京都の教養教育を核にした地域の大学連携

京都で、教養教育を核にして、大学の地域連携がすすんでいる。
(京都三大学教養教育研究・推進機構ホームページhttp://kyoto3univ.jp/ )
しかも、専任教職員をおいて、その推進をはかろうとするところが凄い。全国から学生が集まる京都ならではのことであろう(千葉の私学では、授業の相互受講(単位互換)協定があるだけ)。

その教養教育の理念や目標には、次のように書かれている。
教養教育の理念―社会の枠組みの急激な変化や東日本大震災・原子力発電所の事故により、人間の生き方、あり方もその根幹から見直しを迫られています。 >
教養教育の目標―グローバル化の進展などによって、社会全体の枠組みが大きく、かつ急激に変化しています。また、平成23年3月11日に発生した東日本大震災は多くの尊い命を奪い、国民全体が幸福感や社会関係のあり方を深く問い直す状況が広がる一方、「人を思いやる心」や「人と人との絆の大切さ」を社会に再認識させるものとなっています。

まだ、新しくできたばかりだが、いろいろなイベントもあるようだ。
http://kyoto3univ.jp/wp-content/uploads/2013/08/o_chirashi.pdf

テニススクールというところ

運動不足解消の為、家の近くのスポーツクラブのテニススクールに月に2回くらいの割合で通っている。テニスをやる場所と仲間がいれば、スクールになど通う必要はないのだが、その2つを確保することが今は難しくなっている(武蔵大学や上智大学に勤務していた時は、教員のテニスクラブがあり、そこに所属し、テニスをすることができた。また武蔵大学ではテニスサークルの顧問をしていて、そのテニス合宿に参加したこともある。今の務める敬愛大学にもテニスのサークルはあるようで、いつか参加させてもらおうと思っている)。多少のお金を出すことで、テニスをする場所と人が確保できるという意味で、テニススクールは便利だ。さらにそれだけではない効用もある。
スクールは、家から自転車で5分のダイエーのスポーツクラブの中にある。同じレベルのクラスなら、いつ受講してもいいシステムになっている。受講できるクラスは週に何度もあるが、私は何かと忙しく、夏休みでもその時間がなかなか取れない、昨日(27日)は、夕食後時間ができたので、遅くだが21時40分~23時10分のクラスを受講することにした(登録は直前で可能)。
コーチはひとりで、受講生は私も含め、7人(私を除き、若い人ばかり、男2人、女4人、行くたびにメンバーは違う)。
準備体操から始まり(5分)、ぺアでのミニラリ―(5分)、その後は、3列に並んで、コーチの出す球を2球ずつストロークで返す。2列はフォアで、1列はバック。球が次々出るので、7人でも休む間がない。私は10分くらいで、息が切れ、この時間帯が一番辛い。
その後は、同じ態勢で、ストロークとダッシュしてボレー。この間にひとり50球以上は打っている。3番目のメニューが今日のメインになるが、ひとりひとりがコーチとストロークを4~5分程度して指導を受ける(私の場合、今更フォームを直されても直らないので、適当に聞く)。その間、他の人は、コートの両サイドを使い、ストロークとボレーで練習。これも次々ローテーションがあり、相手に迷惑がかからないように真剣にやる。4番目はコーチが最初に球を出し、試合形式。これも1球ずつで、ポジションが変わるので休む暇がない。最後は、点数制の試合形式で15分。なかなか面白い。このように、受講生は、1時間半の時間、ほとんど動き通しで(コーチの説明は随所で短く入るだけ)、で、効率のよい運動ができる。
その後は、スポーツクラブのスパ(人工天然温泉、サウナもある)に入り、疲れを取る。(1回、2500円の料金で、1時間半のテニスレッスンとその後のスパ。とても、得をした気分)、

海浜幕張のホテルでランチ

 今日(27日)は、ゼミの4年生が、教員採用試験が終わったので、その打ち上げで、海浜幕張のホテル・マンハッタン(http://www.the-manhattan.co.jp)でランチ。
 教員採用試験に受かってくれることを願うが、試験の合否はともかく、これまで努力してきたことに乾杯。
その後は、海浜幕張から検見川浜を通り、稲毛海浜公園まで、海岸線や砂浜を歩く。天気がよく、少し暑かったが、遠くにスカイツリ―やアクアラインが見える。海では、ウインドサーフィン。泳ぐ人もちらほら。稲毛海浜公園では、コスプレの若真達を幾組も見た。若者の未来に、栄光あれ。

新設、地方、小規模大学の健闘

大学の研修で、共愛学園前橋国際大学の副学長(大森昭生氏)の講演を聞く機会があり、大変勉強になった。
同大学は、1999年に短大を改組してできた新設の大学であり、しかも前橋という地方にあり、さらに1学部1学科(国際社会学科)で入学定員225名の小規模の大学である。(http://www.kyoai.ac.jp/)
このように、定員割れを起こす3要素(新設、地方、小規模)を備えながら、応募者は増え続け、偏差値も上昇しているという。
その大学の改革や教育の様子を聞いて、その理由が納得できた。そのいくつかを記憶にとどめておこう。
第1は、その大学のモットーがよい。①学生中心主義、②地域との共生,③ちょっと大変だけれど実力の着く大学。これらは、建前でなく、確かな実践で裏打ちされている
第2に、教職協働で、大学が運営されている。教授会ではなく、教員と職員の合同のスタッフ会議で、重要なことが決まるという。
第3に、80%以上の学生が群馬出身で、70%の学生が群馬県内に就職するという地域特性が生かされている。地域連携、地域共生の実践がさまざまになされているのである。
第4に、アクティブラーニング(AL)が盛んである。授業の75%がAL関連科目である。(今回の講演の中心はここにあった)、中心に、この大学のアクティブラーニングやそこから生まれる学生の主体的な学びや活動があり、それが、学生の大学生活満足度や充実感を高め、、大学に誇りを持つ仕組みを作りだし、好循環を起こしている。
第5に、大学の入試戦略が、大学教育と連動している。つまり大学開設当初は、応募者は少なく、定員割れを起こしていたという。それでも、入学水準を下げず(推薦基準3,5を維持)、一般入試も厳しくして、その大学で教育できる学生を入学させたという。また、資格(たとえば英検2級)を持った学生を学生に、授業料免除の特待生で入れるも、入学後の高いGPAの基準をその学生たちに課し、勉強の意欲を高く維持させる仕組みを作っている。また成績優秀者の表彰制度があり、それで学生の勉学を鼓舞してる。
入学させる学生の水準を一定以上に保つことにより、大学の教育や教室の雰囲気をよいものにし、学生が熱心に学び、その大学で学ぶことを誇りに思うようになれば、その評価は自然と外部に伝わり、大学の名声も高まることになる。その逆に、学力の意欲もない学生を入学定員確保の為に入れると、それは黴菌のように学内に広がり、学園を荒廃させる。
上記のように、いろいろなことを考えさせられる講演であった。

総進学率(粗就学率)について

高等教育の総進学率(粗就学率)という概念のあること、そしてその意義に関して、よく知らなかった。先日の野崎さんの報告から教えられた。不勉強というしかない。

「学校段階の教育制度計画上の相当年齢人口と、指定学校への全就学者との比率は粗就学率または総就学率と呼ばれる。」
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%B1%E5%AD%A6%E7%8E%87)

日本では、学校や高等教育に実際行く年齢と計画年齢(たとえば4年制大学では18歳~22歳)がほぼ等しく落第も少ないので、総進学率は純進学率に近く、これまで注目されないできたが、これから高等教育を受ける年齢の幅が広がったり、パートタイム学生が増えてくれば、この総進学率(粗就学率)の意味は大きくなってくる。
さらに、純進学率ではなく総進学率(粗就学率)という言葉を使うことで、高等教育を受けるということは、年齢にはかかわりなくライフスタイルに合わせて、また全科生だけでなく、自分の好きなまた必要な科目の履修だけをとるパートタイムの学生・院生という選択肢もあるという発想をとるようになり、高等教育(大学)の意味が変わってくるという。