会学も学校の外堀である経済や地域社会や階層との関係の研究を埋めたら、最後は教育内容(カリキュラム)という教育の天守閣を落とさなければならないとよく言っていた。ただ私達教え子は、清水教授が、授業研究や教育実践は科学としての教育の研究の対象にはならないといっていると思い、それらの研究をしようとは思わなかったように思う。同じ教育社会学の研究室でも、旧帝大以外、つまり東京教育大(現筑波大学)や広島大学は、高等師範の伝統があり、授業研究や教師研究は盛んであった。

 最近、私は東京教育大出身の友人二人に次のようなメールを送った。                    『今教職のことを少し学ぼうと思い、手元にあっ佐藤学他編『教育変革のへの展望4 学びの専門家としての教師』(岩波書店、2016)の論稿を読んでいます。その中の浅井幸子「教師の教育研究の歴史的位相」を興味深く読みました。この論稿は、授業や教育実践の研究のレビューなので、貴兄らには、周知のことばかりかもしれませんが、私などは読むのを避けてきた分野で、新鮮でした。                                                       恩師の清水義弘先生は、『教育社会学の構造』(東洋館出版、1955)の中で実践記録の非科学性、主観性、呪術的な性格、英雄主義を批判していましたので、私たちはそれを読んでそれに感化され、教育実践や授業研究は、教育の科学的研究とは無縁のものと考え、読むことすらしなかったように思います。私は斎藤喜博の実践全集を10冊近くを持っていたことがありますが、読んだ記憶がありません。               先の浅井氏の論稿には清水の実践記録批判への教育哲学者の勝田守一からの反論も紹介されており、考えさせられる内容でした。無着成恭の生活指導(生活綴り方)から教科内容の研究への変容(「固有名詞を持った子どもの喪失」)や、斎藤喜博の授業研究も、歴史的に位置づけられており、勉強になりました。その中に出てくる成城小学校の授業研究に関しては、昔、筑波大学の門脇厚司さんが熱っぽく書いていたのを思い出し、きっと旧東京教育大の教育社会学研究室ではこの授業研究や実践研究は、社会学的な知見を加味して、継続されて研究が受け継がれているのではないかと想像しました。このことに関していつか教えて下さい。 また千葉敬愛短大学長の明石要一さんから最近の著書『教えられること 教えられないこと』(さくら社、2021)を送っていただき、教育実践に関しての重要なポイントを、分かり易い軽妙な筆使いで書いている文章から学びました。>

ここまで書いてきて、昔の清水先生の論を読み返してみようと思い、「教育学的思惟様式」(『教育社会学の構造』第2章)を再読した。そこでは、教育実践研究を無下に退けているわけではなく、その重要性も指摘しつつ問題点を丁寧に指摘し、教育の科学的研究には何が必要かが書かれていた。また若い時の清水先生は、柔軟な文学的な香りのするいい文章を書いていて感心した(2章を転載する。印刷が不鮮明、2枚目が重複しているが、ご容赦。)

大学院で同期の友人から下記のコメントをもらった。一部転載させていただく。 <教育社会学会編の「教師・学校・社会」(昭和33年10月20日刊)のなかで、清水義弘先生は「教育社会学論」(P100~P114)について論じています。これは学会創立10周年記念して刊行されたもので、「Ⅰ日本の教師」高野圭一、河野重男、稲垣忠彦、石戸谷哲夫、小森健吉、「Ⅱ日本教育社会学の現状と課題)~その一」清水義弘、馬場四郎、日比行一、青井和夫、浜田陽太郎、古屋野正吾、【回想】「学会発足前後のこと」赤堀孝、「日本教育社会学十年の歩み」牧野巽、「Ⅲ論稿」新堀通也、堀尾輝久、(戦後国内教育社会学文献目録) 蒼々たるメンバーとはいえ、学会10周年とはいえ当時は多様な会員が存在したことが解ります。そのなかで清水は、「以上の反省から、教育社会学が教育実践を直接に対象とすることは、けっして警戒すべきことではなく、むしろ教育社会学を社会学から引き上げ、文字どおり教育社会学たらしめることになるであろう」(P113の上)と述べている。さらに、「また、実践理論の確立が教育社会学の中核的課題であるというのは、もともと、教育社会学が理論構成を主とする社会学と、すぐれて実践的な教育学とを転結する科学として生まれているところにも求めることが出来るであろう」としている。これは清水著「教育社会学の構造」や「教育社会学の課題」で述べられている。そして「なお、最後に一言しておきたいことは、教育社会学はけっしてまちがった道を歩いてきたのではないということである」と指摘している。私は教員養成大学出身ですので、貴兄が敬愛大学での教育実践のなかから得られた成果はとても貴重だと思います。私自身も教育学と社会学の狭間で揺れ動いてきたことも事実です。規範意識は重要ですが、清水先生の第一巻のタイトルが「教育社会学」であり「政策科学への道」がサブタイトルであることがとても重要に思えるのです。>