幼児の発達についてー相手の立ち場に立って考えられるのは何歳から?

この間、幼い子どもと接する機会があり、子どもの発達に関して、知りたいと思ったことが生じた。まだ調べていないが、その疑問(問い)を書いておこう。それは、「相手の立場にたって考える」ということが、何歳からできるようになるのか。またそのように考えるようになるきっかけ(しつけも含む)は何かということである。「性自認」の研究というのがあって、何歳から「自分は男だ、女だ」と自認(認識)するのかという研究があるが、それと同様に「相手の立場に立つ」ということが何歳からできるのであろうか。幼い子どもは、自分中心で自分の好き嫌いで行動するのが基本だと思うが、他者の立場に立って考えられる(それが思いやり行動として表れる)は、いつからなのであろうか。

次のような2つのことを観察した。1つは、親に抱かれた1歳半の女の子に、こちらに来るようにと手を差し出すと、嫌がって親の方に強く抱き付くが、その時、何か「すまない」という表情をするのが見えた。それは相手の気持ちがわかるという表情(仕草)ではないかと解釈した。そうだとすると、1歳半で他者の意向を理解(認知)しているということである。(相手の立場に立ってそれを受け入れるようになるのは、もう少し後のことだが。)もう一つは、4歳半の男の子と話していて、何かのきっかけで「爺(じじ)は嫌いだ」と言い出し、「爺は1,062番」と言った。それに対して、私は「Kくんは1063番」と言い返したら、激しく泣き出した。その時感じたのは、「自分が相手を嫌いだ、順位は低い」と言えば、当然相手からも「あなたが嫌いだ、順位が低い」と言われるものと、4歳半児は期待(想像)していると思っていたが、泣き出すということは、全くそう思っていないということの表れと判断した。つまり、この4歳半の子は、相手の立場に立って考えることが全くしていないということである。(ただ、1歳半の妹に対して親切にすることもあり、相手を選んでいるのかもしれないが)

小学校で特別の教科になっている道徳教育の徳目の中の、「B 主として人との関りに関すること」の中に、「7 親切、思いやり」という項目があり、そこには、「お互いが相手に対して思いやりの心をもって接するようにすることが不可欠である。思いやりとは,相手の気持ちや立場を自分のことに置き換えて推し量り,相手に対してよかれと思う気持ちを相手に向けることである。(中略)具体的には,相手の立場を考えたり相手の気持ちを想像したりすること」と書かれている。これは、小学校の児童に学校で教えられることであり、小学生以下の幼児には、無理ということなのであろうか。

家庭において、親は、相手の立場に立って考えるということを、子どもに何歳から教えているのであろうか。このような、子どもの発達や発達課題、そしてしつけや道徳教育のことを、これから少し調べてみようと思った。

晩秋の稲毛海岸

久しぶりに稲毛海浜公園に行った。「花の美術館」が改修中の為、見るものがなく、訪れる人も少ない。新しく出来た桟橋(素敵な椅子が設置されていた)からみる富士山は綺麗であった。広い芝生の公園も人も少なく、老人3人が凧揚げをして暇をつぶしていた。

電子版 『教育、大学、文学、ドラマ、日常―教育社会学的考察‐』(2022.9)

読み物は印刷媒体と電子版のどちらがいいのであろうか。今回、上記の題の印刷冊子(ブログからの転載の内容の第4弾)を、何人かの知り合いに送付させていただいた。丁寧な礼状や返信をいただいた方が多く、印刷媒体のありがたさを感じた。住所がわからず、メールで電子版をお送りした方もいる。こちらは返信が少なかった。

印刷後、いくつかの誤字脱字も見つかっている(下記)。 誤字脱字を訂正した電子版の全体を、下記に掲載する。

訂正した箇所

 57ページ 11行目、13行目 大学教育 → 大学研究 /  64ページ 下から3行目~ 65ページ 2行目まで → 削除 /  73ページ  6行目 ようである。→ 削除 /  106ページ106ページ  6行目   振替え → 振り返っ

この冊子に関する私の知り合い(先輩、友人、知人等)からの感想を一部転載させていただく。

・この題目の何という広さ。そのすべての局面を「教育社会学」がカバーしている(Te)/・なかなかユニークな読み物という感じで、前半の学校教育については確かにその通りという感じのところがありました。後半のエッセイは自分自身の問題でもあるようで、さらに面白く感じました(S)。/・広範な領域に関心をもたれて、それを苦労の跡もなく書かれていることに驚嘆いたします。書評もエッセイも回顧録も読みやすく簡潔に書かれています。肩の凝らない冊子ですが、読んでいるうち内容の濃さに気がつきます。多様な解釈を若い世代にアピ一ルすると思います(M)。/・開拓されている領域は、「大学、学校教育、文学、韓国ドラマ、・・・」といったようにいまや途方もなく他領域へ進出している教育社会学がアプローチ可能と目される領域です。旧来の方法では解決できない問題が見えて来るでしょう。それだけ困難だし、創造性も必要になるのだと推察されます(A)/・押しつけがましさがなく、お人柄がよくあらわれていて爽やかです。ますますのご健筆を祈ります(T)。

秋晴れ続く

このところ千葉(関東)では、いい天気続きで過ごし易く有り難いが、野や庭の植木や草木にとっては大丈夫なのか少し心配になる。今年は庭の皇帝ダリヤの木が大きくなり蕾をつけているので(6107)、水やりに気を遣っている。(追記 11月22日の様子6271)

近くの海岸(検見川浜)には、カモメも帰って来ている(下記)。桟橋では老人たちが釣りを楽しんでいる(6086)。千葉でも新型コロナな第8次の波が心配されているが、自然はいつものままなので、私達も気を付け、健康に暮らしたい。