『冬冬の夏休み』(侯孝賢監督作品、1984年)

敬愛大学の「地域社会とこども」という授業では、テキスト(住田正樹編『子どもと地域社会』、学文社、2010年)を使い、学生にグループで発表してもらっているが、今週は予備日としたので、私が何か話題を提供しなければならない。
前々回は子どもの遊び、前回は子どもギャング集団がテーマだったので、その流れで、外国の子どもの遊びやに日本の昔の遊びや遊び集団が紹介できればいいと思い、『子ども問題事典』(ハーベスト社)他いくつかの文献にあたったが、なかなか適当なものに行き当たらない。
そこで思いついたのが、昔見て感銘を受けた映画{『冬冬の夏休み』}の子どもの遊び。
私の世代の戦後の日本の地域で遊ぶ子どもと同じものが、台湾の子どもの様子で描かれていた。子ども達は、群れて川で遊び、地域や家族の大人たちに見守られて成長していく。日本で失われたものが台湾で残っているのかと、驚いた場面がいくつかある。
これを学生達に見せて、「日本の昔の子ども達の遊びもこのようなものだった」と伝えられないかと考えた。さらに、台湾という国の風土や歴史も参照しながら、日本と台湾の教育、子どもの遊びも比較も出来れば、いいと考えた。
 しかし、私に台湾に関する知識が乏しい。数年前に1度、研究仲間と台北に行き、その歴史の一端にも触れ、台湾の学校もいくつ見学したが、台湾の教育や子どもについて体系だって話せる知識は私にはない。どうしたものか、迷っている。

映画『冬冬の夏休み』については、森田伸子氏の文学的で卓越した分析がある(『テクストの子ども』世織る書房、1993年p188~200)。

ネットで検索すると、誰が書いているのかわからなかったが、わかり易い解説が見つかった。この映画は、宮崎駿の「トトロ」との類似性が言われているという。それを、以下転載しておきたい。(http://blogs.yahoo.co.jp/pkddn557/59114717.html)

『冬冬(トントン)の夏休み』 侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督作品
製作年:1984、時間:98分、製作国:台湾、日本初公開日:1990/8/、
 1984年の夏、小学校を卒業した冬冬(トントン)は、台北駅で妹の婷婷(ティンティン)と電車に乗った。夏休みを田舎の祖父の家で過ごすのだ――。美しい田園風景のなかで繰り広げられる、懐かしさと優しさに満ちた日々。多くの人に愛される作品。(侯孝賢監督の“青春4部作”の第2作目。)
 小学校を卒業した冬冬(トントン)が、母親の病気のために妹の婷婷(ティンティン)と共に田舎の祖父の家で夏休みを過ごし、そこで繰り広げられる生活の日々を描き出した作品。
 木々の緑、その中を走る鉄道など、実にのどかで懐かしさを感じさせる田舎風景を舞台に、冬冬をはじめとした子供たちの触れ合い、厳格なおじいさんの家での生活、頼りないが冬冬の相手をしっかりやってくれる叔父とその恋人碧雲との行動。
 ノスタルジックさと子供たちの愛くるしさが全面に描き出された、優しさと詩情に満ちた傑作となっています。
 その途中で出てくる2人組みの強盗、叔父が碧雲を妊娠させてしまったことによるトラブル、そして強盗2人組みが実は叔父の幼馴染であり、悪いこととは分かっていてもその強盗をかばう叔父の姿…。 一見するとシリアスなこの場面も子供の視点、かつ淡々と描写しているのでそこまで重苦しい雰囲気にはなりません。 そして、こういった展開を経験しながら何かを考え成長していく冬冬。
 ほのぼのとした物語にピリッとした味わいが無理なく融合し、この作品を素晴らしい逸品へと仕上げています。 
子供たちの何と可愛らしいことか! 田舎町につくなり、地元の子供たちとすぐに意気投合する冬冬。冬冬のおもちゃと交換するための亀の競争、河での遊びと木登り…。どこをとっても微笑ましいばかりです。
 冒頭の小学校の卒業式で「仰げば尊し」を合唱するシーンも印象に残ります。 歌詞は中国語のようですが、これは日本統治時代の名残でしょうか? エンディングで「赤とんぼ」のメロディも流れ出し、台湾の映画なのにまるで日本の田舎を舞台とした映画のような感覚にとらわれてしまいます。
 この映画が何よりも懐かしくほのぼのとした心地良い気分にさせてくれるのは、そういった要素も関係してるかもしれません。 
よく「宮崎駿の『となりのトトロ』に似ている」という感想を聞きますが、確かに雰囲気はよく似ていますね。(本作の方が製作時期は早いですが)
 ◆関連作品◆ ・『風櫃の少年』 ・『童年往事 時の流れ』 ・『恋恋風塵』

 

日本子ども社会学会21回大会

日本子ども社会学会の創立20周年の記念大会を来る6月28日(土)と28日(日)に、私の勤める敬愛大学で開催する。記念大会ということで、3つのシンポジウムを、28日午後に公開[無料]で開催する。その3つとは、以下である。

シンポ1   「震災後の子ども、学校、地域社会」  
2014年6月28日(土) 13時30分~15時30分 
  報告
   徳水 博志  元石巻市立雄勝小学校  被災児への心のケア 
   堀 健志 上越教育大学 被災地の学校教育がつきつけるもの 
   櫛田 久代 敬愛大学大学教育における被災地ボランティア活動
長谷川 信  千葉市生活文化・スポーツ部 防災教育の視点から 

シンポ2  「子どもに食(フード)と農(アグリ)をどのように教えるのか」
     2014年6月28日(土) 13時30分~15時30分
  報告
     紺野 和成   日本政策金融公庫 千葉支店
三幣 貞夫   南房総市教育委員会
     熊澤 幸子   東京成徳大学

シンポ3 「子どもの昔と今―子ども研究の饗宴」
    2014年6月28日(土)15時40分~18時00分 
 報告
   藤田 英典   東京大学名誉教授、(日本教育学会会長) 
      生活環境の構造変容と子ども問題の諸相
   池田 曜子   流通科学大学  現代の子ども
   谷川 彰英   東京成徳大学  、柳田国男の子ども論
   原田 彰   広島大学名誉教授  日本の知識人がみた〈子ども〉
  討論者 
     深谷 昌志 東京成徳大学名誉教授 
     多賀 太  関西大学

 その他に6つのラウンドテーブルも公開で開催する。
 その他の自由発表も、臨時会員として参加費2000円(発表要旨付)で聞くことができる。
 詳細は、大会のホームページ
(http://www.js-cs.jp/wp-content/uploads/2013/10/jscs2014p.pdf)を参照のこと。

多くの方の参加を、お待ちする.

『女のいない男たち』(村上春樹)を読む。

村上春樹の小説が、1年ぶり(短編小説としては9年ぶり)に出版された。さっそく購入して読む。
村上ワールドは健在だ。
「女のいない男たち」は、「女抜きの男たち」ではなく、「いろいろな事情で女性に去られてしまった男たち、あるいは去られようとしている男たち」(p9)の物語。
男たちにとって、女性の存在はとても大きい。女性がいなくなった世界がいかに空虚な世界なのかが、描かれている。村上春樹らしい恋愛小説である。

登場人物の女性は、皆美しく、知的で、思慮深く、魅力的だ。それに対して、村上春樹の男に対する目は厳しい。男には奥行きの深さ(教養)が、要求される。
「僕の奥さんは意志が強く、底の深い女性だった。時間をかけてゆっくり静かにものごとを考えることのできる人だった」、(妻の恋人は)「たいしたやつではないんだ。正直だが奥行きに欠ける。なんでもない男に心を惹かれ抱かれなくてはならなかったのか」

描かれている主人公の男たちは、素敵な女性に去られてしまって、生きる意欲も失い、死んでしまうものまでいる。その女性が彼のもとを去った理由がよくわからない(つまらない男にひっかかったのかもしれない)。
それでも、男は女性への思いと敬愛を捨て去ることはない。村上春樹は、すごいロマンチストだ。フェミニストと言ってもよい。

最後の2編(「木野」「女のいない男たち」)は、トーンが少し違っている。「木野」は祟りの物語である。猫が去り、蛇が多数出没し、場所が欠けてしまい、悪霊に祟られ、それを払う旅に出る。
「女のいない男たち」は、主題のまとめのようになっていて、文章が村上春樹特有の修辞に充ちていて、感心する。「ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんのわずかな予言もヒントも与えられず、予感も虫の知らせもなく、ノックもなく、、」

上智大学の仏文科の女子大生(テニスサークルに所属)が、育ちのよいお嬢様の典型として描かれている(p79)のは、少し違うかなと思ったが。