ウイズ・コロナの時代の教育

 「教育再生実行会議 第12次提言」(令和3年6月)には、「ニューノーマルにおける新たな学び」「遠隔・オンライン教育の推進」というキーワードが掲げられている。新型コロナの終焉が見えない中で、教育の当たり前を見直し、デジタルを利用して新しい学びの形態が模索されている。

 一斉教育、チョークと黒板、紙の教科書、学校行事、部活動が当たり前の学校教育から、デジタル教科書、遠隔教育、個別最適化などを取り入れた教育方法への転換が試行されている。

しかし子ども一人一台の情報端末を配布すれば、デジタル教育が進むわけではない。それには学校のデジタル環境の整備、教員の研修と意識の変革、家庭のデジタル格差の是正、教育の実践の積み重ねとデータでの検証が必須である。

学校の当たり前の見直しも必要である。学校に通うことは全ての子どもに必要なことなのか。遠隔でできることはないか、無駄な学校行事はないのか、部活動を外部化できないかなど、この機に学校生活の当たり前を見直し、過密を避け、多忙化している教員の負担も減らしたい。

 将来の社会生活を考えると小中学生にはリアルな対面指導や学校生活の重要性はなくならない。高校生大学生になると社会性も育っているので、デジタルを利用した遠隔教育も有効である。遠隔教育を経験した大学生の声をいくつか紹介する。

 「(対面教育)ならではの緊張感、表情が見える教育、人に会う苦痛やストレスの耐性を付ける。(遠隔教育で)通学時間が省ける、人に会うという苦痛から解放される、自分のペースで学習できる、私語やスマホに気を取られず集中して学べる、自分の意見を主張しやすい。対面と遠隔の両方を組み込むのが最適」など(敬愛大生)

 人には環境の変化に対して動的に応じていくレジリエンス(適応能力)がある。それは環境の変化に対して自らを変化させて対応する柔軟性である。これを駆使して難局を乗り越えたい。(『内外教育』2022年1月25日号、原稿)

デジタルの時代に思う

渡部昇一「知的生活の方法」(講談社現代新書,1976年)を読んだ時の衝撃は忘れられない。知的生活を送る為に、誰からも邪魔されない集中の時間が必要であり、その為には手元の参照する本を置いて置くことは必須であると書かれていた。優れた研究者や作家は皆立派な蔵書や書庫を持っているという。

そのような考えが、この頃少し揺らいできた。今はネットで何でも調べられる時代である。論文の引用は本からすべきと言われていたが、今はネットからの引用も許されるのでないか。写真もプリントアウトする必要はなく、デジタルで保存した方が見やすい。映画やドラマも、これまでは優れたものがDVD化され、それをレンタルして見るのが普通であったが、最近のドラマや映画はDVD化は考えず、(いつでのどこでも見れる)ネット配信だけのものもあるという(ネットフリクス等)。

同じように、本もデジタルで読む時代で、それを印刷した本として残す必要はなくなるのではないか。研究者が書く論文もデジタルで読むことができれば、それを印刷媒体に落とす必要がない。現に、学会の発表要旨も活字の冊子ではなく、デジタルで配布(配信)されるところが増えている。また大学のシラバスや紀要もネットで読むようになっているところが多い。

研究者は、自分の研究の成果を、生きた証として後世に残すために本を出版したい、一般の人も自分史を本にして後世に残したいと考える人は多いが、それは今のデジタルの時代に的確な方法なのか考える必要があるかもしれない。

追記―上記のように書きながら、旧世代の者には本のない生活は考えられない。本(棚)に囲まれた部屋にいると落ち着く。本の題を見ただけで、その書籍に書かれていたことが思い浮かび、読んだ当時の心情が蘇る。どんなに意匠を凝らした建築や部屋でも本(棚)がおかれていないと貧相に見える。どんな素晴らし自然や景色も、本(棚)に囲まれた部屋を超えることはできない(と私は思う)。このように、全く違う考えが、私の中で行き来する。

「大学入試共通テスト」の国語の問題について

大学入試の制度に関してはいろいろ議論されることが多いが、大学入試問題の中身に関して議論されることは少ないように思う。今回の大学入試共通テストは、理系の平均点が低いようだが(数学ⅠA 昨年より17.4低い、数学ⅡB  14.0低い、生物22.6低い、化学 8.0低い)、文系科目の試験問題に問題はないのであろうか。たとえば、国語の平均点は前年より8.7点低い(200満点中108.8点)と、数学などよりは高く、妥当な点であり、適切な問題が出されたのであろうと推察されるが、実際にその出題内容を見てみて、疑問に感じることがいくつかあった。

一番は、国語の現代文に関してみてみると、課題文がとても難解なことである。今回評論は、檜垣立哉・ 阪大教授と藤原辰史・京大准教授の「食べること」に関する哲学的な内容と、文学は内向の世代の黒井千次の「庭の男」の一節が出題されている。今の若者(高校生)の読書離れがすすみ、長い文章を読めない書けない若者が増えていると言われる中で、同一年齢の半数近く(約53万人)が受験する大学入試共通テストの試験の問題に、このような難解な文章を読ませる意味はあるのか。出題者は、受験生の活字リテラシィの実態をどの程度理解しているのか、何を意図してこのような難解な文章を出すのかと疑問に思う。

さらに、作家の黒井千次氏の「庭の男」の内容は、高齢者の生活心情がよく描かれていて同世代の老人が読むと感銘を受けるが、これを高校生に共感しろ、異文化理解が大事だというのは、あまりに押し付けがましいように思う。もう少し、高校生の心情に寄り添った内容の文章でないと、文章題の設問に対して、高校生の共感や理解を得るというのは無理ではないかと思った。現代の大学入試の国語は、若者が老人の気持ちをどの程度理解できるかを測るというものなのであろうかと疑いたくなる。(黒井千次の「庭の男」の文章は、京都教育大学で2015年に出題されているとのことだが<卒業生のI氏からの情報>、その時は一大学一学部の入試問題だが、今回は50万人以上が受けている大学入試共通テストなので、規模が違う。)

現代文の設問を見ると、書かせる解答もあるが、大部分は4~6拓の中から、(解釈として)適切なものを選べというもので、もし課題文を全く読まないで(理解しないで),解答してもかなりの確率で正解に至ることができる(明らかにおかしい解答の選択文を除外すればさらに正解の確率が上がる)。このように、数学などと違って、国語の場合全く理解していなくても、正解に至る確率はある程度ある(社会や英語も同じであろう)ので、平均点が高い(適切)と言っても、問題がないわけではない。

別の見方も書いておく。安藤宏・東大教授は「なぜ国語に文学」という題で、「異質な他者に触れ、心情を思う」ことがこれからは大事ということで強調しているが(朝日新聞1月22日朝刊)、高齢化社会の中で若者に世代の違う高齢者という「異質な他者に触れ、その心情を思う」ことが必須になるというのなら、(上と逆に)今回の黒井千次の文章の出題は時代の要請に合い、きわめて適切なものであったともいえる。

別の見方(2)ー上記は「若者の読み書き能力が高くない」という前提で書いているが、実際大学で学生に遠隔授業で資料を読ませそれへのコメントを書かせると、学生は難解な文章(例えば上野千鶴子「セックスとジェンダーのズレ」『差異の政治学』)の趣旨を的確に読み取り、いい文章でコメントを書いてくる。それは少数の学生ではなく、多くの学生に見られる傾向である。大人の世代が思う以上に、今の若者世代の読み書き能力は高いかもしれないとも思う。

老人の相手をしてくれるのは野生の鳥だけ?

野生の鳥は冬は餌がなく困っていることであろうーそんな勝手な想像をして、昨日もう午後4時に近い夕方なのに、検見川浜にパンやご飯粒を持って出かけた(車で12~3分)。 やはり夕方なので、昼間はたくさんいる鳩やカモメの姿は一匹も見えなかった。多くの鳥は夕方 ねぐらに帰るのであろう。飛んでいるのは少数のカラスと、群れで戯れているスズメと、海辺に浮かんでいる鴨だけであった。雀は少しパンの切れ端を警戒しながら突っつき咥えて飛び立つが、海辺の鴨は近づくと沖の方に逃げてしまう。

私のように鳥に餌をやる老人は時々いて、紙の袋から餌を出し、遠慮がちにあげている。老人の相手をしてくれるのは野生の鳥だけというのも、少しわびしい。その鳥も夕方にはねぐらに帰ってしまう。

2021年度 後期授業 「教育課程論」(中高向き)

今年度(2021年度)後期は、敬愛大学で1コマだけ担当した。科目名は、「教育課程論」(中高向き)で、受講生は教育学部と国際学部の学生が55名、経済学部が19名、合計74名である。授業形態は遠隔のオンデマンドで行った。

基本的には、毎回KCNで「講義メモ」と「授業資料」を数枚配信し、講義メモの最後に書かれている設問に、200字から1000字の字数で答えるよう指示した。学生の書いた解答(コメント)には、毎回個々の学生にコメントを返したので、その数は1000を超えたことになる。私の授業の場合、学生は教室での対面授業より、遠隔の授業の方がよく「講義メモ」や「授業資料」をよく読み、しっかりした解答(コメント)を、毎回寄せて来ているように思う。学生にも他の受講者の解答(コメント)の一部を解答例として、匿名で、KCNのクラスフォーラムで知らせている。

今回の毎回の講義テーマは、下記のようである。

第1回 教育課程とは / 第2回 教育課程の2側面 / 第3回 学習指導要領の変遷 / 第4回 「主体的・対話的で深い学び』とは / 第5回  教育に関するWEBサイトを読んでの感想 / 第6回 学校と地域社会の関係を考える。/ 第7回 新型コロナ後の教育/ 第8回 中学生・高校生の特質、生徒文化 / 第9回 ジェンダーと教育 / 第10回 受講者の解答(コメント)を読んでの感想 / 第11回 新型コロナ禍と教育(敬愛大学シンポの感想)/ 第12、第13回 総合的な学習の時間 総合探求について(静岡県立大学の学生の作品への感想)/ 第14回 高校教師について。高校の新教育課程 /  第15回 まとめと最終レポート課題

第13回と第14回の「講義メモ」を、参考に掲載しておく。